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おとなの中のこどもとの対話、思い出との対話を
絵本を絡めて紡いだコミック&エッセイ
冒頭のこどものわたしからおとなのわたしへの質問の部分を読んで、即買い。
絵本も紹介されているというのももちろんあったけど。
おとなのわたしが絵本を開き、
こどものわたしのちょっとにがい思い出やほほえましい思い出との対話が、
文章、コミックで織りなされていく。
おとなのわたしからすれば、
こどものわたしの小さな気持ちは取るに足らないような気もしてくるけれども、
そんな小さな気持ちを一生懸命大切にしているこどものわたしのおかげでいまのわたしがいて、
おとなのわたしの中にそんな気持ちを大事にできるこころがあるんだ、とやさしく語りかけてくる感じ。
息詰まるようなおとなになった自分を、こどものわたしつまり思い出が
そっと背中を押してくれることってあるな、と気づかせてくれる本。
益田ミリさんのなんとなくつつましい、見守りたくなるような世界観が自分は好きなんだと思った。
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森は生きているという本は思い出があって、小学校一年生の時に短期間だけど、入院したときに叔母がお見舞いにくれた本。
懐かしいのでまた読みたくなった。
同じ年の益田さんのエッセイは本当に共感ポイントたくさんで、だいすき。
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子供のころに読んだ絵本の原作を探しに、チェコまで行ってしまうなんて贅沢だな。
私も子供のころに読んだ絵本を読み返したくなった。
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しごとが「やすみ」の日の朝、やはり本屋をうろうろとして、ちらっとこの本見たら、むしょうに読みたくなり、出たばっかりで図書館にもまだあらへんやろうしな…と購入(図書カードの残高はあともうすこし)。益田ミリが「思い出の絵本20冊をご紹介しつつ、子ども時代のことをエッセイとマンガにしました」という本。
同じ大阪出身で同い年という、そこはかとない親近感のある益田ミリは、妹がいて(つまりは姉ちゃんで)、団地に住んでいたというあたりにも共通点があることがわかった。
読んだことのある本も、そうでない本もあるけど、この本を開いて思い出すこんなこと、、、、が書いてあるマンガとエッセイを読むと、時と場面は違うにしても、(あー、なんかそういう気持ちわかる)とか、(そういうことって、あったなー)とか思うところが、あちこちにあった。知ってる本は、私はこんなん思ったなーと、今の自分の「思い出」を探ってみたり。私も、自分が保育園~小学校の低学年くらいの頃に読んだ本を、思い出してみたくなった。
たとえば、『とこちゃんはどこ』。益田ミリが書いてるのを読んで、えっ、とこちゃんて男の子なのか?そんなんどっかに書いてあったっけと思った。私はとこちゃんのようなツバのある赤い帽子をもっていたから(この赤い帽子は、頭が大きくなってかぶれなくなってからも長いこと自分の引き出しにあった)、とこちゃんが自分のような気もしていた。でも、赤い帽子は一緒でも、私はやっぱりとこちゃんのように向こう見ずではなくて、どっちかというと慎重派で、それというのも、いつもいつも妹たちのことを「頼んだで」と親から肩をたたかれていたからのような気がする。
私は小さい頃に、どこではぐれたのか、家の近所の駅で迷子になって、駅前の交番のおまわりさんに手をひかれて、親が探して迎えにくるまで、駅の2階の手すりの間から駅前を見おろしながら、わんわんひーひー泣いていた、という自分の姿が記憶にある。3歳か4歳くらいの頃か。益田ミリは、迷子になった記憶がないそうだ。
『おおきなおおきなおいも』は、ひと筆書きみたいなこどもやおとなのかたちがおもしろかったのと、イモの絵を描き、イモを食って、さいごはブーブーと屁をこいて飛んでいく、というのがおもしろくてすきだった。
幼稚園のお友だちが亡くなって…というマンガは、保育園のときに妹の同級生で亡くなったエイジくんのことを思い出した。エイジくんは、交通事故で亡くなったのだったか。
子どもの頃に読んだけどタイトルを忘れてる本がある…という話では、小学校のたしか3年生くらいの頃に、学級文庫にも持っていったあれ、あれ、あの本、あれがまた読みたいと記憶を捜索中。
うっすら表紙は浮かぶのだが、タイトルが思い出せない。たしか訳本で、タイトルが何文字も連なって長くて(ゆかいなゆかいななかまたち、みたいな感じ)、サイズは『いやいやえん』とか『ふらいぱんじいさん』の大きさで、表紙ではネコやキツネ(?)など3種類くらいの動物が、あふれそうなスーツケースか何かの上で、飛んでいた…ような気がする。赤紫のような色が表紙か背表紙に使われ���いた気もする。絵は、擬人的ながらリアル風で、ピーターラビットのような感じだった。
▼大人になって読み返してみれば、つくり変えられている記憶にびっくりすることもあるのですが、それはそれでかまわないのです。思い出は、残しておきたいように残しておけばいいのですから。
絵本を開けば、よみがえってくる子どもの時間。
公園から見た夕焼け、泥団子を作っているときの冷たい土の感触、友達にゴメンが言えなかったときの気持ち。
