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生き物や環境の世界に物語を感じ、生き物の目から世界を見てみて、驚き、不思議に思う感性をお持ちのところが日高敏隆さんを好きな理由。
ダニの世界、ちょうちょの世界、それぞれが知覚している世界は人間のそれとは違っていて、ダニやちょうちょになって観ることはできない。
違った世界が人間がみえていないところで、いくつもいくつもあると思うと、今みえている世界もあやふやなものになっていくような気がする。
絶対なんてことはない。囚われていた心とか、あれこれ不安になっていることとか、どうでもいいねと思えます。
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わたしの好きな言葉に、ちょうどいい がある。
日高さんは、「ちょうどいい」を体現しているような人だなと思う。
論理を重ねられると、それを真実と思い込むのが人間だという
。それは学問でも宗教でも仕事でも伝統でもそうだ。
日高さんは学者としては変人扱いされていたようだけど、それでは学者としてマトモな人はどんな人だったんだろう?
様々な命がこの地球や宇宙で生きている。
それぞれが各々の形で一生懸命にその命を生きている。
そこに答えも法則も何もない。
人生や価値観も同じで、
何かキラリと光るようなひとつの答えなどなく、
ただそこにはざわめく音とまだらな色があるだけだ。
では、何のために生きているの?と思うけど、
それに対して日高さんは、楽しい・面白いイリュージョンを更新していくことだ、と言っている。
そのいきいきした瞬間にこそ、命を生きる輝きが写り込むんだろうとわたしは思う。
なんでだろう、どうしてだろう、と思うことを大切にしよう。
誰かに説明されて分かったつもりになるのでなく、
せっかくなら自分自身が、自分の観る世界のイリュージョンを発見していくほうが面白い。
人の意見は「いいかげん」に聴くというのは、
日高さんの、イリュージョン発見のコツなのかな。
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動物行動学者 日高敏隆さんによる軽い語り口のエッセイ。
ゆるい感じのエッセイだが、最後の講演録を読んだあと読み返すと
ピリっと大切なことが伝わってくる。
「思い込みから解放されよう」
著者の意図したこととは全く違うのだろうが、今の私に必要なこと。
思い込みを捨てて想像力を働かせなさい。
でも、本当のことは、それでも分からないものだけど、どうしてだろう?という
疑問を追究することは、毎日を楽しくする。
思い込みを捨てて想像力を働かせることは、他人にも自分にも優しくなることだ。
正直、昆虫についてはあまり興味はなく、「ふ~ん」って部分もあるんだけど
この先生の興味の対象が昆虫なだけで、置き換えれば全ての人に響いてくる内容だと思う。
そして、なにより、熊田千佳慕さんの表紙絵が最高に素敵。
文庫版のテントウムシは、見ているだけで和んで、優しい気持ちになれる。
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視野が狭い凝り固まった頭の私にはとても広げてくれる言葉がたくさん詰まった本でした。もう少し日々を何となくではなく、よく見て考えるように目を向けていきたいと思いました。
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日高さんと言えば、昔国語の教科書に文章が載っていた。それまで読んだ国語の文章の中で、1番楽しく読めたものだったなあ。
読んでいて、この方の頭の中と、わたしの頭の中は似ているな、って感じた。なぜ?って思って考えて、そして調べて……対象が生物と化学(もしくは医学)という差はあれども、やっていることはほとんど同じ。そして、こだわりすぎないあまりに、変わり者と思われそうなのも同じ…(笑)
でも、こだわりすぎない、って言葉は、ほんとに何にでも通じる箴言だと思う。わたしもこのことを、今まで以上に心に刻もう。今年度1番の読書をしました。20150220
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『世界をこんなふうに見てごらん』
柔らかい口調で書かれた本。
世界の見え方が変わっていく感じ!
