投稿元:
レビューを見る
028
作品と人をで合わせ、作品のついての理解を促す p12
芸術家とは、答えを示すのではなく、問いを発する人 p31
wah p146
投稿元:
レビューを見る
抽象的事象を言葉にすることは難しい.少なくとも一読して納得するような内容ではないし,数多の美術作品知識もなければ追い切れない.芸術的意図の説明に量子力学,脳科学,ネットワーク理論,宗教思想等々駆使しなければならない,という状況には納得するし,また芸術的一端をそれらで説明可能というのも興味深い.
投稿元:
レビューを見る
「キュレーターは、展覧会やプロジェクト企画の実現を通して、鑑賞者と作品を媒介する。作品と人を出会わせ、作品についての理解をうながすことを、主たる仕事としている。」
最近、現代美術展覧会に興味があって、ちょっとした時間をみつけて美術館に、本当に少しの時間だけ行く事がある。
長谷川氏によると展覧会だけでなく、美術館そのものの企画もキュレーターの仕事の一部になってきている。美術館に入ったところから鑑賞者は芸術体感の世界に取り込まれるように。
美術の世界もパラダイムシフトが起きている。3M「個人主義、資本主義、物質主義」から3C「共存、共有知、意識」。つまりモノから心の豊かさへ。
そして新しい体験を与えるのがキュレーターの役割への変化している。
「キュレーターの役割は、作品の選択やマッピング、文脈の形成だけでなく、体験の場をつくることであり、体験の精度を高めて行くプログラムを提供することである」
本書は多少論文的な文章構成となっており、とっつきにくいところもあるが、現代のキュレーターの仕事を的確に表現していると感じた。
むしろ一般の美術愛好家がわかりやすいようにカラーでいくつかの事例をもって解説した方が良いと感じた。いや、それよりも長谷川氏の「仕事」を鑑賞に行くのが良いかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
「退廃芸術」展 ナチスヒトラー耐性下
キュレーションと展示方法が時代と場のコンテクストによっていかに異なった効果、意味をもつかということの一例
関係性を見せる
マルセル・デュシャン
ジョン・ケージ
フェリックス・ゴンザレス=トーレス
リクリット・ティラバーニャ
触覚・味覚・聴覚
協働・ネットワーク
wah
アピチャッポン・ウィーラセタクン
表象(Representation)から提示(Presentation)へ
目的(Product)からプロセス(Process)へ
投稿元:
レビューを見る
キュレーターの長谷川祐子が綴るキュレーターの仕事と、アートに対する鋭い考察と現代の解釈。
金沢21世紀美術館学芸課長、芸術監督を経て東京都現代美術館のチーフキュレーターを務めている。私の大好きなジェームスタレルは、
理系的な頭でアートを解釈する。光の魔術師と言われる彼の凄さは、筆者も認める所のようだ。草間弥生も彼女の心を捉えた芸術家の1人。表現者がどのようにして、何を表現するのかをじっくりと見つめて、解釈をして、それを再構築することだ。
投稿元:
レビューを見る
コーディネーターの立場にいるから、キュレーターの立場、価値には共感できる。アートプロジェクト、展覧会を企画してるのがキュレーター。
日本のキュレーターのトップランナーの著者。東京都現代美術館のキュレーター、金沢21世紀美術館の立ち上げに携わった方。
展覧会に行くとして、そこにあるアーティストに眼がいく。どのアーティストを、どんなストーリーの中で選択するか、見せる環境をどのように設計するかとゆうところに、キュレーターの意志があり、価値がある。
時代、国、文化、政治を俯瞰して、社会に対しての考えを表明、問いを投げかけるものだと、思う。
何かと何かをただつなげるのではなく、それでは単なる事務調整屋さん。情報を編集して、発信する時に、そこに自分の意志、狙いがある。
それって、現状と課題とを認識してないとできないことで、高い専門性が実は必要なんだよなーと、思う。
著者の眼は時代、社会、民族性を俯瞰していてすごい。
抜き書き
・作品はそのまま存在するのではなく、鑑賞するという体験を通して初めて芸術作品として存在する。
どのような空間、文脈、関係性で見せられるかによって、体験は異なる。P22
展覧会やプロジェクトなどの実践を通して批評や思想の提案を行う、思索家でもあるのだ。
・キュレーターは展覧会や美術館を通じて、「パブリック」と明確に関係を乙。これに比べて曖昧なのが、「社会」との関係である。アートと社会の関係、アートとポリティクスとの関係は欧米や他のアジア諸国は非常に強いのに対して、日本は希薄である。
・・・・・キュレーターが展覧会やプロジェクトを通して社会に対して、ステイとメントを発する場合、それが思想的、美学的、美術制度の領域にとどまる場合と、それを超えて社会的な影響力を乙場合がある。その影響力と作用については国や地域によって文脈が異なるP91
日本においては、社会とのかかわりにおいて、ステイトメントの内容そのものより、展覧会を通しての教育、啓発経済効果の方が評価されやすい。キュレーターは、批評性や社会的コメントを別の形で視覚化する必要がある。
その一つは、場の活性化である。
・セクシャリティ=肉体的な性差
ジェンダー=社会的な性差
エロス=セクシャルティにまつわる表象や身振りからにおい
立つもの。
投稿元:
レビューを見る
アート界隈だからだろうか?名前は研究者ではあるが、感性で文章を書いているからだろうか?そういったいみでは、少し読みづらい印象を受ける。
