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学生のときに教わったはずの量子力学は、これまでの物理学とはあまりにも違っていて、とっつきの悪いものだったが、偉大なる科学者達の思考の集合体としてできあがったものなのですね。その歴史ごと丸呑みして咀嚼しないと、ものごとの理(ことわり)を理解するに至れないように思います。いちおしの1冊。
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量子論の歴史、具体的には19世紀末のマックス・プランクから20世紀半ばのジョン・スチュアート・ベル辺りまで、特に、ニールス・ボーアを中心とするコペンハーゲン解釈と「神はさいころを振らない」と語ったアインシュタインとの対立に焦点が当てられている。量子論の歴史とともに、量子論そのものを読者が理解できるよう工夫されていて、他の量子論の本と比べても分かりやすいが、それでもなお、腑に落ちない部分は多い。
登場する物理学者は、上述のほか、パウリ、ハイゼンベルク、ラザフォード、ボルン、シュレーディンガーなど錚々たるスター物理学者ばかりだが、これらの人の性格やエピソードが生々しく書かれていて、より身近に感じることができる。折を見て再読してみたい。
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ここ100年くらいの、物理学の華々しい世界?を通史する面白い本。量子力学そのもののイメージが湧く、というものではないが、錚々たる物理学者のパレードにぞくぞくしつつ読む。
が、とにかく長く、強烈な本。普段より大幅に読むペースは落ちた。それだけじっくりと自然に読んでいた。訳もよかったのだろう。
このシリーズはハヤカワの数理を楽しむ~同様、いいネタ揃い。次の本に向かいたい。そして専門書を何か読破したくなった。
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読了後、頭と胸の温度が上がった気がしました。量子力学の神殿を打ち立てた神々は、ギリシャ神話の神々のような、極めて人間っぽいドラマを繰り広げます。その中心はアインシュタインとニールス・ボーアの実存と解釈を巡る激しい頭脳戦なのですが、二人を取り巻く神々もお互いに影響しあいながら物理学を刷新し続けます。そう、この戦いの感動ポイントは相手の疑問に真剣に向き合うことで、さらに理論が更新されていくところです。自分の尊敬している相手に納得して欲しい、正しいかもしれないが本当にそうなのか?その応酬。そして、それは今でも続いているのです。自分が学生のころは、こと、量子論についてはコペーハーゲン解釈の圧勝的なイメージがありましたが、今、アインシュタインの評価の見直しがなされていることも知りました。「真実を手に入れたいという願望は、真実を手に入れたという確信よりも尊い」という言葉は本書のテーマそのものだと思います。真実を求め続ける人間たち、という存在にグッときました。
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昨日から読書中。今朝の朝日新聞書評でも取り上げられてた。やめられない止まらない。量子論発見に至る初期の足取りを丁寧に追っているだけでなく、有名な科学者達の人となりも生き生き活写されてて、大変面白い。学生の頃こんな本読みたかったな。
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実に面白かった。原著が面白いんだろうけど、青木さんの日本語訳も実にこなれていて読みやすい。教科書のいろんな定理や式で名前だけは良く知っている偉人達が生の人間として、その時代背景、歴史とともに浮かび上がってくる。二十世紀に量子力学の世界が出来上がっていく様子が実に生き生きと描写されている。量子力学を創り上げてきた偉人達も悩んでいたんだと分かると、自分が簡単に理解できなくても安心できてくる。また、アインシュタインとボーアの論争の本質や、その後現代ではどのような結論にいたっているかもしっかり記述されている。もちろん本書を読んでも量子力学の計算ができるようになるわけじゃないけど、少なくともその”心”が良く理解できる。大学で量子力学を学ぶ前に本書を読んでおくのを必須にすべきだと感じた。当時、ハイゼンベルグは”行列”を知らなかった、というのには驚いた。
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驚異のリーダビリティ。難しい内容をこれだけ興味深く書けるとは、科学ライターとして、サイモン・シン以来の著者だと思う。(訳者が同じ青木薫氏というのもあろうが……)。量子という概念の発見から、その発展を追うなかで、科学者たちの悪戦苦闘が描かれる。その紹介の仕方が巧みで、まるで三国志かなにかを読んでいるようだ。物理学という学問が「実在」をめぐる宗教論争のようになっていく過程、最初は抵抗をうけつつじりじりと「コペンハーゲン解釈」派が勝利を収めていくようすは非常にスリリング。近年出色の1冊だ。
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ミクロの常識を超える振る舞いをする量子の世界、その振る舞いに物理学者達も当惑し、どう解釈すればいいかと悩んできた。その学者たちの悩みと論争が実に活き活きと描写されていてひきこまれました。
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マンジット・クマール『量子革命』新潮社、読了。本書は量子力学の歴史を概観する一冊。学の展開を追跡し、人物像を理解し、その背景に潜む哲学を理解するには絶好の一冊。「実在」をめぐる物理学者の論争が本書の山場か。もはや物理学内部だけでは済まされない。類書は多いが本書はおすすめ。
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第1部 量子
第2部 若者たちの物理学
第3部 実在をめぐる巨人たちの激突
第4部 神はサイコロを振るか?
