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子育てに思春期の子供。更年期に親の介護。
そして犬ときた。比呂美さんは私の人生に寄り添っていてくれる。
もう20年来のお付き合い。
私も犬達と暮らしてるが、子供が大変でつらいとき、子も親も犬達にずいぶん救われた。
自分が更年期でも犬達は散歩を待ってる。
ボケかけて弱ってきた父も犬には興味を示し、人間相手のように話しかけかわいがる。
いろんなことがありすぎて、頭がぐちゃぐちゃになっても、犬と散歩に出るとすっきりする。
ねっ比呂美さん、面倒見てるふりして、ずいぶんたすけてもらってるよね。
犬の老いは早くてせつないけど、私も比呂美さんのようにしっかり受け止めて、いつの日か見送ってやらないとね。
子供が巣立ち、両親を看取り、タケを見送り、この後、比呂美さんの愛情はどこに向かうんだろ?
小さな犬2匹と淡々と暮らせるか?
まだまだ枯れずに燃える比呂美さんを楽しみにしてる私。
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伊藤比呂美さんが、老いていく父と老犬を見つめ、その死の前後を綴ったもの。伊藤さんというのはまったく、いつもいつも、とっちらかったもののただ中で生きているのだなあとつくづく思う。家も、人生も。
生活も人間関係も「きちんと片付ける」ことなどできるものではないし、そうしていると思い込んでいるときには、どこかに汚いもの、はみ出したものを隠して口をぬぐっているに違いない。
年の離れたアメリカ人の夫、三人の娘、遠い熊本に一人住む父、これだけではまだ足りないとばかりに伊藤さんは何匹もの犬を飼いインコを飼い、そのすべてに心を注ぎ、でもどこか上の空である。
私は子どもの頃から犬が苦手だ。だからよくわからないのだが、犬好きな人がこれを読んだらやっぱり「愛犬物語」として読むのだろうか。
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愛犬と父親との最後の時間を重ね合わせながら書かれているエッセイ。
愛犬への思いも、父親への思いや後悔へも涙するものがあった。
ただ、避けては通れない事とはいうが、あまりにも下の世話の描写が多く、そこまで書かなくても想像はできるので不快な気もした。
ただ、自分の愛犬とおもえば、そう不快ではないといいう事も分からないではないが…。
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犬2匹が家族だった経験有りですが、泣けなかった。てか、泣いてもいい場所がわからんかった。それぞれだし、ね。タイミングとか。などと、イイワケしてみる。
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著者がカリフォルニアの自宅で飼っていたシェパードのタケを中心に、愛すべき犬たちをつづる。
ヤンチャで力もあり、飼い主を翻弄し、楽しませてきたタケも年をとり、少しづつ衰えてゆく。伊藤氏は、そんなタケに九州で愛犬(介護犬?)ルイとと二人きり(?)で暮している、年老いた父の姿をダブらせる。アメリカと日本という究極の遠距離介護のすえ、父親は幸せに亡くなる。残された父親のパートナー・ルイも引き取り、今度はカリフォルニアで愛犬タケの最期をみとる。
訓練されたシェパードと、老親がただ一人身近に温かみを感じる事の出来る存在として、最後のパートナーとして生きてきたパピヨンのルイは、正反対の気質。そこにもう一匹、小型犬のニコ・インコのピーちゃんと犬嫌いのアメリカ人の夫、娘のカノ子・トメ。それそれがそれぞれの形で犬たちを愛し、関わってゆく。
伊藤氏の子育てエッセイを読んだ事がないので、娘さんたちの名前と犬の名前が最初のうち、こんがらがってしまい(失礼)頭を整理するのがちょっと大変だった。
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老犬介護を主にしたエッセイ集。
犬を飼っている人間にはずんと来る内容だった。今まで飼ってきた犬たちの最後を思い出してしまった。
今、飼っている犬も、どうしてもこちらより早く歳をとってしまうんだけど、精一杯かわいがってあげたい。
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犬は子どものころに飼ったきりなんだけど、犬のいる生活というのがリアルに伝わってきた。
伊藤比呂美は女の生理でも子育てでも老化でも介護でも、包み隠さずその奥深いところまで曝け出し、それでいて醜く感じさせないという才能を持っているけど、これも、子育てや介護同様、犬のいる生活の大変さと、それがあるからこそのいとおしさがびんびんと伝わってきた。
老いた父が飼っていたルイという犬が憑依して語ってるとこなんか、わんわん泣いた。
糞尿の話が多いので、そういうのが苦手な人は読めないと思うけど、人間も動物も糞尿にまみれて生まれ、死んで行くんだなとしみじみ感じ入った。
異常に潔癖で、汚いものは見るのもいや、って人は、ある意味ちゃんと生きてないのかもね。
それにしても・・・犬の排せつのしつけがこんなに難しいとは知らなかった。(犬種にも因るのだろうけど。)
猫は、すぐ覚えて、他のところではしない。トイレが汚いとか、ストレスがあるとかで、違うところでしてしまうことはあるが。(但し、げろはところ構わず吐きまくり。臭くないけど。)
いやあ、もう犬は飼わなくていいか、と正直思いました。
伊藤さんちはカリフォルニアで、家も広いし、乾燥した気候だから水でざぶざぶ洗ってもきちんと乾くだろうけど、日本の狭い家でこれだったら、ほとんど地獄。
これから犬を飼いたい人は読むべき。安易に買って捨てる人が減っていいと思う。
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タケ、ジャーマン・シェパードっていかにも怖そう。
でも、ものを投げれば追いかけて行かざるおえない犬心。
タケがだんだん年老いて弱り、息絶えていくとこは泣きました。
犬、飼いたいな。
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昔からこの方のエッセイのファンです。もちろん詩からはいったのですが・・・詩を書く人だからか、文章にもリズムがあって、読んでいて楽しいし、スラスラ心に届く。独特なユーモアも好き。愛があるという感じがする。
この本は、ユーモアは控えめ。テーマが重いからかな・・・私は動物を育てたこともないし、親の介護も経験がない(近い将来あると思うが)から、想像でしかないのだが、命について考えさせられた。何年か経ったらまた読みたい。
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自分の老いた父親と、老いた犬との最後の暮らしを重ね合わせた本。悲しい。でも…この気持ち、なんだろう?
