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どう言ったらいいのか…、老害極まれり…。
北城尚子の物語としては、本編24巻を完全に叩き潰す意味で、怒りしか感じなかった。
飛島が描いた菩薩のようなナッキー。それと真逆の本巻でのナッキーの心理的葛藤は一体何なんだろう?。
次に岩崎の件。確かに、岩崎が別の女性と結婚するのは別に構わない。大学卒業時の恋人と添い遂げる必然性は何もないからだ。が、本編15~19巻で展開した、岩崎・沖田2人の弱さ・強さがない交ぜとなった葛藤と行動を踏まえれば、岩崎がナッキーと決別するには相応の心境変化過程を描く必然性があろう。
ところが、これが皆無。
百歩譲ってナッキー目線での描写にしても、この話では感情移入できない。なぜなら、ここまで積み重ねた時間を、こんな形で踏みにじった女(ナッキー)に対しては、岩崎は大人としての振る舞いができたとしても(例えば感情を殺して知人として振る舞う。)、感情やそれを前提とした行動面には寒々としたものが残る(わざわざ接触しようとは思わない。悪たれ団は解消する)。
これくらいでないと、感情の襞を描いたとは言い難いだろう。この描写なら、ナッキーは岩崎が全然好きではなかった、という方がよほどしっくりくる。本編24巻は「若気の至りだった」とナッキーに言わせた方が、好き嫌いは別にして、物語としては納得できるのだ。
まぁ、そうだとしても本編24巻で感じたカタルシスは完全に叩き潰れるだろうが…。
ナッキーへの岩崎の想いを知って事実上身を引いた初音の涙に穿ったものを感じてしまうのは、私がやさぐれたからか…。
ところで、竹宮ゆゆこ著「とらドラ」で、女の、振った男に対する、心ない友達然とした(かつ自然な)振る舞いに、男の怒りと悲しみが描写されたが、本作はそれとは対照的な薄っぺらさだ。
最後に、リサーチ不足の面。発達障害と教育とは現代では切り離せない点で、教師編で描かなかったこと自体、著者のリサーチ不足を感じていた。そして、それを描いた本巻のとってつけた感に絶句せざるをえない。
発達障害の問題は、社会性に難のある性格傾向と学校という多数人が集合するシステムとの乖離にあり、現状では、原理的に覆滅が不可能ないし極めて困難な問題である。
そういう中で、個々日常で生まれる問題が、教師・保護者・本人あるいはそのクラスメートに葛藤・闘争・混乱を生み出してしまうという点にある。
「光とともに…」がこの葛藤を実に丹念に描いていた。
これに比べ、本作の、発達障害⇒能力的偏り⇒絶対音感⇒英語や音楽、という安直な構図は、ホントに許しがたい。他人に優越する能力を持たなかったり、又は知的能力に劣る発達障害・自閉性障碍者(絶対音感等優越的能力を持つものは極少)の問題を真剣に考えている者としては、怒りしか感じなかった。こんな安直かつ誠実さに欠ける内容なら、情報としてすら流布されることすら避けて欲しい。
それにしても、沖田、沖田…。個人的に沖田は好きなキャラだったが、ここまで死者崇拝するナッキーが「大人」とは鼻白むし、沖田を嫌いになりそう。