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昨年8月に、シリアで取材中に、凶弾に倒れ亡くなられた
ジャーナリストの山本美香さんが、非常勤講師として、
その3ヶ月前に、早稲田大学大学院政治学研究科にて行った
計3回の講義「ジャーナリズムと戦争」を収録した講義録。
+同大政治経済学部で行った特別講義を含む計4回分を収録。
山本さんが書かれた著作物の多くは、
小中学生向けに、簡便でわかり易く書かれているため、
結果的に、大人にも、読みやすくて理解しやすい良書ですが、
本書では、ジャーナリズムと戦争論について議論されており、
山本さんのポリシーの所以が垣間見れて、よい副読本でした。
聴講生が、将来ジャーナリストを目指す学生であったためか、
子供でもなく社会人でもないため、思慮に浅さや甘さがあり、
結果的に、山本さんが考えられるジャーナリズムの本質に、
ぐぐぐっと迫り切れてない点は、少しばかり残念でしたが、
自分自身はどう考えるか、ということを考えながら読むべし。
ボクは、自分自身が経験(視聴)した、
TVと新聞による阪神淡路大震災の報道と、
TVとインターネットによる東日本大震災の報道とを対比し、
マスメディアに対する当時の性善説と現在の性悪説や、
インターネットによる収集情報の判断と情報発信の責任などを
基本的な興味とテーマとして念頭に置きつつ、
一方で、ジャーナリズムとビジネスの観点も併せ考えながら、
本書を読み進めていきました。
恐らく、山本さんは、
ジャーナリズムの使命と倫理観といぅ基本命題に対して、
その本質を、自分の意識の中心に、真っ直ぐに据え置き、
その意識の下で判断し、行動し、その行動に責任を持ち、
その責任を全うするための義務を果たしてきた方なのでしょう。
本書は、将来ジャーナリストを目指される学生に向けて、
ジャーナリストをされていく中で、必ずぶち当たるであろう、
ジャーナリズムの使命と倫理という逃れられない基本命題を
問題提起された、いわば、ジャーナリスト導入の書であり、
将来ジャーナリストを目指す学生にとっては、必読だと思います。
難しいことは語られていませんが、単純‘迷解’なだけに、
ジャーナリズムと人間について、とても考えさせられました。
改めまして、山本美香さんのご冥福をお祈りいたします。
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シリアで亡くなったジャーナリストの山本美香さんが早稲田大学で行っていた講義のまとめ。
自分の経験を教材にしてジャーナリストの心構えや倫理を説いたもの。
考えさせるための授業だから、読むだけでも色々考えるし発言したくなる。
たとえば砲撃されて死にかけた人が目の前にいる。
ジャーナリストとしては撮りたい。でも助けたい。
たとえば圧政に逆らってこっそり勉強する女性たちがいる。
報道することは彼女たちのリスクを高める。でも伝えなければいけない。
そんなとき自分だったらどうするか。
「正解はない」ということを教えながら、自分の頭で考えさせる。
倫理をつらぬくには覚悟がいる。覚悟って言葉がしっくりくる人だ。
山本さんの言葉には怒りや共感や意志がある。
中立のつもりで冷静に当たり障りのないことを言うんじゃなくて、怒りを持って伝えようとする。
報道するほどコミットしていて自分の考えがないなんてことはあるはずがないから、自分がどの辺にいるかを理解した上で違う意見を取り入れるよう心がけている人は信用できる。
最後に知人が「ジャーナリスト/同僚/教育者としての山本美香」を語った手記がある。
彼女個人と、ジャーナリストや同僚や教育者を失った損失をみんなが感じている。
この本の情報が出てから出版されるまでには結構間があった。
敬意と哀悼に満ちたこの本は、大事につくられたものなんだろうと思う。
途中、学生たちのレポートがずらっと並んだ章がある。
学生たちへのアンサーを見せるためだから、それがないと話が通じないんだけど素人の作文は読むのがしんどい。
たまにすごいのも入っているとはいえ、視野が狭かったり、自分の意見のない受け売りだったり、逆に感情しかなかったり、まともだけどつまんなかったりするものがたくさん。
それでもこの学生たちは賢い学校の意欲のある人たちだから最低限の文章力はクリアしている。
本の内容とは直接関係ないんだけど、てにをはもヤバいようなバカ校のやる気のない子を指導する教員は大変だろうなと、ちゃんと仕事をしてくれた私の先生たちのことを思い浮かべた。
先生たちごめんなさい教育者ってすごい。
ジャーナリストが負う危険についての部分が印象に残った。
安全のために最大の努力を払うのは前提。だけどリスクをゼロにはできない。
それは職業上のリスクであって、会社や上司を責めて止めさせるべき「迷惑」ではないと社会が認識する必要がある。
「百年の手紙」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4004314089にあった、冒険家の上温湯隆の手紙を思い出した。
<もしも万一、不幸にして小生の身に最悪の事態が起こったとしても、外務省にナンダカンダと問いあわせたり、アフリカの大使館に捜索を依頼するようなことはしないで下さい。これは僕の心からのお願いです。/まず、その時点では間にあわないし、そして広大なこのサハラのどこに小生が眠っているかわからないでしょう。あまりガタガタ騒ぐと、日本人はここぞとばかり��非難するだけです>p214
取材対象の利益と不利益を考えるという倫理は「調査されるという迷惑」http://booklog.jp/item/1/4944173547にも通じる。
イラク戦争のときの防衛庁の報道規制、外務省のビザ発給妨害について詳しく知りたい。
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日本人ジャーナリストだから、という理由で殺された可能性が高い山本美香さんが早稲田で行ったジャーナリズム、メディアの講義。
彼女が取材にいくのは、取材対象がメディアを持たないため。取材はジャーナリストとしての戦争なんだなあと思った。伝えることが仕事。伝えられない部分にも意味を持たせることで、またあらたな伝達が行われるのだ。
正しさを伝えるのが目的ではない。
ジャーナリストの目を通して見た真実を伝えるのにも意味がある。多角的になるから。
報道規制があったとしても、そこでやることには意味がある。人間相手だから。隙間があるから。
でも正解はない。
記者が戦争取材中に亡くなることは、ジャーナリストの殉職であったのだなあ。
自己責任とかそういうレベルの問題ではないのだ。
空飛ぶ広報室と併せて読んだらより身近に考えられそうだなあと思う。
自粛という名の問題回避、目の背けかたは最悪かも。選択して選び続けることをしないとあっという間に統制されてしまうよ。
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http://www.waseda-up.co.jp/social/post-656.html ,
http://www.mymf.or.jp/ ,
http://j-press.co.jp/
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シリアで逝去した戦場記者が、生前に早稲田大学で行った講義の講義録。そして学生との対話録。
現場活動を続け、ジャーナリズムの基礎を底辺で支える存在であったことに敬服する、以外の言葉が見つからない。
もちろん本書の内容はそれほど特異ではないが、現場の生々しさと、地道な取材行為の価値は充分伝わってくる。中でも、現場性、同一テーマの継続性、情報源の多元性は重視されるべき要素か。
一方、ジャーナリストか人間か、すなわち「写すか、助けるか」の何れを価値をとるべきか、との秀逸な問題意識が学生に生まれる辺りは実に素晴らしい。