もしかしたら、同じようにすり変わっている記憶なのかもしれません。でも、やっぱりいいと思うのです。それらもまた、大人の自分を守る「土台」になっているに違いないのです。(p.5)
いろいろ思い出してみたつもりが、本そのものの内容は半分以上忘れてるなと思った。実際、むかしの本を読みなおしたら、ぜんぜん違ってるかもしれへんなと思う。
(2/13了)
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子どもの頃の思い出と、好きな絵本の紹介。私も好きな絵本がたくさん紹介されていて、共感しながら読みました。
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絵本にまつわるエッセイ。
出てくる絵本はどれも今の子どもたちも読んでいるようなロングベストセラーなので、何だかこちらも懐かしい気分になる。
子ども時代の思い出が、大人になった自分を後押ししてくれることって確かにあると思う。
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子どもの頃の自分が蘇って、あぁまだまだあの頃の自分は生きてるな、あの時代があったからこその今の自分だなと思って、過去の自分も今の自分も愛おしくなりました(*^^*)
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作者が子供の頃に読んだ絵本やそれにまつわるエピソードが語られている。
よく昔のことまで覚えているな~と思った。
そういえば、私も「ぐりとぐら」は好きだったな。
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(2013年5月3日読了)
益田さんの描くゆるい絵が好き。益田さんは少し年下だけど、同年代。
小学生の頃のエピソードに共感し、大人になって思う事に共感し。
最後の方の、なぜ子供は危ない遊び(ブランコの三人乗りや、滑り台をかけのぼったり)をするのかの答え…「本当は大人も知っているんですよね。昔子供だったから」漫画の中の益田さんの様に、ふふっと笑った。
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この人は小学生の時に図書室でたくさん本に触れたのだろうな。そしてただ読むだけでなく、その話の中に入りこんで、彼女なりによく租借して理解して心に残したんだろうな。私も児童書は大好きだけれど、こんなに1つ1つの話をよく覚えていられない。何かを頭に入れたら何かが頭から出る。これ私の基本です。でも、懐かしかった。また読み返したい本がありました。
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独特の感性に癒されたり目からウロコだったりでサラっと読めるのに侮れないと思わされるのが益田さん。本書は益田さんが子ども時代の自分に語りかけながら印象に残った絵本について語るコミックエッセイ。知ってる絵本が沢山で嬉しくなる。『12のつきのおくりもの』は私も大好き。原書を求めてチェコまで出かけた旅日記も見どころ。他にも『がまくんとかえるくん』!益田さんには申し訳ないけど笑ってしまった。『まちがいケシゴム』未読だけど読んでみたい!一番最後、大人の益田さんのセリフ!素敵だ!私も子どもを安心感で満たしてあげたい。
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私も子どもの頃、絵本を読みながら空想したりしてたのかなぁ。今ではそんな記憶はすっかりないけれど、もしかしたらそうだったら嬉しい。泥団子作りはみんなやるんだな。懐かしいエピソード満載で読んでて楽しかった。
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イラストや漫画がふんだんに載っているけど、全体ではエッセイ集ですね。
イラストルポの文字は手書きです。
76ページの最初の科白、「駅というより●●●みたい」が読めずに苦労しました。一晩考えてやっと考えたのは、「駅というより人ん家みたい」?
家を「ち」と読ませる無理を通すなら、もう少し字を丁寧に書いてほしかったよ・・・。
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自分が子供の頃ってどうだっけ?と考えてしまう本。
記憶は自分の良いように塗り替えられる、それは悪いことでは無い。
何でも受け入れてくれる文章に、心が穏やかになります。
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ミリさんが子供の頃と対話する本かと想像してたら・・・
子供の頃読んだ本の紹介がメインの本だった(笑)
子供の頃は読書が苦手だったので登場する本で読んだ事あるのは「ちいさいモモちゃん」だけだった(逆にミリさんは読んでないらしい)
ちいさいモモちゃんは・・・自分的には怖い本だった
児童書でいいのか??って思う内容にとれた
(ちいさいモモちゃんまではいいんだけど、妹が生まれ、お父さんが家に帰ってこなくなり 歩く木になって出て行ってしまう→浮気>_<;こども心に怖い本だと思ってたよ~)
大人になって読み返したら 印象かわるのかなぁ
子供の頃出会った絵本を探しにチェコスロバキアへ旅したくだりがなかなか良かった