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あの「おひとりさまの老後」を書いた著者と
日本在宅ホスピス協会会長の医師との
Q&A形式、対談形式の本です。
在宅死のベストケースが紹介されていて
イメージ戦略としては良いかと。
実際に、「がん」の場合は、医療・介護を使い
経済的にも負担なくうまくいくケースが多そう。
ただ、本書の中でも「認知症」の場合は、
在宅で最後を迎えるのは難しい可能性が
あることを指摘しています。
ちなみに、平成23年度の日本人の死因は以下のとおり。
がん:28.5%
心疾患:15.5%
肺炎:9.9%
脳血管疾患:9.9%
(出典)
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai11/dl/gaikyou23.pdf
で、認知症は病気に関係なく罹患する可能性があり
現時点で、200〜240万人の患者がおり、
2020年には300万人になるとも言われています。
(出典)
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_recog.html
認知症の場合、人間関係(家族、友人、近所の人)が
壊れていってしまうことが、在宅を困難にする
最大のリスクとされています。
あと、治療が長期間に渡るため、経済的にも
数百万円程度かかると本書では指摘しています。
(最高で5000万円かかったケースも
紹介されています)
で、家族のいない「上野千鶴子」さんの場合、
友人、近所の人という地域社会との関わりが
重要になってくるわけですが、その点については
本書では、あまり触れられていませんでした。
(「おひとりさまの老後」には、何か書いてあったのかな?
今度、読みなおしてみよう。)
あと、生活保護を受けている人でも在宅死は可能!
と紹介されていましたが、生活保護を受けている人は
基本的に医療費は無料になるわけで...。
例えとしては不適切なのではないかと感じた次第。
あと、「上野千鶴子」さんの場合も、印税などで
お金の心配はきっとないのでしょう。
(あまり、つっこんだ議論はされていませんでした)
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「おひとりさま」と言えばの上野千鶴子と、在宅医療で有名な小笠原先生が「人は一人でも家で死ねるのか?」について語り合った本。今まさに介護のことで悩んでる人は必読だと思う。
在宅で最期を迎えた人の話がたくさん紹介されているところと、Q&A形式になっているところがとても良い。
「介護のために身内が倒れるまで頑張らなくても大丈夫。色々なやり方があるんだよ」というメッセージがよく伝わってきた。
あとこの本を読んで、どんな分野でも有益な情報っていうのは本読むとかして自分で掴み取っていかないといけないということを強く感じた。「自分が欲しい情報を探し出す力」はこれから生きて行くのに絶対必要だわ。
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お一人さまに限らず、色々な人が希望を持てる内容
今生きているなりに死んでゆくんだなぁと思った
がんは告知されて時間を過ごす事がとても大事そう
嘘をつくのは周りも辛いし、本人も不安になるだろう
告知できるような関係性を作っておきたいものだなぁ
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在宅医療は、医者にとってアウェーの現場。患者や看護師に学ぶ謙虚な姿勢になっていく。患者は自分の家を望んでいる。
在宅医療の可能性は、患者の幸福、医療従事者の進化、医療費削減に繋がる、いいことづくめにある。
以心伝心は通じない、意思表示が大切
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在宅死という本人の希望を具体的にどうかなえられるかをQ&A形式で示した書。家族の負担や犠牲に乗っからない方法が現実に広がり可能になっていくことを願うが、多くのネットワークと制度整備の必要性が痛感される。
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フォトリ講習で読みました。
独居で要介護の人を援助する時、今は在宅を支えつつ、どこで入所、入院してもらうかを常に頭の隅に置きます。というか、そもそも家で亡くなる事を避けるべく援助します。在宅を最期まで支えるにはサービスが不足している、一人で亡くなっていたら援助者が何かと責任を問われかねない、離れて住む子どもたちが、在宅一人死を望まない、などが理由です。上野先生、まわりの目を気にしたり、子供のエゴで「家で納得死する権利を奪うな~!」と、ズバッと切っています。自分の将来を考えたら、社会的に認知されると嬉しい。現状はよくよくクライアントとチームのメンバーを厳選すれば、「あり」でしょうか。
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親の看取り そして 自分自身のそう遠くない配偶者と自分の看取り に関しての漠然とした恐怖心を 和らげてくれた。安心して 自宅で逝かせる事も逝く事も できるのだと思い知らされた。
今のうちに 小笠原先生の様な在宅ホスピス医を探しておいて 来るべき時の為に 備えておこうと思った。
急性期で 回復が見込める以外は やはり 医療行為は、無駄で苦痛を与えるばかり。日々 過剰点滴で むくむくになっていく患者さんを見るのが 本当に辛い。
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この題名、もしできるなら、その方法をしりたい!と大多数の人が思っていたことじゃないでしょうか?