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ボーアとアインシュタイン。
量子が見つかってから、現在に至るまで。
よくわからんかったけど、おもしろかった。
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量子力学をめぐり対決するアインシュタインの実在論ととボーアのコペンハーゲン解釈。おもしろかった。学生な時に読みたかったなぁ。
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量子物理学を巡る巨人達の人間模様としてだけでも楽しめる。自分がアインシュタインとボーアの論点を理解できているか余り自信はないんですが。
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本書の4章で取り上げられているボーアの量子論的原子モデルの誕生から今年でちょうど百年.その量子力学の百年の歴史をボーアとアインシュタインの論争を中心にいきいきと描き出した本.
非常に面白くて,余暇の時間をつぎ込んで読みふけった.人間臭いエピソードが満載で,ノーベル賞級の天才たちがぎりぎりまで頭をふり絞り新しい理論を生み出していく姿にとても感動した.特にハイゼンベルクが師であるボーアに自分の主張を認めてもらえず,涙をながすところなど学者としてのすごい執念を感じた.本当に凄まじい.
一方,ボーアとアインシュタインの論争は私にはあまりに哲学的すぎ,なかなか難しかった.
先日読み終えた「ヒルベルト」では,20世紀初頭の物理学の発展が,ゲッティンゲンから定点観測されていたが,この本を読むことでその様子が立体的にわかった感じ.
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第一章 不本意な革命
量子という概念そのものがなかなか難しい。古典的な物理量が連続的で滑らかな変化をするのに対し、量子にはそれ以上分割できない基本単位が現れる。古典的な物理の概念では1と2の間は1.1、1.11・・・・といくらでも分割できるのに量子論では1の次は2だ。
最初に量子を発見してしまったのはマックス・プランク。加熱された物体は温度が一定であれば同じ色の光を出す事が昔から知られていた。この温度と色の関係を調べる黒体放射の問題を説明できる式を導きだしたのがE(エネルギー)=hν(プランク定数x波長)でありエネルギーは不連続な値しか取れない。この時プランクは原子の存在をまだ信じていなかった。「事態は悪化している。われわれは量子論と折り合いをつけるしかあるまい。しかも、量子論は今後さらに勢力を増していくだろう」
第二章 特許の奴隷
1905年26才のアインシュタインは彼の言う所の「特許の奴隷」になって3年が経っていた。この年がいわゆる奇跡の年で光電効果(光量子)、ブラウン運動、特殊相対性理論の3つの異なる領域の論文を立て続けに発表している。これに匹敵するのは1666年のニュートンだけだと言う。(微積分、重力理論、光の理論)新婚で生活のためやむなくスイス特許局に勤務していたアインシュタインだが、理論物理学者には実験室は必要なく、ここで特許の審査に必要な批判的に考え、警戒感を怠らない能力に磨きをかけた。そしてそれと同じ態度で物理学と向き合うことになったのだ。
光が波である事は知られていたがこの年アインシュタインがやったのは光そのものを量子化することだった。今では教科書に普通に光は波と粒子の両方の性質を持つとさらっと書いてある。しかし実際には原子が発見された後も光が粒子である事が受け入れられるまでには長い時間がかかっている。
第三章 ぼくのちょっとした理論
