0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yoshiwoemon - この投稿者のレビュー一覧を見る
筆者の考え方を読むための本としては、「書きあぐねている人のための小説入門」とか、「新しい小説」「小説の自由」「小説、世界の奏でる音楽」の三部作などを手に取るといいのかもしれないけど、いかんせん、ちょっと分量が多すぎるし、小説をめぐっての思考という側面がつよいので、「実用」という意味ではとっつきにくい面がある。その点、この本はそうした「小説家的思考」を、一般的問題意識に敷衍して、広く浅くしゃべっている本なので、読みやすいし、点取り主義的な画一化された思考のパターンから一歩外にふみだそうとする人にとっては、良い入門書になるとおもう。ただ、保坂さん独特の嫌味が端々に利いているので、それがちょっと読む妨げになっているのだけど。
「考える」というと、一般的には「答えを出す」こと、ものごとを結論付けたり、客観視したり、要約したりすることだと思われがちだが、筆者はそうした姿勢をまず第一に切って捨てる。ここでくりかえし筆者が言おうとしているのは、「考える」ということはそのような「冷静な」態度ではなくて、もっと動的・可変的で「熱い」ものだということだ。
例えば〈ゴール〉があってそこへ向かって進むという様なことではなく、〈歩いている道そのもの〉を全て頭の中に叩き込むようにしてただひたすら歩くこと。それが筆者のいわんとする「考える」ということなのだと思う。
投稿元:
レビューを見る
考える事が大事だと知らぬ間に刷り込まれたのか、はたまた自発的に思い立ったかはわからないけどまぁ重要だってことには変わりない。
で、『考える練習』です。
とは言っても小説を書くための心構えだったり読書の仕方だったり、収束させずに拡散しろとか答えや証明なんてものはいらないだとか不安定な世の中を生きる術的なことまで色々書いてありました。
最後は「理想を実現するために考える」とこに落ち着くんですけど、理想っつったらアレしかないよな。
つーことでしっかり考えて行きたいと思います。
投稿元:
レビューを見る
私のような天邪鬼というか人生を斜に構えて生きている人間には、保坂氏の言葉はすごく勇気づけられるとコメントすると氏は閉口するのかな。(保坂氏が悪いのではなく、非は私にあるのですが。)でも、世間が信じていることをたまには疑ってみて、それを正々堂々と態度に顕すことって、人として美しいし強さを感じます。やさしい言葉で語られてはいるのですが、共感するところや考えさせられるところが多く、内容的には重量感たっぷりです。これからもへんこな親爺でいてやろうと意を強くしました。
投稿元:
レビューを見る
たとえば村上春樹に「何枚レコード持ってます?」って訊いて、「ずいぶんたくさんあるみたいだ。しかしまだ十分ではないとしか答えようがない」って云われて、「は?なに言ってんのおまえ」ってなったとします。
そんな村上春樹ってどんな思考回路してんのかを、噛み砕いて言語化してくれたような、そんなイメージの本です。
「考える」こととは、いつも決断を下すためにあるのではない。出来事をあるがままに一旦受け止める。本能的に感じた違和感を逃さない。いかにも正論だったり、あまりにも理にかなってたりすることに対して素朴な疑問を持つ。そもそも「意味」って何?みたいな疑問も持つ。ようなことをいうのではないかしらと思いました。
作家がべらべらしゃべくるタイプのこの構成は、普通に説明されたものが書いてあるよりかえって「考える練習」にもなる。
投稿元:
レビューを見る
ネットに情報が溢れ出る昨今。考えないでもわかった気になる時代である。そんな時代だからこそ読みたい一冊だ。第一講から、思考に「公式」は役に立たない、「わかった」と思わずに考え続ける、とくる。
実に多くのテーマを論考しているが、一貫して流れているテーマは、『学問は「頭」でするものではない、本当は情緒でやるものだ』という岡潔の言葉に集約されていると思う。保坂和志の文章は実に論理的なのだが、一方で「文体とはペンの動きやためらいである」とか、「小説を書くことは、最初の何フレーズかのメロディが与えられればあとは即興を引き続けられるっていうのに近いようなイメージ」であるとか、「辺縁的な観念を大事にする」とか、頭で生まれた観念をもとに言葉を紡ぐのではなく、五感で掴むリズムや音と、そこから生まれるライブの情緒を大事にしているのだな、と思った。
「文学は理屈ではなく芸術である」ということかなと。
共感した点が2つほど。1つは「理系と文系を繋ぐような本を書きたい」というモティベーション。もう1つは、ドラマ「ER」のように、物語の中に大きな視点と小さな視点のものが同時に描かれる群像劇が面白いってこと。そこで起こる問題は、見る視点によって大きくも小さくもなる。物事を多面的に見ることの重要性は、それに尽きると思う。
小説では伊坂幸太郎が得意とするスタイル。「あまちゃん」や三谷幸喜の映画や舞台もそう。登場人物全てのキャラクターに「人生」を与え、読み手がいろいろな立場で想像できる。小説を味わう醍醐味の1つであろう。
投稿元:
レビューを見る
保坂さんの文章を読むようになってから、「考える」についてこだわるようになった。まだ小説を読んでいないので、この本にも書かれている「プレーンソング」「残響」「カンバセーション・ピース」も読んでみたい。”解釈するのではなく経典のようにまるごと暗記するような読み方こそが強い””正しく蹴り続ける”弱い響き合い”小島信夫/磯崎憲一郎/中井久夫「微候・記憶・外傷」
投稿元:
レビューを見る
考える練習と、うたっているが実際は何も考えない練習なのかもしれない。結局、本題的なものはなく著者の意見の押しつけがだらだらと続いている感じがするのだが気のせいか。