自然とたわむれよう
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真理があると思っているよりは、みなイリュージョンなのだと思い、そのつもりで世界を眺めてごらんなさい。p33
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以前読んだ「世界が分かる理系の名著」で紹介されていた二作が登場。
子供の時に読んだら、理科が面白くなったかも。
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自分の考えに自信が無い。自分なりに調べてこうだと意見を持ったとしても、でもこういう見方もある、という思考がいつも頭の中にある。自分の中の意見や思考と、人の意見や思考を照らし合わせることで、より自分の思考を深めたいと思う。言葉になっていないことを言葉にしたいと思う。その一環として、読書をする。私は今、そうして暮らしている。
日髙氏は、以下のように述べている。
「イデオロギーや思想、システムといった大きいところから話をしがちだが、ひとつひとつの具体例の積み重ねでしか環境問題は動かないものだ」(p17)
「イリュージョンを通してしか世界が見えないのであれば、そのイリュージョンというのはいったい何かということを、もっとまじめに考えなくてはいけないと思う。」(p113)
「神であれ、科学であれ、ひとつのことにしがみついて精神の基盤とすることは、これまでの人類が抱えてきた弱さ、幼さであり、これからはそういう人間精神の基盤をも相対化しないといけないのではないか」(p202)
私はまさにその弱さ、幼さを抱えているなと思った。ひとつのことにしがみついているというよりも、そのしがみつける「何か」を探しているという状態だと思う。
「ひとつ」にしがみつくことは恐ろしいという気持ちがあって、ただ、自分自身の思考にも迷いや不安があるから、「何か」を探しているという感覚。
ある問題について、「正解」があるわけではない問題だと思っていながらも、でも、自分なりの「ポジション」を取らなければ、この社会の恩恵にあやかって生きている以上、「ポジションを取る事」や「考えること」から逃げるのは、楽だけれど大切なことから目を背けているようで、違うなと思っていて。ただ、あまりに向き合うのがきついときはそれを考えることから距離を置く時期もあって。結局、ズルズル考えるばかりで何も行動できていないじゃないかという思いと、できることからやっているじゃないか、できることをやるしかないんだ、という思いと。ごちゃごちゃ。
日髙氏は、自分がどうしたいのかを、きちんと受け止めて、(ご本人曰くいいかげんに)生きていたということか。
2022/12/1
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自分が学生の頃は、なぜを追求してはいけなかった…だなんて、面白い話があるものだ。とりわけ頭に残ったのは、論理さえきちんとしていれば人は妄説をも信じてしまうという話。それ故に、イマジネーションは幽霊を作り上げてしまう。論理的思考で説明不可能な箇所が、幽霊の存在する箇所だ。もう一つ面白いなと思ったのは、昆虫は自らの姿を見た事無いはず、しかし同種の雌に惹きつけられるのは何故かという話。人間だって鏡により自らを自覚し始めたのは最近ではないだろうか。水面に映る自分を意識したとして、そこに美醜を判断するほどの自我は芽生えようか。動物行動学者として、人間の理屈ではない生き様を、自らの研究姿勢と共に語ってくれる。頭を柔らかくしてくれる名著だ。
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いきものそれぞれに世界があり、人間が見ている世界にあるものは、実に他のいきものが見ている世界には概念がないのかもしれないということを知り、人間含め他のいきものが見ている世界に対する好奇心が湧きました。
私達が今見ている世界や常識とされている考え方は、実は本当の事とは限らず、時代が進むにつれて新たな考え方が出現し、また世界は更新されつづける。
世界は複雑だからこそ、もっと大らかに、柔軟に生きようと思いました。心が少し軽くなりました。
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動物行動学者の本。“科学的”と表現することへの過剰な信用、見つめ直すようなエッセイ。日高先生の世界の見方は、ワクワクする見方だ。「なぜ?」を大切にしたい。
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良かった。著者の考え方を伝えるエッセイ。
文体が自然で柔らかく、部屋で目の前にいる著者の話をうなずきながら聞いてるかのような感じだった。水々しく世界の不思議に目を向ける姿勢を失わないようにしたいと思った。
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「ネコはどうしてわがままか」「犬とぼくの微妙な関係」などの著者、動物行動学者、日高敏隆さん(1930.2.26~2009.11.14)著「世界を、こんなふうに見てごらん」、2010.1発行です。人間と人間以外の動物のたったひとつの大きな違いは「自分の死を考えないこと(知らないこと)」だと。人間だけが「死」を知っているんですね。母猫が死んでも、子猫はそばにじっといる。「星守る犬」の犬も同じでしたね。お父さんが死んでもずっと自分が死ぬまでお父さんのそばに。「死」と「美」の意識は人間だけのようです。
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ヤンデルさんのヨンデル選書にて購入。科学リテラシーなんて言葉すら吹っ飛んじゃう、本質的なものの見方。若い人向けかもしれないが、50過ぎのオッサンにもグサグサ刺さりました。
解説が素晴らしい、それ以上の感想がないくらい。