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受験を既に受けた者にも、まだ受験を経験していない者にも、教育に携わる者にも、そして教育に携わらない者にも読んでもらいたい、そんな一冊である。
日本のこの受験というシステムは、世界から見たらとりわけ変わったものにみえることだろう。会社に入り一生勤めるという終身雇用を想定してのものであるが、それが崩れた今、もはや形骸化しているといっても過言ではない。勉強が他の者より抜きん出ている者は、飛び級しても全然かまわないし、勉強以外で人と差別化できるものがあるのなら、その道に進んだらいいのである。
ただ、それ以外の大多数にとってはこの受験というシステムが必要だというのも致し方のないところである。だからこそ、まだまだ予備校や家庭教師はなくならないのも事実であり、必要ある限りは知識やノウハウ、経験談を伝えていけばいいのである。
私自身も数年前には予備校に通い、受験というシステムにのっかり大学に入学した身である。本書にある通り、受験の中身や知識に関しては、もはや半分以上は薄れ使う機会もほとんどなくなってしまっているが、こと計画性や思考ということに関して言えば、その時に培ったものが今に引き継がれているといえる。受験一つとっても目的を考えればいくらでも出るし、そこで何をし、何を考え、どう動き、誰に会い、どう選択していくかがゆくゆくは自分の自己形成に大きく関与していくことを考えれば、ひと時の時間を使って一つの受験というシステムにあやかるのもそれほど悪いものではないと言えそうである。
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同意する部分がかなり多かった、やはり教育の現場にいる人間は似たり寄ったりな事を感じるのだろう。それが実現に移せるか、はたまた妄想で終わるのかは人によって異なるのだろうが。
飛び級・学力上位層への教育・世の中の物差し・本当に教えることがうまい人
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「今でしょ!」の東進現代文の林先生が、受験が必要な理由、大学に行く理由、勉強する理由、受験術、受験体験、東大とは、トップグループの人間とは、という話。灘の英語の先生、キムタツとの対談も載っている。
インタビュー形式で、話しことばで易しく書かれているので、1、2時間あればすぐに読めてしまう。おれも受験は必要、とまでは言わなくても受験勉強や受験する体験こそは意義のあることだと考えているので、共感できる部分が多かった。でも林先生って文系で数学を教えようとしながら現代文を結果として教えるという、やっぱり文理両方できる人というのはとても頭良い人なんだなと思う。
印象的な部分としては、受験とは、「結果はともかくも、自分が1つのことにどれくらい打ち込める人間なのかということに関しての、自信を得るための制度の1つ」(p.47)という部分で、全くその通りだと思った。あと、トップグループの人は、例えば勉強のやり方にこだわりがなく、相対的に良いから採用しているだけで、他のやり方に干渉したりしない、という話もその通りだと思った。「これが1ランク落ちるグル―プだと、『このやり方しかない!』といったことを強く打ち出しかねない。たとえば、英語で言えば『音読しかない!』とか言い始める」(p.132)というのも納得。これという何か1つだけを設定したところで得られる満足感、安心感というところから、視野の狭さ、可能性に対する思慮の浅さというのがあるのだろうと思う。というおれも、実は生徒に音読を勧めまくってしまっているが、やっぱりトップレベルの生徒を教えるとおれの教え方も「なんでもいいよ、好きなように、自分に合うように」と言うんだろうか、と思う。また、ものすごく瑣末なことかもしれないけど、おれも合格の報告に来る卒業生というのが嫌い。高校生で予備校に通っている時は、予備校で写真とか撮っちゃってる人を見て、おれは合格しても絶対そんなことしねえ、とか思っていた。「お礼を隠れ蓑にした自慢」(p.176)と思う。「自慢は人生最大のムダ」(p.176)という言葉は自戒を込めて思っておかないと。
最後にキムタツとの対談、というのは別にいらないかなーと思った。なんで対談したんだろう。キムタツこそ「音読!」「暗写!」とか言っているように思うんだけど。それにしても灘の生徒って、もう日本では収まりきらない能力を持っているということがちょっとしたエピソードからでも分かり、すごいなあと思った。受験の話とともに、トップ層についての話も聞く、というそんな感じの本だった。(13/10/17)
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そりゃ受験がなくなったら、この人失業しちゃうしね。ぜったい肯定するよね。と斜に構えて読んでもまぁまぁ楽しめる。自伝的な内容の部分がいらない気がする。
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この人の情熱大陸を目にする機会があってすぐこれを見つけたので立ち読む。受験についてはまあ大昔の話なのでもう忘れたけどそれ以外の部分についても結構含蓄溢れており良かった。優秀さについてやそれを培うにはなど。
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≪目次≫
はじめに
第1章 受験とは何か?
