紙の本
あかんやつら
2015/02/17 11:15
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投稿者:読書豆小僧 - この投稿者のレビュー一覧を見る
当時の映画製作者の熱い思いとか、情熱が伝わる本でした。
役者との付き合い、制作費用の問題などなど面白い裏側が見えました。
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知らない事があるのは幸せだとTBHのBOSSは言っていたが、知らない歴史や熱い人々と様々な思惑や時代の流れ、多くの人たちの人生が交差した場所をまったく知らない僕のような人間ですら読めばどんどんページが進んでいく。
著者の想いと関わった人たちの生きた証としてこの本が世に出されるのには時間も大変なこともあっただろうと思う。でも、この本は残っていく書物の強さを持っている。
魅力的な人たち、ダメな部分、生きていた想いが詰まった本。こういう本は映像関係だとか勉強するような人には教科書的に読ませた方がいいと場所や時代やテクノロジーは変わっていっても、伝わるものはここにはあるのだから。
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「時代劇は死なず!」「天才勝新太郎」「仁義なき二本沈没」に続く日本映画の製作会社(撮影所)をめぐる物語。嗚呼、何とも濃くて熱い映画人たちよ。何というか、自分にはとても真似ができないが、だからこそ憧れる世界であるなあ。ところでマキノ光雄という人は、マキノ雅弘監督の自伝なんかで読むとどうもあまりよい風に描いてなかった(いわゆる出来ない人っぽい)と思うのだが、本書を読んで印象がガラリと変わったなあ。そしてタダのノスタルジーではなく、未来に繋がるラストの書き方にじーんと来る。
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主に時代劇作品を生み出してきた東映の京都撮影所を舞台に、戦後の混乱期での設立から、年間100本製作の粗製濫造の黄金期、時代劇の不振からリアル路線のヤクザ映画へシフトし、大作主義に陥った辻褄合わせのポルノ路線、そして時代劇の体裁で中身はヤクザ映画な作品を作ったり、見かけはSFで中身は時代劇をやってみたりと、栄枯盛衰、右往左往の顛末を、映画はもちろんテレビからも時代劇が消えていき、太秦映画村の集客力も落ちていった最近までの物語です。
いわゆる映画界を舞台にした梁山泊もの。分厚いけれど、面白くて朝までに一気読みでした。
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マキノから岡田、そして今へ到る怒涛の東映血風録。単純な東映賛美ではなく、その栄枯盛衰を面白おかしい現場のエピソードと同時に、クールな俯瞰の視点も忘れない絶妙のバランスがすばらしい。今では考えられない撮影現場のドタバタ喜劇だけでなく、戦後メディア史を考察するヒントもぎっしりつまった必読書。
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春日太一は凄い仕事を成し遂げたと思いました!この本の存在は東映というクレイジーな会社の過去を刻んだ墓碑銘なのではなく日本の映画産業の明日を見つめる礎。現に平成ライダーシリーズは東映時代劇のDNAを受け継いでいることは平山亨「泣き虫プロデューサーの遺言状」にも書かれている通り。また新たにライダー群像劇は東映群像時代劇の伏流水の氾濫なのではないかとも感じました。そもそも東映という会社の歴史が濃すぎる男たちの濃すぎる群像劇なのでした。「大衆」という言葉を誰よりも自分事化したベンチャー企業が大躍進し、しかしメジャーになっても無菌化せず「大衆」の欲望を寄り添おうとする姿勢。それは東映京都というスタジオに集う「あかんやつら」が「大衆」そのものだったから。東映京都からは松竹ヌーベルバーグも東宝モダニズムも生まれることありえないのです。そこにあるのは日本人の泥臭い匂い。しかし「大衆」が「生活者」というように滅菌されていく中で「あかんやつら」も居場所を失っていくのでした。しかし日本人が日本人である限り「あかん」成分は必要だと思うのです。この本の登場人物を愛おしく感じる感性が21世紀の「あかんやつら」に繋がれば、と願います。
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文句なしの大傑作。
年間100本以上の東映映画、テンポよく一人の手でまとめあげた
天才的な編集のキャスト。
時間がないときに、10日間徹夜をして仕上げてしまう
撮影集団。
全盛期から、凋落(この当時よそに出てきた決定的な逸材が
黒澤明。同じ赤ひげも、東映は大失敗)、そしてヤクザ映画での
復活と目まぐるしい展開も、どれも出てくる人たちが熱く、
そしてかっこいい。
「おそめ」のママのいい人だった俊藤浩磁が、活躍するというか
裏の世界を含めて仕切っていくことも興味深い。
そして、本職とほとんど同じの若山富三郎、そしてその一門。
監督もスタッフも、みんな本当に強烈。
問題は、これを読んでしまうと映画が見たくなってしまうこと。
「一乗寺の決斗」「十一人の侍」「鬼龍院花子の生涯」・・・、
日本映画万歳。
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面白かった。
私が映画や映画界に興味を持っているせいも
あるだろうが、とても読みやすくわかりやすい。
電子版が出たら買いたい。
タブレットに入れて常に持っていたい本。
たびたび読み返したくなる本。
しみじみとした気持ちで2時間ドラマに出ている
渡瀬恒彦を見てしまうのはこの本を読んだ者の中で
私だけだろうか。
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マキノ雅弘時代からの東映京都の浮き沈みを描いた風雲録。時代劇の時代から、任侠映画へ。ヤクザ映画からピンク映画へ。たくましく時代とともに変容しながら守ってきたのは「映画」の意地だ。ホンモノのヤクザも出入りしていたり、出演したりしたという、その匂い立つような危うさが魅力的。これを機会に、「仁義なき闘い」を見てみたい!