コペンハーゲン生まれのニールス・ボーアは門下から11人のノーベル賞学者を輩出したラザフォードに学んでいた。原子番号は原子核の電荷に等しいと言う説や後にノーベル賞を別の人間が取る事になるアイデアの発表はラザフォードに止められたが、アルファ粒子の散乱データーから原子核のモデルに量子を持ち込む理論を思いつく。
第4章 原子の量子論
ボーアのモデルはこういうものだ。正電荷の原子核と負電荷の電子は互いに引き合う。ではなぜくっついてしまわないのか?例えば惑星のようにぐるぐる回って遠心力で釣り合うと考えるのもうまくいかない。原子核を中心に円運動する電子はたえず放射を出し、エネルギーを失ってしまうからだ。原子核モデルに量子を持ち込むと言うのは電子が決まったエネルギーしか持てないようにすることで、基底状態の電子はそれ以上エネルギーを失うことはなくなり原子核に引き寄せられる事なく安定できる。学生時代にならって使ってはいたが未だにちゃんと理解できていない原子軌道はここから生まれたのだなあと少し恨めしい気分だ。
第五章でアインシュタインとボーアが出会い量子物理学は発展を加速する。プランクがいやいやながらに予測したように。そし���ハイゼンベルグ、パウリ、シュレーディンガー加わった。ボーア、パウリ、ハイゼンベルグは不確定性原理に基づき量子を確率的に表現する解釈を選ぶ。ハイゼンベルグは粒子と言う性質を表すために行列で量子力学を表した。それに対しシュレーディンガーとアインシュタインは量子の実在性を重んじシュレーディンガー方程式は波の性質を表したものだ。結局この二つの数式は等価であると言う事らしいのだがそれが理解できなくてもこの本の面白さには影響しない。量子と波の戦いはアインシュタインとボーアの哲学的な論争を生んだ。
量子の世界というものはない。あるのは抽象的な量子力学の記述だけである。 ニールス・ボーア
わたしは今も、実在のモデルを作る事は可能だと信じているー単なる出来事の確率ではなく、もの自体を表す理論を作る事は可能である。 アルベルト・アインシュタイン
シュレーディンガーの猫という有名な思考実験がある。猫が入った箱がありゆっくりと崩壊し電子を発生する物質が入れてある。電子を感知すると青酸ガスを発生する装置がつけられていてある時間が経った際に50%の確率で電子が発生するとしよう。この時間ふたを開けないと猫が生きているか死んでいるかは分からない。ボーアの解釈は生きた猫と死んだ猫が半々の確率で重なり合った状態というものなのに対してアインシュタインは開けたら分かる以上実在(死んでいるか、生きているか)を表現する方法があると考えていた。「神はサイコロをふらない」と言うのはこのころアインシュタインがボーアにあてて書いた手紙で使った言葉だ。ボーアの解釈を様々な思考実験で攻撃するアインシュタインとその思考実験の欠陥を見つけ持論を防衛するボーア。ついにアインシュタインはボーアの解釈を論破できなかったのだが量子力学は恐らく正しいが完璧ではないと言っている。
著者のマンジット・クマールがこの本のアイコンとして選んだのは1927年の第五回ソルヴェイ会議の出席者の写真。最前列中央にアインシュタインが座り招待された29人のうち最終的には17人がノーベル賞を受賞した物理学の黄金時代を象徴した写真だ。その招待状には「このたびの会議では、主に新しい量子力学と、それに関する問題を議論します」と書かれている。しかし講演者のリストにはアインシュタインの名前は無かった。「自分は話題が提供できるほど量子論の最近の発展に熱心に関わっていません。というのも、ひとつには、わたしはこの怒濤のような理論についていけるほど進取の気性に恵まれていないと言うことがあります。また、この新しい理論の基礎となっている純粋に統計的な見方を認めてもおりません」。また、ボーアも講演者リストには無かった。しかしこの時のアインシュタインとボーアの論争はその後も続き量子力学の新たな幕をあけた。