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ビルケナウで瀕死の女性が合図を送ってきた。手のひらには黴びた4つのパン切れ、辛うじて聞き取れることで、私に言った「ほら、これあげる。あんたは若いんだから、ここで起こったことを証言するために生きておくれ」私は4つのパン切れを受け取り、彼女の前で食べた。見つめる彼女の目の中には善意と自棄の両方があった。私は若く、この行為とそれを支える重みをどう受け取ればいいかわからず途方に暮れた 。私の人生は16歳で止まっている。アウシュビッツでは母と妹と見つめあうことも手を振ることもなく分かれた。ポーランド人のカポに聞くと、そっけない苦闘でこう言った「炎の吹いている煙突を観ろ、みんなもうあの中だ」私の人生はそこで止まった 。飢えと渇きにはモラルがない。飢えが私を食らいつくした。私が飢えとなっていた。私自身が渇きとなっていた 。ユダヤ人を絶滅させることで、ナチスは彼らの内なる神のきらめきを殺し、それをわがものとすることによって、神の地位を奪い取ろうとした。そこにたどりつくために、彼らが当てにしたのは、想像を絶していること、人間の忘却能力、そして世界の不信仰だった 。
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アウシュビッツやショアについて書かれた本はたくさんあるけれど、本書は特異な作品。詩のような短い文章で、死について…ではなく、光をめざして命を叫んでるような作品。必読。
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ハンガリーユダヤ人の数少ない生き残り。収容所で瀕死の女性が著者に4つのカビの生えたパンを差し出し、後世に伝えて欲しいと言った。
(参考)アウシュビッツ文学(記録)
フランクル 『夜と霧』(ドイツ)、プリモ・レーヴィ 『アウシュヴィッツは終わらない』(イタリア)、ケルテース・イムレ 運命ではなく(ハンガリー)