第2章 林修式・超実践的受験術
第3章 僕の受験生時代
第4章 東京大学は一番いい大学か
第5章 予備校講師としての責任
附 灘高木村達也先生×林修 「勉強する目的とは何か」
おわりに
≪内容≫
大変明快な林先生の受験論。そして、そんなに奇抜なことは言っていない(そこが彼らしいのかも)。面白いのは、東大に入ることが目的の生徒は燃え尽き(さらに地方で一番の生徒がその鼻を折られて潰れる)、東大がステップの一部である生徒は、大学を使い倒す、という話。また灘高の木村先生との対談はなかなか示唆に富む。
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木村
「日本人はお金に言及すると、守銭奴的なイメージというのがあるんでしょうけど。でも、本質はそこじゃないんです。僕はいつも生徒にハッピーリッチになろうと言うてますけど。だって僕、この春も高3の連中と東北に行ったんですけど、人を助けるためにはこっちにパワーがないとあかんに決まってるので。まさか東北行くのにちょっと交通費出してもらえませんかって言ったら、そりゃあギャグですよね。誰かを助けようと思ったらエネルギーもいるし、マネーもいるし、知識も技術も何もかもがいるので。つまり、勉強する理由なんて簡単なことです。」(P219)
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良い本だと思いました。中身にとても共感でき、納得しました。インタビュアーの問いに自分ならどう答えるか、考えながら読みましたが、林先生と一致することはほとんどなくて、林先生の答える内容を読むと理由も含めてとても納得がいくんです。私は考え方が浅くて、普段からの考える力が弱いんだなぁと痛感させられました。10年後くらいに、自分の話で相手をこんなにも納得させられるような、自分の軸を仕事の中で見つけていきたいと思いました。
それと、現代文という科目の魅力や大切さを知り、勉強し直したいという気持ちも出てきました。
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大学受験できる時点で特権的なんだという自覚を持て、というのは本当にその通り。
東大出て超売れっ子塾講師(実力あるという証拠)してても、自分の人生を完全には首肯し切れてない感じが、むしろ魅力につながってるんだろうなあ。
最後にキムタツ先生との対談も収録されてて面白かった。
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期待通り、深い洞察力で受験を通じて生き方を述べています。
著者は受験を巡る社会で生きておられますが、とても共感できる社会の描写が多いです。
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★受験必要論
灘高講師。自動販売機の営業マンを一年間やっていた。名刺渡して目の前で破られてで、何しに来たの?こんなシンドイのに比べたら教員なんて楽。教師とか講師とかはこんなん楽勝と思う人じゃないとうまくいかない。病むからね皆。
充実した人生を送っている人は馴れ合いを嫌います。頑張っているか?おう。これで終わり。互いに充実しているから余計な言葉はいらない。真の友人とはあっさりとした付き合いであるが、実は深く理解しあっている、そういう関係なのではないでしょうか。
友達は必要ですか?家族がいればいい。あとは仕事関係の繋がりをしっかりしれいればそれで問題なしです。タモリさんも友達はいらない。ひとりで生きていかなければならないんだから。西村賢太さんもいらないものは小中学校時代の友人。
東大の近くに住めば、東大生的な環境てま生活できるのではないだろうか?
彼氏、彼女は持つべきか?
