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テレビドラマ「坂の上の雲」にでてきた正岡子規は、すでに病に侵されていた。本書にでてくる正岡子規(ノボさん)は、生き生きと動き、精力的に活動し、夏目漱石他多くの文人、友人と交流している。伝記的小説のなかで、ノボさんの生き様が伝わってきた。
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「坂の上の雲」を思い起こしながらも、子規の新たな魅力が次々と掘り起こされ感動の連続だった。まるで対照的な夏目金之助との運命的な出会い!子規と漱石、あの日二人が出会ってくれて本当によかった。伊集院静氏らしい丁寧でわかりやすい筆致で単なる物語としても面白い。ノボさんへの溢れんばかりの愛情が感じられ、手にとってよかったと心から思える一冊。
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教育学術新聞に書評が載った作品だけど、教育的でも学術的でもない小説です。
子規は本名升(のぼる)からノボさんと愛称されたわけですが、愛称からして今じゃ珍しいと思います。(みんなにマナさんと呼ばれる学さんはまずいないでしょう)。
いろいろ珍しいエピソード満載の「ノボさん」でした。
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主人公はノボさんである。
ただ、彼の無二の親友としての漱石の姿。これも強く心に残る。
漫画「坊ちゃんの時代」のエピソード0として、漱石と正岡子規の交流を、描いてくれないか。
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正岡子規の伝記小説。
人望厚く、愛されて育ち、多くの人に囲まれながら、生きて死んだ人。夏目漱石もその一人。ふたりの交友がこれほどに濃いものとは知らなかった。何かを成す者と互いに信じ合う友人たちが、敬意とともに測り合う距離。
新しい世界が生まれる時には、それぞれにふさわしい役を全うする人たちがいる。八重も律も虚子も碧梧桐も、そうした。
これほどの人生を生きて、子規は34歳で死んだ。
壮絶な晩年も描かれている。
ずっと耐えて来た母、八重の最後の言葉は重い。
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前半は史実を元にした小説である。一方、後半は筆者による史実の解説に小説を埋め込む、司馬遼太郎形式となる。勉強になるのは後半だが、子規を感じるのは前半だ。
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読んでよかった本でした。最後の漱石の正岡子規への文章が沁みました。強力な磁力の人だったことを初めて知った。
21/5/15再読読了
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2015.4.29
正岡子規は、天才、、だな。
以下、批判寄り感想
何だろ?この時代の(後の)文豪的な人たちって周りあっての生き方してるよね…金銭的に助けてくれる人がいなかったら絶対生きて行けないのに それを知らず知ろうともせず当たり前に受けていて…ズルいな、と思う。
正岡子規の借金は、返されてるのだろうか?
借金先もよくそんなに金があったものだな…
夏目漱石 と副題が付いてるけど、まあ、おまけ程度の内容だったな
二人はカリスマ!って云いたいんだろうな…
正岡子規の人徳振りと文学面のカリスマ性で人を寄せ付けて人を評価しといて、自分の挫折や待遇の悪さは正面から見ない受け容れない。無かった事にしてるとしか思えない。
挫折や悪環境こそ良い素材だと思うが…
総括。
私は、どうにも戦前の文豪は苦手だわ
と、再確認。
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「ノボさん、ノボさん」「なんぞなもし」 明治二十年。新時代の躍動とともに、ノボさんこ と正岡子規は二十歳を迎えた。 アメリカ渡来のべーすぼーるに夢中の青年は、俳 句・短歌・小説・随筆、あらゆる表現に魅入ら れ、やがて日本の文芸に多大な影響を及ぼす存在 となる。 子規は常に人々に囲まれていた。友人、師、家族 から愛され、子規もまた彼らを慕った。 そしてこの年、東京大学予備門で運命的な出会い を果たす。同じく日本の文学の礎となる、金之助 こと夏目漱石である。 志をともにする子規と漱石は、人生を語り、夢を 語り、恋を語った。明治三十五年、子規の余命が 尽きるまで、誰もが憧れた二人の交際は続く。 子規と漱石の友情を軸に、夢の中を走り続けた 人、ノボさんの人生を描く。
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子規はいまでいうカリスマ性があったんだろうな。
子規が発掘した人物は、後年、文学や画家として大成している人物が多い。夭折した点などを含めると、吉田松陰と被る。でも、実際こんな人を家族に持ったら大変だ。
子規が一生をかけて取り組んだ俳句も、ふるさと松山では
小学校の授業にもあるほど根付いているからその影響はすごい。
