投稿元:
レビューを見る
東大の准教授である筆者がハマっているももクロについて
様々な観点から分析し、ももクロの良さをひたすら説明しています。
様々な書物やアイドル分析本などの見解も交えつつ
現在に現れたわけのわからない奇跡=ももクロについて
最後までテンション高く語っています。
まあ読んだ上での率直な感想としては
この人本当にももクロ好きなんだな~と思いました。
准教授なのでそこそこの年齢のはずですが、
ここまで熱くさせてくれるのもある種すごいな~と
改めてももクロの凄さを感心しました。
まあここまで分析せずとも何となくすごい位の
感情でもよいと思うのですが、
教授だけにこんな感じになってしまうだろうなと思うのでした。
ジャズフルート奏者でもあるらしいので、
もう少し音楽的アプローチもあっても良かったかもです。
曲のジャンル分けと前山田氏をほめているだけなので。
尚、筆者はあーりん推しなんだそうです。
投稿元:
レビューを見る
文化人によるアイドル評論ってのはよくあるパターン。
「言い過ぎ」って思える箇所も多いけど、人がアイドルに魅かれる理由を多方面から説明できてると思う。
「ももクロ」に他のアイドル名を代入しても、たいてい当てはまってしまうところが、最大の発見だ。
日本人は特に未完成なものに魅かれるのだそうだ。だからこそ成長を応援できる存在がアイドルにふさわしい。
たしかに。
「宵待月」である「14番目の月」を愛でる感覚は誇らしい。でも、それと「ももクロ」のファンはとっても違うような気がするんだけど。
投稿元:
レビューを見る
著者のももクロへの深遠なる愛がひしひしと伝わる。
今までのアイドル像や流れといったものをハイブリッドしたのがももクロ。その結果いろんな自己矛盾を一見抱えていて“わけのわからない”ももクロだが、その“わけのわからなさ”が人々を惹きつけて止まない魅力だという。
ももクロに限ったことではないが、近年のアイドルはたしかに“近い遠さ”がキーワードになってる気がする。それはまあ幻想であって、決して縮まることのない距離感にすぎないんだろうけど。
アカデミックな価値は決して高くないかもしれない。けれど、今後のアイドル論を展開していく上での良き叩き台とはなるだろうし、ひとりの学者である以前にひとりのモノノフとして、自身の知識や思考を結集させてももクロを紐解こうとしたその熱意には頭が下がる思いだ。
投稿元:
レビューを見る
ももいろクローバーZという【アイドルグループ】について、東京大学大学院准教授が書いた論文(?)とでも言おうか。当然、論文なので途中何を言わんとしているかサッパリ分からないところもある(笑)。
ただ、ひとつこの本を読んで分かった(改めて実感した)ことは、やっぱりももクロは『今会えるアイドル』なのである。いや、会うことはなかなか叶わないが、CDで曲を聴くよりも、PVでの映像を観るよりも、ライブ会場で空間と空気感を共有してその瞬間をともに過ごす、それがももクロの正しい楽しみ方なのだろう。
祝♪春の一大事2014 @国立競技場 開催決定。チケット当たりますように。
投稿元:
レビューを見る
僕はモノノフである。しかし、なぜももクロに惹かれるか、自分では上手く説明出来ない。それをきちんと説明してくれる本です。ももクロのチーフマネージャーも自身のご両親にももクロの説明をする際、本書を利用したらしい。
先日、著者の安西氏が急逝した。ご冥福を祈る。
投稿元:
レビューを見る
2013年刊。著者は東京大学文学部大学院人文科学研究科准教授。◆アイドルグループ「ももいろクローバーZ」ファン(自称はモノノフ未満とするが…)の著者が、彼女らの特徴を解読しようとする書。◇ノンセクシャル(女性性の後景化)、体育会系パフォーマンス(ブラフに見せない。ライブ重視。ファンとの一体化とそそられる庇護欲)、過程の重視(成長・変貌)、アイドル・演歌・アニメーションのごった煮(集大成)等と要約可能か。◇マーケティング観点からの書を読みたかったが、美学芸術専攻の著者のジャンルではなかったかも。
◇正誤は別にして、ここに書かれていることくらいが、もっと詳しい人に教えてもらうための予備知識のようなものなのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
東京大学で美学を講じていた著者が、ももいろクローバーZの魅力について論じた本です。さまざまな美学思想が参照されていますが、それらは基本的には衒学的な「遊び」だとみなすべきでしょう。著者があえて「好きなもの語り」のスタンスにとどまろうとしているところに、むしろ好感を覚えました。