頭から対談的に入っているのでところどころ矛盾するところが出てくる、そして、それが真だと作者は言いたいのかもしれない。
物事はどうともとりうることができる。他社がとやかく言っても自分が正しい事を思えばそれで良いと
投稿元:
レビューを見る
芥川賞作家が考えるとはどういうことかを若手編集者からの質問に答える形で書くエッセー。
経済的なものの見方を否定する形を取っており、それに対して当初は反発を覚えた読み進めるうちに確かに自分が毒されている部分も大きいと思えて来た。経済的な合理性が正しいとするのは概ね人が金銭的インセンティブになびくケースが多いということだが、当然それ以外の最後通牒ゲームに現れる公平性の問題も重視される訳で、あくまで個人の判断の問題。著者はそこを重視しており、多数の人がどう思うかではなく、自分がどう思うか、どう有るべきかを考えろと説く。
投稿元:
レビューを見る
「考える」というよりは「見る」というか、論理より感覚・経験というか、全体的には近代合理主義批判的トーンで、スローライフ志向の人は共感しやすいのかも。
確かに回収作業やどんでん返しはある意味不自然で下品だとは思うし、言いたい事は理解できるんだが、意味を求めて解釈するのが人間だから、そこまで否定しちゃうのもどうかな?って気はする。わからないってのは不安だし、そもそも言語化作業が知性化であるわけで。文学に知性は不要と言われればそれまでだけど。
あと、書き手と読み手のところで、批評家はクリエイターにはなれないとの事だが、小林秀雄は反対の事を言っていたような。この辺はどうなんだろ?まだよくわからない。
それにしても50過ぎた芥川賞作家が掲示板の書き込みチェックして心を動かされているという現実にはちょっと驚いたな。そういうもんかね?
投稿元:
レビューを見る
いいことがたくさん書かれてるんだろうなぁ,頭がいい人の本だなぁ,私にはかなり難しいなぁ,という感想。これがいちばん怒られるのだろうけど。
投稿元:
レビューを見る
なぜか保坂和志という人物が気になっていた。でも小説を立ち読みしても特に感じるものはなく、この本の帯に惹かれた。「『論理的』イコール『正しい』とは言えないのではないか?」の言葉だ。人を超えるのは論理ではなく情緒だとつねづね思っていた私にはグッと来て読んだが、全体的に自分を鼓舞してくれる本だったと思う。著者はとにかく革命を夢見ている。既に出来上がってしまった論理に支配されたこの社会と闘い、ほんとうの幸福が得られる世の中を。最終章の「考えるとは、理想を考えること」という言葉にそれがいちばん現れている。
投稿元:
レビューを見る
「アカウンティング基礎」の講師が紹介していた本。考えるとは何か?独特の考え方が紹介されている。
・本を読むときにストーリーがすっと入ってこなかったり、話に繋がりを感じられず「こういうものを読んだ」という意味に還元できないと、何時間も何日も無駄なことをしているように思えてきてしまう。得ているものを数え上げられないと、いつしか投げてしまいそうになる。しかし言葉にならないからといって何もしていないことにはならないし、言葉になることが何かをしたということにはならない。その瞬間瞬間の言葉にならなさに気づくこと、
単純化した意味に還元できない状態、要約することのできない状態を見つめること。泣けたり、分かりやすい感想を言えるから読んだ意味があるわけでもなければ、うまい言葉で感想を言い表せない状態の続く読書をしているからといって意味がないわけでもない。
→否定もしないが賛成もできない。本には読むべきタイミングがある。自分なりの咀嚼ができ、言語化して学びに繋がらなければ、それは私にとって読書とは言えない。
・本を読むからには結論は何なのかというマス目を埋める答えを知りたい。だから、公式を使えるようになりたいってなってしまう。
→結論を見つけることが目的にしてはいけない。それを読んで、結論に対して自分はどう思うのか、見せられている公式は自分はどこでどう使えそうなのか持論化することが肝心。
・考えるっていうことは、すごく寄り道も多いし、行き止まりにぶつかることも多い。
→エッセンスだけ書かれたものは血肉になりにくい。わかりやすい教育は時に人から考える力を奪ってしまうとこともある。
キーワード:考えた結果、全てが答えにたどり着かなくても、それは考えていることになっているから安心しよう
投稿元:
レビューを見る
小説、小説論、エッセイなど、この作家の本はわりと読んできたと思うが、この対談形式の、話し言葉で書かれたものは、今までの私の持っていた作家のイメージとは、ちょっと違っていて、最初慣れるまで違和感があった。
わかりやすい言葉で書かれているが、どんどん読み進むというわけではなく、いちいち読むのを止めては「考える練習」をしながら読んだ。そういうふうに読むようにできていたと思う。
ハッと気づかされることが、たくさんたくさん書いてあった。目次を抜き出そうかと思ったが、どれもこれも抜き出したくなり無理。そばにいつも置いて、たまにチラチラ見たい感じだが、これは図書館の本であった。購入するべきだろう。
一番印象に残ったのが、ペットショップの話というのが自分でもどうかと思うのだが。
投稿元:
レビューを見る
考えて答えが出ないことに失望しない、簡単に答えをださない、他人の受け売りをしない。
答えが出ない中の悶々とした葛藤にいることこそが、「考える」ことであり、
答えを出すことよりそのプロセスに意味がある。
答えはずっとでないのかもしれないし、たいした意味はないのかもしれない。
考えること、葛藤することを応援してくれる本。
投稿元:
レビューを見る
面白い。
考えるとは全方向に向かうものではない、答えが出ないモヤモヤも引き受ける、そんな「考える」が面白い。