投稿元:
レビューを見る
宮澤賢治の童話は幾つか記憶にあるけれど、詩は…雨にも負けずしか知らなかった。ページをめくっては戻り、めくっては戻り しながら時間をかけてじっくり読むと、心に少しずつ溜っていくものがある。
投稿元:
レビューを見る
・成熟拒否。理想を曲げない青年。
・科学と文学と宗教。
・都市と田舎の中間地点。
・自然。風景の中に精神的な意味を見つける。自然は人間に対し無関心。
・スピード感。
などなど発見が多くあった。
何よりも詩を改めて音読してみる機会になって、よかった。
投稿元:
レビューを見る
『作品の細部を解く鍵を人生の側に探すという姿勢はどうにとゴシップ趣味で、ものほしげに見えて、好きでないのだ』
初めてこんなことを語る批評家を見ました。確かにその通りで、自分が文学のアカデミックな批評が好きになれないのは、このゴシップ趣味が嫌だから、と言うのがあったのかもしれない。と言葉にならない気持ちに形ができた気持ちです。
詩人が詩人を語るならば、距離をおいて、ゴシップ趣味に走らないですむ。カフカもそんな批評家に多く出会えるといい。
投稿元:
レビューを見る
賢治を読み始めて何時の間にか40年以上経ってしまった。「銀河鉄道の夜」にしろ、「土神ときつね」にしろ、詩にしろ、無数のその作品群をその時々に再読、再々読、再々々読をしてきた。こんなにも再読に耐えうる作家は、私の中では賢治ただ一人である。と、今初めてそのことを発見した。ちょっと驚き。
池澤夏樹の賢治論は、この10年間で1番納得する賢治論だった。それは、一つに賢治と池澤夏樹の相似性に依る。科学者であると同時に詩人の心を持つ人、そして誠実で遠くに眼差しを持つ人。
そんな池澤夏樹が賢治を聖人や伝記の中で語りたくない、純粋に作品に即して語りたい(「生活よりも才能の方が大きかった人の場合、伝記を重視すると才能が生活のサイズまで縮んでしまう」)、とケンジさんと呼びかけながら、賢治の詩を語り出したのが本書の大部分を占める「言葉の流星群」である。
最初に1074番(1927.6.12)が選ばれた。全集の中にしかない詩である。けれども、とっても賢治らしい詩。流石である。
青ぞらのはてのはて
水素さへあまり稀薄な気圏の上に
「わたくしは世界一切である
世界は移らう青い夢の影である」
などこのようなことすらも
あまりに重くて考へられぬ
永久で透明な生物の群が棲む
私たちも空を飛ぶ夢を見る。けれども、詩人の想像力はさらに軽く上まで登る。最も軽い元素である水素さえそこは少ない、「青ぞらのはてのはて」そこに棲む生物は何を考えるのだろう。
そこには確かに知的生命体はいるのだろう。しかし、あまりにも軽く重力は機能しない。だとすれば、形はないのだ。他に何もなければ彼らが「わたくしは世界一切である」と考えるのも当然。
さらに世界は「移らう青い夢」「影」とさらに軽みを増す。そしてそれを逆接でつなげてそれすらも「重くて考えられぬ」とこの生物を描くのである。
科学に裏付けられ、それすらも超える言葉の輝き。賢治の即興詩の中に、祈りにも似た思想が溶け込んでいた。いろんな再発見があった本だった。
2013年9月21日読了