紙の本
威張りは滑稽
2017/04/24 03:40
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
権力者を笑い飛ばしていくところがミヒャエル・エンデらしい。みんなからの嫌われ者ノルベルトもどこか憎めなかった。
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ドイツでは、誰もが知っているエンデの名作。『モモ』『はてしない物語』の作者が贈るユーモラスな動物寓話。手に負えない乱暴者のサイのドラサイをどうこらしめるのか、引き込まれる作品。
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サイがあまりにも乱暴でひどいので、ちびちゃんたちは早々に読むのをいやがる。
サイの横暴さに対抗するため、近場に住む動物達は会議をひらくけれど、それさえもサイにめちゃめちゃにされて。
孤独を反省するのかと思いきや、なんと!な展開。
「裸の王様」のようなお話を思い描いていたので、この最後にはギョっとする。
みてみたいような、想像で充分なような。
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ファンタジーブームを引き起こしたといわれる今は亡きエンデ。
同じドイツの若いイラストレーターが絵本に。
ユーモラスな絵にアフリカの草原の乾いた風を感じます。
表紙裏もなかなか意味深です。
≪いばりんぼ よろいをぬいで 今はどこ?≫
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乱暴者でみんなに煙たがられているサイをどうしたものか・・・。猫に鈴をつけるような議論が行われ、取るに足りないような小さな鳥のアイデアが乱暴者を大人しくさせる。エンデらしい寓話的なはなし。
そこが物語として鼻につくと思ってしまう方だが、サイの銅像から出てきたものが結構面白かったので、まあいいか。
それにしても「ドラサイ」という名前がいまいちよくわからない。
なんで「ドラ」なの。ドラ息子の道楽でもないし、もちろん銅鑼じゃなかろうし。じゃあなんで「ドラえもん」なのと考え出すときりがないのでやめとくけど、もうちょっとイメージしやすい名前がよかったな。
※「ドラえもん」はどら焼きが好きだからね、と気づきました。じゃあ「銅鑼えもん」なのね。でもどら焼き好きって製造段階からインプットされていたのだろうか?など、やっぱり疑問が湧いてくる・・・。
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「モモ」、「はてしない物語」の作者であるミヒャエル・エンデの絵本。子供のために購入した。外見という鎧に守られて、心の弱さにきづかない皮肉なサイの姿は、人間社会でもよく見受けられる。サイはどこに行ってしまったのだろう?
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エンデの寓話。
絵本にしては文が多いけど、アフリカの乾いた空気を感じさせるアースカラーの素敵な絵本。
乱暴者で疑り深いサイに困った動物達のとった行動とは?
残された一羽の鳥が、乱暴者のサイにしたこととは?
自分の姿を客観的に見たらどう見えるんだろう?と考えてしまう作品。
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5歳8ヶ月の娘へ読み聞かせー
と思ったけど
まだ早すぎたね
ミヒャエルエンデだから
どんなんかなーと
気になって読んでみた
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自分の考えが1番正しいと思ってみんなを追払いら銅像になったサイ。
銅像の中から抜け出たサイはどうなった?
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本書は、『モモ』や『はてしない物語』といった児童文学の著者、ミヒャエル・エンデによる絵本であるが(2013年)、元は1988年に岩波書店から、絵がマンフレート・シュリューター、矢川澄子訳で発売されているため、本書は、絵をヨッヘン・シュトゥーアマン、佐々木田鶴子訳による、リテイク版と思われるが、表紙の絵を見るだけでも、結構印象が違って見え、改めて絵描きさん次第で、物語の印象も大きく変わってくることを実感させられる。
また、本書の迫力ある大きなサイズ感は、広く雄大なアフリカの景色ともよく合っている中で、登場するたくさんの動物たちの、玩具のブロックを思わせるようなカクカクしたフォルムが、どこかユーモラスで、のどかな雰囲気を醸し出しているのが面白い。
そして、そんな雰囲気は、自分勝手で横暴なサイの「ドラサイ」に悩まされている、他の動物たちが皆集まって動物会議を開くことからも感じさせられ、それぞれの意見に対して入るツッコミも印象的な中、そんな空気など全て無視するかのように、自分の知らない所で不穏な計画を立てていると思った、ドラサイの暴れっぷりには、まるで、話し合いになど全く応じずに、すぐ武力行使へと走る、どこかの権力者のようでもあり、そこから醸し出されたのが、ある種の人間不信のようにも思われたのには、却って憐れさも感じさせられ、私の気持ちとして、憎しみ以上に見ていてやるせないものがあった。
やがて、そんなドラサイと関わりたくないと思ったのか、他の動物たちは、皆、遠く離れた土地へと引っ越してしまい、残ったのは、独裁者ただひとりのみ・・・いや一羽だけ、ウシツツキの「ツンツン」が残っており、彼のせいでおこぼれにあやかれなくなったツンツンは、一つ、策略を実行するのだが、そこでのドラサイの姿がまた、自分のことを気遣ってくれているようで実はそうではない、裏切り者にまんまと乗せられている感が、とてもやるせなくて、そんな皮肉を込めて彼を讃えた言葉が、結果として、彼自身の首を絞めることにもなる(まるで表紙の絵のように)。
しかし、そこをエンデは、身も蓋もない終わり方にはせず、未来に灯ったささやかな希望を、ユーモラスに包みながらも見出せるものにしているのが、また印象深く、そんな彼の優しさこそ、実は、いつの世界に於いても必要な、とても大切なことなのではないかと感じられた反面、ドラサイの心の闇を、無意識に彼自身に痛感させるといった皮肉もやってのけてみせるのが、エンデたる所以でもあり、それらに潜ませた優しさと厳しさの両面から、是非、己自身の素顔に気付いてくれといった思いが、今の時代にも存在する、無慈悲な争いを引き起こす権力者たちの心にも届いて欲しいと、願わずにはいられなかった。