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京都弁の「あかんやつら」のニュアンスはきちんとは判らないが自分の語彙から言えば「食えない奴ら」である。
東急グループのもと映画館経営をしていた東横映画が戦後映画製作に乗り出しマキノ雅弘の弟光雄が招かれ、京都の大映太秦撮影所の賃貸しから独立、痛快娯楽時代劇を制作して大手5社のトップランナーとなり、その後浮沈を繰り返しながら任侠映画、実録ヤクザ映画、大作映画を作り続けた「東映京都撮影所」の一代記である。
登場する殆どの映画を実際に見ていないのが悔しいが、映画会社に限らず「あの時代」の勢いが感じられる。
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ブログに掲載しました。
http://boketen.seesaa.net/
当たる映画だけが、いい映画
映画はあくまでも商売。
当たる(売れる)映画(商品)だけが、いい映画(商品)。
みもふたもない。
高尚な理想や芸術論はくそくらえ。
俗でけっこう、下品で上等。
粗製乱造の製作現場は、まるでブラック企業なみの長時間低賃金労働。
疲れたら看護婦がヒロポンをうちにくる(当時は覚醒剤は合法)。
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東映京都撮影所 という魔界に生息する映画人を通して、東映映画の歴史を描いた記録。
近代映画史の中で、黄金時代を築いた太秦撮影所。そして、マキノ一族、岡田茂、時代劇、任侠もの、深作欣二。その全てが、ギラギラしていて映画が好きだ。
そんなドロドロした匂いが感じられた。
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自分が21~22(1991~1992)の頃、大阪のイマジカで働いていた頃を思い出した。社員の方はみんな京都人で、京都弁が飛び交う職場だった。フィルムの時代は終わろうとしていたが、京都の東映撮影所はまだ終わらない。
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力作です。10年以上の取材に基づき、日本映画愛・時代劇愛・東映愛にあふれています。
清濁併せのむというか、ほとんど濁ってる感の東映映画ですが、松竹はじめ、他社もえげつない歴史があったようですね。
「東映京都撮影所血風録」という副題はえらい大げさだなあと思っていたのですが、読みすすめると決して大げさではないと思えてきます。
大川博、岡田茂と言った東映の歴史を作っていった人たちは、とかくダーティなイメージを持ちがちだったのですが、特に岡田茂にという人については、新たな認識を持つことができました。
スター達の伝説については、これまでにあちこちでエピソードが語られてきているのですが、わりと初見のものもあり新鮮でした。
そして、スターの影に隠れることの多かった裏方たちの、それに優るとも劣らない武勇伝の数々も飽きさせません。
牧野省三から始まる東映という会社の流れが、今ひとつ分からなかったのですが、本書では非常にわかりやすく赤裸々に描かれます。
素晴らしい創造も多々ある中、昨今の中韓をパクリだなんだと言ってる人たちにも認識してほしい、どこも一緒だよというようなパクリ体質。バイタリティの発露と一言で片付けられない赤面事。薄々気付いてはいましたが、ここまでだったとは。
「宇宙からのメッセージ」とか、今見てもかなり恥ずかしい映画です。
私は昔一度だけエキストラとして東映京都撮影所に行ったことがあります。
俳優会館で衣装をもらって、ロケバスで京都の山の中に連れて行かれました。
その件の詳細は割愛しますが、その当時は当然時代劇も任侠路線・実録路線も過去の栄光であり、テレビ時代劇がそこそこ作られていた時代です。
しかし、あの独特の雰囲気は忘れられず、はまってしまったら抜け出せない麻薬のような空気を感じたことは覚えています。
東映と言えば、あの泥臭さしかイメージできない世代としては、昨今の良く言えば洗練された、悪く言えばボツ個性的な「相棒」シリーズとかは違和感しか感じません。とても「温泉みみず芸者」を作っていた同じ会社とは・・・。
映画好きはぜひ一読を。電子書籍化と望みます。
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本書は東映の一大盛衰記なのだが、他の映画会社ではなかなかそうはいかないエピソードに事欠かない。
その結果、東映だけが突出して面白い会社になってしまう。
読んでて思ったのはとにかくよく調べている。
時代劇がなぜダメになって任侠映画が何故隆盛を極めたのか、そこにはちゃんと理由があり、エピソードで語られるように
そこには撮影所長岡田茂の武勇伝、大川博社長の滅茶苦茶さ、旧時代的な労働環境体制や武勇伝、ヤクザとのやり取り、とても映画会社とは思えないのだが、
それはこの会社でしか、成しえない物が確かにあったわけだ。
しかし、読んでわかるがとにかく無理に無理を重ねた結果であり、表面上は華やかに見えてもやはり歪んでいる。その歪みこそが魅力的に映る要素であるが、本人たちはいい思い出だったかもしれないが私は決していたくない現場である。
なかなか面白く読ませてもらいました。