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今でも世界中を旅するのは大変だ。住んでいるところから相当離れたところに行くのも大変だ。それを100年以上も前にやってのけた人たちがいると聞いて驚きのn乗だ。
開国直後から明治時代にかけて日本の都市部や東海道や中山道を旅するようなタフな方まで登場する。旅する目的はそれぞれとして、筆者は4つのタイプに分類している。1.芸術系(日本に来て写真を撮りたい、絵を描きたいために来日する)、2.蒐集系(日本の美術品や動植物の蒐集のため)、3.研究系(何らかのテーマを持って調査研究する)、4.執筆系としている。
最近、世界遺産に登録されて話題になっている富士山だが、明治時代に来日した外国人にも人気があったとある。富士の山は時代や空間を超えて人を魅了するものがある。
外国から人が来ると日本語が理解できない人のための通訳ガイドが必要になり、ガイドの団体が結成されることとなる。1879年に結成された民間の開誘社と、1893年に公的な団体である喜賓会が誕生した。この当時の通訳ガイドの方々はどのくらいの語学力があったか興味がある。
外国人の旅を切り口にして日本を見つめると新たな発見がある。なかなか貴重な歴史の側面が垣間見られて好奇心がわいてきた。
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半分すぎぐらいまで読んで返却
イザベラ・バードに限らず
多くの外国人が
今のバックパッカー(もっと豪華?)みたいに
明治日本を旅していたのか
当時の旅の様子もわかって
興味深い
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ヴァルヌの「八十日間世界一周」の影響で世界中で旅行客が増加。
明治の日本にも様々な外人が歩いた。イザベラ・バードが有名だが、探検というより観光旅行だった。
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お大尽な旅行家たちの様が面白い。
ビスランドとブライの女性記者による世界一周早足競争の悲喜交々は初耳話。
サヴィジ・ランダーの傷だらけの1890年蝦夷地の旅は、日本語話せずの徒歩と馬による色丹含めた北海道一周は凄すぎ。
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