著者は、ももクロの楽曲のうちに日本の芸能史のさまざまな引用がちりばめられていることを指摘しながらも、それらに明確な批評性はなく、「対自的」であるよりもむしろ「即自的」であると指摘します。また、ライヴにおける彼女たちの身体パフォーマンスに引き込まれることで、「セカイ系」から「サヴァイヴ系」への脱出する突破口を示しているところに、ももクロの魅力を見いだそうとしています。こうした議論は、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)や『日本文化の論点』(ちくま新書)でAKB48について論じた宇野常寛の議論を踏まえたもので、こうした文脈のなかでももクロが論じられることの必然性は理解できます。
ただ、こうした魅力のうちにひそんでいる陥穽にも目を向けるべきではないかという気がします。著者は、丸山眞男が「歴史意識の「古層」」において日本文化の執拗低音である「つぎつぎになりゆくいきおひ」について批判的に論じたことを参照しつつも、ももクロの楽曲や身体パフォーマンスのハイブリッドなありように目を向けることで、丸山の議論に基づく批判を回避しようとしています。ところで、著者がやや唐突にも思えるような仕方で丸山の議論をとりあげているのは、おそらく椹木野衣の「悪い場所」に関する議論に基づく批判が著者のももクロ解釈に対して投げかけられるであろうということを想定したうえでのことだと考えて、ほぼ間違いないでしょう。しかしながら、ポストモダンとプレモダンが直結してしまう「日本という場所」において、批評性を欠いた即自的な自己言及や、ライヴにおける身体的な一体感を手放しで称賛することには、戸惑いを覚えます。
投稿元:
レビューを見る
分別のある大人が、なぜももクロを好きになるのかという理由を高尚な視点から論じた言い訳本です。
ももクロファンであれば一読をお勧めしますが、何かを好きになるのに理由なんていらない、これが正解のようです。
いや、好きだから好きというのが本当の理由か?
個人的には、ももクロの魅力は「全力」から来るものだと思う。
大人(運営サイド)からの無理難題を、文句を言いながらも見事に全力でやり切ってしまう、そして、試練の末に必ず何かを得て(自信だとか、ファンとの絆とか)、最後は感動の涙を流す少女たちを放っておけるわけがない。
自分たちの弱さをさらけ出し、それを自虐ネタにするしたたかさとかわいらしさ、本書では「親戚の子みたいな身近さを感じる」と表現していますが、確かに守ってあげたいと思わせる何かを持っています。
実際、彼女たちは自分の欲望に忠実であり、その欲望とアイドルとしての覚悟との間を真剣に悩む姿は、2次元ではない生身の人間として共感できます。
遊園地ロケでジェットコースターが嫌いなれにちゃんは鼻水を流しながら乗らないと駄々をこねたり、テレビ企画での「こってり探検隊」でのあーりんとしおりんはアイドルなのにそこまで食べて大丈夫?と心配するほど後先を考えずに爆食する様などは、もはやお笑いタレント並みのパフォです。(いつも食べ過ぎのあーりは母親から爆食禁止令がでているようですが・・)
まあ、これだけなら色物アイドルとしての立ち位置なんでしょうが、本業のライブもすごい。
しかもライブは企画ものが多く、連続公演でも同じ出し物はやらないという徹底ぶりです。
もちろん、彼女たちの全力生歌と激しいダンスにも感動するのですが、特にサイリウムを使ったモノノフとの一体感はコンサート会場に足を運んだ人ならわかりますが、壮絶の一言です。
コンサート開演前には、自作グッズを無料で配ったり、推しメンアイテムを交換したりとファンのコミュニティーが自然にできており、しかも彼らは節度と親しみを失っていません。(みんな笑顔です)
ファンがももクロを支え、彼等もまたももクロの頑張りに励まされるという形が成立しているわけです。
そして、他のアイドルグループと決定的に違うのは、ファン層の広さです。
老若男女問わずコンサート会場で一心不乱に応援する光景は感動的ですらあります。
本書で最も感心した分析は、ももクロはセクシー路線を封印することで、男性からのいやらしい目線への媚びがなくなり、オヤジが応援しても気味悪がられない雰囲気を作り、応援という行為がより純粋になる(P146)という指摘です。
投稿元:
レビューを見る
洋楽のロックをメインに聴いてきた俺が、この齢になって、今年の春、放送された「ホンマでっか!?TV」「はじめてのモモクロ」を観て、すっかりハマってしまった。CDも買い集めてヘヴィロテで聴いているし、ライブ映像はBlu-rayで2010年から順番に集めて、いま2013年まで追いかけている。著者が引き合いに出す用語からしてチンプンカンプンなのだが、何故ここまで入れ込んでしまうのかを説明したかった熱意は伝わってきた。ただ「ゴチャゴチャ言ってないで、あたしたちと楽しめー!」という煽りが聞こえてくるように思えたw