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村上春樹の、いろんな作品の会話や、心象風景のフレーズを引用してつっこみまくる内容。
最初は面白く頁をめくっていたんだけど、だんだん飽きてきて、小説の春樹が無性に読みたくなった。
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村上書評で何度も笑ったのは初めてだ。伏線の回収をしない村上を「よくわかんね―」と言っていいのだ。そもそも登場人物がどっちやねん!と突っ込み入れたくなるほどはっきりしていないしわかっていないのだから。
比喩表現とはある感覚を別の例に置き換えて、読者に伝えやすくするという効果が普通はあるが、春樹の場合わかりにくい感覚をさらにわかりにくくする。自分の思いついた比喩表現をファッショナブルに自慢したいのが主眼とされている。
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村上春樹の作品は結構好きで、私も読んでいる方だと思う。ただ、内容がよく分かっているかと聞かれると、自信がない。だから、解説本の類いにも手を出す始末である。
ただ、この本は解説本というわけではない。その点は、まえがきのところにはっきりと、p.1『おそらく装いを見て「村上春樹を誰でもわかりやすく紹介してくれる優しいブックガイド」と思われたのなら、それは誤解です。』と書いてある。ではなにか?筆者が村上春樹の作品を読んで感じたことを、正直に書いてある本と言えばいいだろうか。あくまでも正直に書いてあるので、面白いと思えば面白いと書くし、つまらないと思えばつまらないと書くという意味である。
何だよ、そんなの当たり前じゃないかと思うかも知れないが、これが意外と難しい。まだ売れていない作者の作品であれば批判するのも気楽だが、世界的に評価の高い村上春樹の作品をつまらないと切り捨てるには、相当の覚悟が必要だ。この本は、それをしているのが偉い。
例えば、『風の歌を聴け』で言えば、こんな感じだ。
第1章 感情移入できない小説。その原因をつかさどる「春樹的クール」とは?
・噛み締めるごとにわかる「わからなさ」
・冒頭から「しち面倒くさい」主人公
・「女の子と寝た」という、しつこい所信表明
・春樹的クールさの法則
…というように、独断的な切り口が気持ちよい。
こういう語り口が面白いと感じる人には絶対的にお薦めの本だが、!?という人には、積極的にはお薦めできない。ぜひさわりの部分を読んで、確かめてみて欲しい。
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いやー、激しく同意
なんだけど、途中から本にするがために無理に文句言ってるように受け取れてしまい、後半は飽き飽きしちゃいました
!が文中に多すぎるし、「死ね」を多用しすぎで、ひく
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初読。図書館。村上春樹さんは好き。作品は多分全部読んでるけど、評論の類はほぼ読まない。でもなんか面白そうなので手に取ってみた。13冊の作品をいじってて、結構面白いんじゃんと読みすすめた。でもいじるポイントが同じなので、3冊目くらいから飽きてきた。村上さん自体がいろんなバリエーションで書く人じゃないから、いじりのバリエーションも限界がある。最後は斜め読み。なぜかもててしまう登場人物に、童貞のひがみでツッコンでるだけかよ!ってツッコミたい。お金払って読む程じゃないかな。amazonのレビューで読めれば十分。
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一発屋の芸人が、最初に好評だったネタをやり続けた結果、飽きられていく様子が凝縮された本。身近な人で表現すれば「笑わせようとしてるけどすごくサムいギャグばかり連発するおっちゃん」の書いた本です。
詳しくは後で書く。
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村上春樹の小説を、否定的に軽やかに切って捨てる内容。とにかく笑える。村上春樹の小説が持つ独特な雰囲気を逆手に取って、春樹流クールさに耐えられないという読者層の共感を得ているのかも。とにかく、何が言いたいのかさっぱりわからん、パスタを作ってオシャレな感じだけど、孤独で意味不明なやつがなぜ持てるんだと。そして内容は、セックスと「知らんがな」と言いたい意味不明な会話がひたすら続く。
「名前が無いと困る?」と一人が尋ねた。
「どうかな?」
→めんどくさすぎる!!!