近頃は、介護・老後問題にも取り組んでいらっしゃる上野千鶴子氏。
在宅看取りのパイオニアである小笠原医師と、タッグをくんで書いた本。
看護士・介護士など本職の方の間で評判になっていたため、わたしも読んでみた。
以下、私が興味をもって読んだ章
・がんで死ぬのがいちばんですか
・老衰で死ぬのは幸せですか
・家族のいないわたしの看取りはだれがしますか
・お金はいくらあればよいか
びっくりしたのは、意外とそんなにお金をかけずに、家で最後まで人生をおくれるということ。
・本人の意思をまわりにはっきり言う(救急車を呼ばないなど)
・家族がじゃまをしない
・良好な人間関係(近所でもなんでも)
この本をよむと、独りの老後も死ぬことも不安でなくなる!?
これから、看病・介護に入る世代にも、知識と心構えをやしなう1冊として、
激オススメの本です。
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題名の通り在宅ひとり死できるのか、体制は?心構えは?費用は?などを上野さんが在宅医療を実践している小笠原先生に質問し、答えるという形で展開されている。
在宅ひとり死に興味を持つ人はもちろん、今の時点でも無縁の人にもこんなことができるんだと知ってもらい、そして、そのために必要な情報が網羅されていると思う。
「希望死・満足死・納得死」に対しての病院でおきている「孤独死・敗戦死・刑務所死」
病院では生命の安心・安全は守られているが自由のないある意味刑務所のような場所であるという言葉は痛快に感じた。小笠原氏自身、現在の病院信仰を崩し、パラダイムシフトを起こすにはこれくらいのショッキングなことばをつかうことも必要とは言ってはおられるが。
常々、楽に逝くことは出来ない世の中と感じていたので、在宅で生活を享受しながら静かに穏やかに旅立つことができるということを知ることができてよかった。
もうひとつは、「どんな手立てをつくしても親には1分1秒でも生きてほしい、と思うのは子どものエゴイズムでしょうか」という上野さんの問いに対し「そうです」と言い切られたのは、ほぅと感じた。その部分が私にも悩み深いところではあったから。けど、それは、本人が満足し穏やかに旅立つことができれば、残されたものも満足を感じることができるからということと何より本人を中心に考えるということ。実践の積み重ねからの答えなのだろう。
看とりは家族の役割という観念にも支配されているが、これも柔軟に考えていく必要があるなぁ。
元気なうちからその時々のかかわる人たちとできるだけ良い関係を育てる努力を重ね、そのスキルを磨いていくことが大切
常々の生きる姿勢が大切ということかな。
お金があればあるようになければないなりに穏やかに旅立つことができるということが一般的になれば老後を過度に心配することもなくなるのではと感じた。未来を過度に案じるのではなく、今を今ある人間関係を大切に育むことが大切なのだろうな
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在宅診療を行ってきた先生へのインタビュー。初めは訪問診療の専門家だったわけではなく、意識もなかった。
死の際には、希望死、満足死、納得死が必要。
死に際に立ち会う必要はない。
夜間セデーションでは夜睡眠薬で眠り、痛みを感じずにいられる。
ガンだと最近は痛みも少なく、別れの時間があり、良いターミナルを迎えられる。
死に際にはエンドルフィンという多幸物質が分泌される。
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「おひとりさま」の上野千鶴子が「在宅死」をサポートする医療活動を推進している岐阜県の内科医、小笠原文雄氏に、一問一答の形で疑問を呈して行く内容。
小笠原氏はお寺の生まれで僧侶でもあり、9歳で得度してからは父上についてあちこちの檀家巡り、葬儀での読経などを行ってきたのだそう。そういう環境で培われた死生観をもってすると、現状の終末医療はとても納得のいかない状況だとのこと。
その死生観の中心は「老いて逝く者にも権利がある」ということ。人間が生きて、老いて、死ぬということは動かし難い運命であり、それを微細な技術や周囲の状況で無理やり「延ばす」のは冒涜である、という。
少し前まで、亡くなるのは病院でというのが「発想」としてはあたり前だった。それが徐々に「自宅で」という状況に変わってきている。もちろん、現状ではまだまだ実際のところは病院で、という場合が多いとは思う。