女子は冷静に計算している部分がありますが、男子は本当に舞い上がってしまいますから、持たない方がいいですよ。
過去の栄光を振り返って噛みしめる時間はムダ以外の何物でもありません。
今増えつつあるのは自ら予備校講師やりたいと志願してきた人たち。皮肉なことにいい先生はいない。いろいろやらかしてきて、回り道を重ねてきた人の方が魅力的な人は多い。人に教えることに生きがいを感じているんです!というタイプの人の講義に魅力を感じない。自分の思い込みを生徒にぶつけても伝わらないんです。伝えるより伝わるかどうかが大事。
予備校講師はいわゆる変人と呼ばれる人が多い印象。変人いうよりは組織内の規律を会社員のようなかたちでやっていくということが苦手な人たちが多いということですね。規則に縛られずに済むからという理由で予備校講師になる人も多い。
いいやり方に出会えば乗り換える。受験でも何でも優秀な人ほどこだわりが少ないんです。林修
理屈では正しいが自信の持てないことと理論的にはともかくも自分としては自信をもってやれることがあったら、たぶん、後者の方が意味を持つことが多いのではないでしょうか。
つらいと感じるのは、自分の不得意なこと、できないことに、向き合っている証拠でもあります。そしてそういうことを一つずつ乗り越えて結果を出していくという経験自体に価値がある。
イスは人の数より少ないんです。勝ち負けの感覚をいつも持とう。
わかりにくいものを読ませ自分で考えさせて放っておくというのは、ものすごく硬いするめを与えるような教育なんです。ずっと噛んでるとふやけてきて、最後には食べられる。そうやってアゴを鍛えてきたわけです。わからない時間は尊いんだよ。
学校は学生がお金を払っている方なので、学生はお客様であり、その点ものすごく無責任でいられます。
上のレベル、高偏差値大学に行くと感覚のインフレが起きる。凄く勉強してるのが当たり前という意識の人たちとの生活。逆にしたの方はちょっとしかやってないのにおれ優秀だと思う奴らで溢れかえっている。林修
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日本史を必須にすべき、賛成。
社会に出ると受験と違って答えが1つとは限らない、その通り。
AO入試不要、賛成。
自分はどこなら勝てるかということを真剣に考える。
新しい違う世界で下っ端を味わう快感。
受験は必要、その通り。
私は大学、大学院2つと受験を経験しているが、受験は要領だが、いいものだよ。学歴は関係ないとかいうけど、嘘だね、多いにあるよ。私も相当に高学歴だけど、学歴なんてないよりあった方がいいに決まっている。それだけで多くの人がひれ伏してくれるから楽。
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面白かった。学歴はある決められたことをある水準で仕上げることができた『忍耐力』の証明書ってくだりにものすごく共感した。18歳まで社会のルールに沿ってどれだけ努力できたかを端的に表せる指標として学歴があると思う。学歴社会を批判する人には、少なからず、社会のルールに沿った努力をしてこなかった自分を棚に上げてる人がいる。根底には自分の過去に対する後悔や反省があるんだろう。
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受験をしてできるだけ偏差値の高い大学に行くことが全てだとは思いませんが、一般的に見て、偏差値の高い大学の学生の方が勉強を含め様々なことに対して努力できる人間だということは事実だと思います。そして、そういう努力できる人間が周りにたくさんいるということは、その後の人生を決める要素の1つになりうると思います。
「高いレベルの大学に行くと、すごく勉強していてもそれが当たり前だという人たちがたくさんいて、自分もそれに引っ張られます。逆に下の方に行くと、ちょっとしかやっていないのに俺はすごいことをやっていると錯覚している人が多く、自分もそれに染まっていまいます。」(P17引用)
私自身教師の世界に身を置く者として常々思っているのは、教師の世界は本当に狭く、立場の弱い生徒に対して、学年や内容などは多少違えど毎年同じようなことを教え続ける職業であるということです。一般企業のように業績を上げることは求められず、極端に言えば、やる気がない教師でも毎年同じことを繰り返していくだけでもやっていけてしまう職業だと思います。自分はそういう教師の立場や自分自身に危機感を感じていて、意識して外の世界を見たり、人から習う立場に少しでも身を置こうしていますが、周りの同僚教員が自分たちの立場についてどう感じているのか疑問に思うことがあります。著者が自分と同じ思いを持っていることに何だか少し安心しました。
「予備校業界というのは、あまりにも狭い世界なんです。しかも、生徒という自分よりも力のない人間を相手にずっと同じことを続けていく仕事でもある。ここにいたら成長できないな、どんどん衰えるばかりだな、という思いをずっと抱えて生きてきました。人間は自分よりも上の人間と切磋琢磨することで成長するものです。逆に自分よりも下の人間を見ていると、俺って偉いだろうと錯覚しかねないんです。教える立場にいる人間は、少なくとも学力面では自分よりも圧倒的に下の生徒を相手にしているのですから、いつもそういう危険について自覚的でなければならない。」(P168引用)
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受験必要論というより、“東大”受験必要論というタイトルの方が相応しいでしょう。林先生の人生観や仕事観も受験論を通して描かれています。現代の教育システムに一石を投じるような作品で、様々な思い上がり、勘違いをしている学校の教師や予備校講師にぜひ読んでもらいたい一冊です。