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現代との対比で見られるところがよい。
古地図との比較は従来もできたが、鳥瞰図を新たに作図して現代の地形に合せて見られるようにしたところが秀逸。
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図書館で目についたので手に取ってみました。1862年(江戸城の本丸が翌年に火災で焼失する1年前)の東京と神奈川、埼玉の一部を空から見た図を手描きで書き起こした地図です。2007年から6年がかりで完成したもので、立川氏の緻密な作業の賜物です。
この地図を眺めている間は、しばし江戸時代にタイムスリップした気分になりました。
以下は気になったポイントです。
・幕末には、それまでの中心だった江戸に、貿易港である横浜が加わって江戸の地位が揺らぎ始めた。そして1860年に、生糸・雑穀・水油・蝋・呉服の5品目は江戸の問屋を経由する法令をだした(p6)
・当初、東海道沿いでアクセスのよい神奈川宿に外国人居留地を設けるように要請があったが、水深の深い横浜が選ばれた(p7)
・明治政府が東京を首都に選んだのは、江戸城を囲むように上屋敷、中屋敷が点在していて、インフラ整備に最適であった、大阪も首都候補であったが私有地が多かった(p9)
・鬼門の抑えの寛永寺に対して、裏鬼門の増上寺、これは徳川家菩提寺として江戸鎮守するとともに、五街道の中でも重要な東海道の前にそびえたった。かつて、増上寺から品川は海岸であった(p12)
・深川木場は、江戸時代の貯木場であった、火事が多かった江戸では、火事のたびに建物を再建する必要があった(p22)
・江戸(千代田区、中央区、港区)は身分によって住む地域が区分されていた、7割の武家地は、300藩の上屋敷、中屋敷(予備)、下屋敷(郊外にある別邸)、旗本は江戸城西部、東には町人が集められ、日本橋が代表(p26)
2013年5月25日作成
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江戸時代における江戸・横浜地域の大規模な鳥瞰図を想像で描いたもの。当時の古地図を参照しており、現代の地形の特徴も反映されているので、まったくの無根拠というわけでもなく、割り切って眺める分には楽しい。もちろん、江戸郊外のとある場所が、田んぼだったのか民家だったのか林だったのかなんて誰にも分からないし、そのレベルで突っ込みたい人は読んだらダメ。
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久米のラジオなんですけどで、作者のインタビューを聞いて読む。◆力作はわかるのだが、これは売れないなぁ…