私も母を送ったのは病院でだったけれど、父が逝ったのは「自分の部屋」でだったので、それは父のために良かったのでは、と思う。母と暮らした家ではなく、私が半ば無理矢理買って移らせた場所ではあった。私はそこで自分にできるだけのことをなし得たと思うし、父は孫達ともしょっちゅう会うことができたのだから。
でも、小笠原氏によれば「遠くに住んでいても、それを良しとするならば家族はその意志を尊重すべき」とのこと。ただ問題なのは、その「意志」がどれほど「本心」なのかが正直わからないのが現実なのよね。
この本は、基本的に「おひとりさま」のための対処法が中心となっていて、もちろん、家族と離れて住んでいる「(事実上の)おひとりさま」も少なからず含まれているのだけれど、そこで介護する家族との駆け引きのようなものがあまり見当たらない。
家族にしてみれば、現状の介護保険をいくら使ったとしても、要介護3以上は「独居」は難しいとされるので、何らかの処置が必要だと考えざるを得なくなる。小笠原氏は、早いうちから「オール電化」にして火災を防ぐ、外出や徘徊の末の事故は「仕方なかった」と諦める、と答えておられる。
おいおい、そう簡単には行かないんだよ。
オール電化にするためにはまず元の家の設備がそれなりでなければならない。築◯十年の古式ゆかしい「台所」だったら?いやそれ以前に借家だったら?
それに、認知症が始まった後となると、新しい機器の使い方なんてまず覚えられない。テレビのリモコンだって使えなくなるんだよ?
それに煙草の失火は?火口を逆に加えて大やけどってこともあるし…。
それに、徘徊で事故に会った場合、先日の鉄道事故の判例のように、家族に賠償請求が突きつけられることだってある。逆に意図せずに加害者になってしまった車の運転手も罪に問われることになるんじゃ?
諦めて済む話じゃなかろうに。
もちろん、過剰な医療は慎むべきだし「一人になるのがイヤだから」という甘ったれた気持ちによる延命や、「税金申告のため」の延命なんてもっての他だと思うけれど。
と��も納得できる部分はたくさんあった。けど同時に「?」もたくさん残る内容でありました。
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ガン終末期と在宅緩和ケアを紹介した本、少しオーバーな表現の箇所もあったが、死亡原因の一位である、ガンによる終末期のケアを一般読者に紹介するのには良い本ですね。
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選べるとすればどんな死に方が良いのか
老衰は奇跡的なことでもない限り望めないし
心臓発作でポックリと死にたいと言っても
残された者にとっても本人にとっても準備不足で
納得もいかないだろうし不満も残るだろう
又死に事もできず回復することもできない延命治療や
救急救命で苦しみや痛みから逃れられずに息絶えるなんてことは
在ってはならないことだろう
日本在宅ホスピス教会会長の小笠原文雄さんは
様々なケースを体験してきた経験から
在宅で痛みと苦しみを避けながらガンで死ぬのが最善策だという
家族に囲まれている場合も親類や友人に囲まれている場合も
ひとり天涯孤独の場合も看護師と医者とボランティアと
過不足のない距離感を保って良く寝て食べて出して笑って
日々の自分が選ぶ希望と納得を支えられて
出来る限り自分らしく死に至ることが
当事者は勿論のこと関係者のだれにとっても最善の道だろう
縁者は縁起だとか遺産だとかに迷わされることのないように心がけ
そのための環境や経費を工面するのも福祉的社会の大事な勤めだと思う
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まさに目からウロコ!
誰もが死ぬ時は病院か介護施設で、というのが常識だと思ってたけど、手厚くお世話をしてくれる家族がいなくても、家で最後を心安らかに迎えられるなんて。
誰もが出来るわけじゃないだろうし、病院や施設の方がいいって人もいるだろうけど、自宅に居たい人は自宅に居られるんだ。
それに医療費や介護保険料の削減にもなるし。
ぜひ老若男女、読んでみたらいいと思う。
岐阜に引っ越し…最終手段かも。
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本人が望む場合、家族が心を決めれば、在宅で最期を迎えることができる。言われてみれば確かに。
そう思うと、施設と刑務所の違いって何だろうと考え始めてしまった。
希望死・満足死・納得死↔︎孤独死・敗戦死・刑務所死
トータルヘルスプランナーの育成など、まだまだやるべき事はあるけど、新たな人生の終い方の可能性を感じる内容だった。