でも、書かれているアイディアを確かに光るものばかり。アートの歴史を紡いで行く責任者として、モノを編集する力をもち、それを社会に発信するアーティストのような性格も持ちながら、研究姿勢も怠らないこの職業は、これからますます光り輝かなければならないだろう。
投稿元:
レビューを見る
現代アートのキュレータとして第一線で活躍している著者によるキュレーションとキュレータ論。自身のキュレータとしての経験に基づいて語られているので、近年、ますます多様な役割が求められているというキュレータの仕事についてイメージできた。
投稿元:
レビューを見る
芸術鑑賞をもっと楽しみたくて購読。本の中に何度も出てくるコンテクスト=文脈はキーワードで、キュレーションは物語を考えながら展示物を並べ非日常の空間を作る、とのこと。正直、入門書とは呼べず難しい語句もあったけれど、21世紀美術館と犬島の家プロジェクトには興味を持った。どちらも建物そのものとそこにいる人が合わさり、動的な作品となっていた。ちなみに本書のおかけで自分は21世紀美術館まで出かけることになった。これも作品と人を結ぶ一種のコンテクストか。鑑賞とは「見る」ではなく「体験する」ことだと知ることができた。
投稿元:
レビューを見る
長谷川さんはすごい。キュレーターがいないと、現代アートの展示は成り立たない、と言っていいと思う。仕事の領域が、想像つかないほど広い。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
鑑賞するという体験を通して、芸術作品はその都度立ち現れる。
どのような空間、文脈、関係性で見せるのかというキュレーションのあり様により、その体験は異なってくる。
その仕掛けを創造するのがキュレーターの役割である。
キュレーターは、巧みなテーマ設定や作品の選択、ディスプレイなどによって鑑賞者を誘惑し、心を揺さぶる“忘れがたい体験”を演出するとともに、展覧会などの実践を通じ、社会に対して批評や思想の提案を行う。
現代アートのキュレーターとして、海外のビエンナーレも含めて数多くの展覧会を成功させてきた著者が、豊富な経験を踏まえつつ、キュレーションの本質を論じる。
[ 目次 ]
キュレーターとは何か
新たな感覚のめざめ―アートを通した知覚の実験
アーティストとキュレーター―共犯者として、共同生産者として
異文化への介入
美術館建築とキュレーター
アートと社会をつなぐ
エロス、ジェンダー、セクシュアリティとキュレーション
物議をかもした展覧会
変容する観客
震える境界―アウトサイダー・アートとキュレーション
グローバル時代のキュレーション
experience/experiment/expert/testimony
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
投稿元:
レビューを見る
作者の知的・哲学的好奇心を満足させるために、芸術としての作品が制作される。その作品を体験することで、作品にふれた人を未知の領域に連れて行こうとするものが、「アート」とというものと解した。
キュレーターの仕事には、多分にリサーチの要素が含まれている。明確な目的、力強い簡潔さ、パッケージされた項目、分類がキュレーションの成果とされる。科学者の行う研究と共通するところだと思った。
美術館空間の多様性を、筆者は「新しいものを展示し、その意味を問いかける実験室(ラボラトリアム)、記憶の消滅に対抗するための作品の収集保管(記憶の保管庫)であると同時に、美術館は、非物質的なもの、精神的なものとの出会いの場所として、宗教的な礼拝の場所(教会や寺社)に比較されることが多い。」(p.78)と言う。他方、本書の文脈とは異なるが、大学に目を向けてみると、敷地内に実験室、博物館、美術館、礼拝堂を擁していることがある。また教育の場は教室が中心となる。こうした場を含んでいることは、大学という空間のユニークさやそれが持つ様々な機能を持っていることを思い出させてくれた。
学芸員という言葉は登場するが、単に「学芸」という単語は用いられていない。一読して、学芸の持つ多義性を再び認識した。
投稿元:
レビューを見る
キュレーターとしてご自身がどんな仕事をしてきたのか、心構えなどがカタカナと英語とをかなりの頻度で織り交ぜつつなに言ってんだかわかんない。
現代アートの話となるとうまく訳せないカタカナコトバや英語の単語なんか多いのだろうね。
この人アタマいーんだろーなーと思いながら読みました。
まあ、手がけられた展示はすごいのばかりでMOTでやったトーマス・デマンドは衝撃受けました。
投稿元:
レビューを見る
2016.07.20 アートの現場におけるキュレーションの実際が様々な視点から書かれており、キュレーションの輪郭を掴むことができる。しかし、キュレーションとは、極めて広い概念であり、これがキュレーションとはなかなか言い辛い行為のように感じる。ただ、理解力が無いだけかもしれないが・・・
投稿元:
レビューを見る
近代以降のもがきと小さな物語の成就とともに語られる。一昔前に一世を風靡した現代思想の言説を読んでいるようであった。まぁ一言で言えば、衒学的。
事例としては、中国の馬(人物)によるジェンダーを越えていく作品、ナチスの退廃芸術展が興味深い。
指摘としては、おわりに、での「それは何かを表象する-representation-から提示-presentation-へのシフトであり、最終的な目的(産物)-product-からプロセス-process-へのシフトであり、「関係性の美学」として語られる参加型ワークショップやパフォーマンスなどによって表されている。キュレーターの役割は、作品の選択やマッピング、文脈の形成だけではなく、体験の「場」をつくることであり、体験の精度を高めていくプログラムを提供することである。」の一文。