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【老犬タケとの別れ――。いのちのものがたり】14年間ともに暮らした愛犬タケ(ジャーマンシェパード)との最後の日々……。重なるのは日米間で遠距離介護をしていた父親の姿だ。
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図書館の本 読了
内容紹介
14年間ともに暮らした愛犬タケ(ジャーマンシェパード)との最後の日々を綴る。足が弱くなり階段から転げ落ちるタケ、寝相がどんどん死体っぽくなるタケ、寝たまま排泄するタケ……重なるのは遠距離介護(カリフォルニア⇔熊本)をしていた父親の姿だ。
1978年『草木の空』でデビュー、1985年『良いおっぱい悪いおっぱい』で、「子育てエッセイ」という分野を開拓した著者が一貫して追い求めてきたテーマ、性と生殖、そして死。『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』『 女の絶望』『 読み解き「般若心経」』『 閉経記』に続く、生きざま、死にざま。いのちのものがたり。
初めての作家さん。
でもなっとな文章多数。
最初は「うんち」連発でどうしようかと思ったけれどそれがだんだん重くなるというエッセイ。
彼女のものはもうちょっと呼んでみたくなりました。
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カリフォルニアに住む著者。本書は、14年間をともに過ごしたジャーマン・シェパードのタケが老い果て、晩年の介護/看取りの様子が中心に描かれたエッセイ。愛犬への慈しみの中に、熊本に住む実父の遠距離介護や父母の死の経験が重なり、想いが伝わってくる。
だけでなく、今を大切にするひたむきさも。
家族・他2頭の個性豊かな犬たち(+インコ)との生活、繰返しの日常をよくよく見つめ、「いのち」に実直に向きあう著者のメッセージが、心の奥底に響く。
しめっぽさのない、リズム感ある伊藤比呂美節は、笑いがあり、強さがあり、その中に優しさが滲み出ていて、深い。
言葉が胸に迫って、涙して、何度も読み返しているところです。
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タケが生きるということも、私が引き受けなければ、誰も引き受けてやれないのだった。だれかの「生きる」を全面的に引き受ける人。それが「母」の定義なのかもしれない。それで、獣医でも、訓練所や犬のホテルに預けて引き取りにいくときも、そうだ、今までに何回も私は名乗ってきた。
「タケの母です」(アイ アム タケズ マム)(p.183)
犬との生活は、ほんとに何も変わらない。何年間も同じものを食べ、同じところを歩き、同じ期待を、同じ頑固を、同じ仕草をくり返す。寝て起きて、また同じ日をくり返す。よくよく見つめれば、人間と同じように、死が浮かび上がってくるし、裏返しになった生も浮かび上がってくる。とくにこの日々、この本に書き上げた日々に。タケと暮らした最後の数年、タケの一挙手一投足に、死は、生は、と考えた。タケのいなくなった今、また、そんな思いも遠くなり、日々、散歩とごはんがくり返される。湿った舌とふるふる揺れる尻尾、いつもこっちを見上げている目がある。からだが、重みと体温を私にあずけてくる。(p.196)
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年老いた愛犬に、いつか必ず訪れるお別れ。作者は「眠らせる」ことより、見守り続ける選択をして、その日常を記した。
辛かっただろうなと単純に考えてしまうが、毎日変わらない犬との生活はそんな感傷的なことは一時的なものなのかもしれない。
だって、虹の橋のたもとで愛犬たちは待っていてくれるのだ。