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夏目漱石は昔から好きなのだけれども、以前は、正岡子規にはあまり興味を持っていなかったわたし。
でも、小4の長男が、歴史人物史のマンガを読んでから正岡子規のことを好きになったようで、「正岡子規は、俳諧から俳句を作ったすごい人なんだよ!」などと力説するので、最近興味を持つようになった。
そして図書館で『ノボさん』を発見したので、借りて読んでみた。
数年前にドラマ『坂の上の雲』を観たので、正岡子規の人望の厚さとか、病気のことなどは知っていたけれども、近代日本文学に大きな影響を与えたことはあまり知らなかったので面白かった。
それと、自分が文学少女だった記憶はないのだけれども、夏目漱石のみならず、森尾鴎外とか樋口一葉とか、近代文学を意外と読んできたことを思い出して、ちょっとびっくり。
当時読んだときにどう思ったのかは全く覚えていないけれど、勉強の一環として義務的に読んだ部分が大きかったのだろうから、今読んだら、当時とは違って純粋に内容を楽しめるのかもしれない。
また読んでみようかなと思った。
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セキツイカリエスデ
ワカクシテナクナリ
べーすぼーるヲコノミ
ハイクヲツクルヒト。
そんなイメージだけで、それ以上を知ろうともせず今日まで来た私が絵本を思わせるような〝ノボさん〟という題名と真っ青な空に真っ白な雲の表紙を見た瞬間で手に取った一冊。
読み終わった今、その手の隣で微笑むノボさんがいます。
全てが新鮮で、前向きで、明るい開花期の明治維新からの時代を生き、今の文芸の礎を築いた正岡子規(常規)の生涯を描いたフィクション。
子規が21~28歳までの前半とその後34歳で没するまでの後半とに月日が分けられて書かれている。
前半では『何事かを成すために努めよ、励め。』と祖父の大原観山の言葉を受け、その〝何事〟を探しながらも、我思うまま興味が湧くものを手当たり次第に生き生きと過ごす子規。
後半では、『成し遂げんとならん。』と俳句・短歌の革新として、新しい俳句のあるべき姿を明らかにした《俳諧大要》と俳句の確固たる位置への定着へ向けて、命を懸けて取り組む子規。
この一冊の中では明治期に日本の近代文学を築いた夏目金之助(漱石)に森林太郎(鴎外)、子規の没後に俳句界を二分してしまうが河東碧梧桐と高浜虚子、短歌界の伊藤左千夫と長塚節。
…と学生時代に教科書で何度も目にした名前が面面と出てくるものだからますます惹かれて読みいってしまった。
中でも、取っつきづらく人を寄せ付けず合理主義者の漱石
無鉄砲で衝動的だが、その人柄の魅力に引き込まれいつも多くの人に囲まれていた子規。
正反対の性格にも関わらずお互いを尊重し合い、刺激を受け合う友情については私にとってはとても新鮮で胸いっぱいになってしまう。
『あしはいつか
意中の人に逢うのを待っとります。』
向島でのおろくという女性、奈良の角定の御所柿の女性と逢っている。
ノボさんの意中の人になるのか?!と、嫉妬したのはここだけの話。
子規にとって、自分の生涯を共に出来た女性には出逢えなかったかもしれないけど、2度の結婚も敗れ、名前の通り自分を律して涙も見せず兄のために自分を尽くす妹の律。
子規を信じ学ばせ決断し、松山から送り出し、最期まで子規と共に痛みを背負い続けながらも、亡くなった子規の両肩を抱き『さぁ、もういっぺん痛いというておみ。』と言った母の八重。
友情は家族、恋人に対する愛より
崇高と言わせた仲間。
子規庵の小宇宙にある草花。
大好きな食べ物。
意中の人は得られなかったが、子規は多くの人や多くの物を愛したからこそ、当時だけではなく今の時代でも、多くの人々から愛されることになっているんだと思えた作品で私もその愛する一人になれて良かった。
あ、でも、子規に『生まれてはじめて一目惚れした。』と言わせた、綺麗なお嬢さんがいたけど彼女には嫉妬どころか逆に救われました。
私も一度、お目にかかりたいものです。
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正岡子規を丁寧に描き尽くしている。凝縮され生だ。稀有な人生といっていい。子規と漱石の交流も胸に迫るものがある。最期の場面は壮絶だ。
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初めて正岡子規の人生を読んだ
この本を読むまでは、物静かな男の人だったんだろうと思っていたけれども、子規という男は温かいユニークな人だったのだなぁと感じた。
最期の子規の話には、グッとくるものがあった
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時は明治20年。新時代の躍動とともに、ノボさんこと正岡昇(子規)は20歳を迎えました。アメリカから渡来した「べーすぼーる」に夢中な正岡青年は、俳句・短歌・小説・随筆、文芸のあらゆる表現に魅入られ、やがて日本の文学に多大な影響を及ぼす存在になります。奇しくもこの年、同じく後に日本の文学の礎となる金之助こと夏目漱石と東京大学予備門で運命的な出会いを果たすことになります。志をともにする子規と漱石の交流は明治三十五年、子規が病で亡くなるまでまで続いていきます。
子規と漱石、二人の友情を軸に、正岡子規の人生を描く青春小説です。