という感じで書評が続いていく。
村上春樹の世界観の大外から来るボールなので、面白いね。自身が村上春樹の小説が大好きなので、逆に面白いと感じるのかもしれないけど。
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たしかに村上春樹の文章は突っ込みどろこが多すぎるかもしれない。冷静に読んでみると、不思議な内容が多い。
春樹文学における忘れる、とか思い出せないというのも本当に多い。
春樹文学におけるクールな振る舞いは主人公だけでなく、登場人物に感染している。
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本の読み方は好き⇄嫌いか、合う⇄合わないくらいで良くて、自分の絶対的評価であるべきだと
基本的には考えているので、村上春樹の本でも普通に挫折しているものもある。
すぐにネットで探せば欲しい情報(正しいか間違ってるかは別として)は手に入るし、
わかりやすさや伝わりやすさ、スピードが求められている今、
ある目線ではめんどくさいのかもしれないけど、あの村上春樹流の比喩は、
僕は彼が伝えたいことを懸命に伝えようとしているように思える。
でも、絵じゃなかったり、知らない音楽だったり、知識だったりは鼻につくひとには
たまらないのだろう。それこそググって、YOUTUBEで聞けば良いのに。
僕がこれまでの経験上、数人のハルキストと数人のアンチ村上派と話して思ったのは、
ハルキストは、村上春樹の世界に自分を合わせに行く(そして没入して押し付ける)、
アンチは、自分の価値観に小説の世界を引き込みに行く(そして拒否感が生まれてこき下ろす)傾向が強い。
特に村上春樹の作品を読むコツは、ある程度まで自分を合わせに行く。
合わなければ無理にすぐに読む必要もない(出てくる固有名詞は古くなっても、世界観は古くならない)。時間をおいて何度でも
読もうという気があるのなら、また手に取れば良い。
読書は人生と違ってやり直しがきくんだし、待てば図書館で何度でも借りれる。
さて、この本だけど、この本の著者が讃えられるべきは、短期間で主だった長編を読んだことだけだと思う。
そりゃ疲れるよ。
なにより表現が下品すぎる。下品すぎてお金を払ってまで不快な思いをしたくない。
それなら、上品すぎる村上春樹の本を読んだほうが僕の趣味には合っている。
人間臭くていいという人もいるだろうし、よくぞ言ってくれたと思う人もいるけど、
よくぞ言ってくれた、じゃなくて自分で言えと思う。そしてそれは言う必要のものではないと思う。
正直な子どもは「王様は裸だ」と言ったけど、誰が得をした?
王様の過剰な衣服は税金でできているのはおかしい、というのはありだけど。
わからないものをわかると嘘をついてはいけない。
無駄にはならないから。わからないことをわからないというのは最低限の勇気だ。
でもわかろうとする努力はしたほうが良い。考えないより考えたほうが前に進む。
それが生産的かどうかは別として。
だから、僕はもちろん図書館で借りました。ごめんなさい。
すぐにWEBを探せば欲しい情報(正しいか間違ってるかは別として)は手に入るし、わかりやすさや伝わりやすさ、スピードが求められている今、ある目線ではめんどくさいのかもしれないけど、あの村上春樹さん流の比喩は、僕は彼が伝えたいことを懸命に伝えようとしているように思える。
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めっちゃ笑った。
何度も噴きだした。
でも、私は村上春樹が好きだ。大好きだ。
高校生の時に仲良しのみわちゃんに初めて彼氏が出来た時「彼、どう思う?」と聞かれ、「真夜中の滑り台みたいな人だね」と答えてがっかりされた過去アリ。
以来、気を付けて人に伝わる言葉を選ぼうとしてはいるのだけど、共通語だと方言のニュアンスが微妙に伝わらない様に、自分的にはどっかこう「ピタっ」と来なくて不完全燃焼。
そ~ゆ~意味で、村上春樹の比喩は「すご~く解る」んだよね。「ナッツ」とか「コーヒー」とか、そこに引っ掛る必要なんてない。それは「ある気持ち」を引き起こす為の記号みたいなものなのだから。
と、自分の鑑賞パターンを自分で理解するのに、この本はとっても役立った。
つまり村上春樹の小説は絵画で言うと抽象画。
ピカソの絵を見て、「なんで体はあっち向いてるのに、眼がこっちについてるの?」って人には合わない。
ばらんばらんの全部をまるごといったん自分に入れて、それによって引き起こされる感覚を楽しむもの。
写実的な絵を鑑賞するのとは、作法が違うというか…。
小説だって、ヘミングウェイみたいに、ストーリーを楽しむんじゃなく、絵を鑑賞するみたいに楽しむタイプのモノってあるじゃない。
ストーリー限定、しかも、感情移入前提の楽しみ方以外にもあるんだ、と。
でも、こんなイジリ倒す楽しみ方も全然アリだと思う。
それはそれで面白かったし!
なんてったって、大好きな作家をけなし倒されて★5つだもん♪
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村上春樹の持ち上げられっぷりには私もイライラしていたので、バッサリ切ってもらいたくて読んだ。
引用がいちいち笑える。今までイラッとしかしなかったけど、笑える。
「(猿が)どんぐりでもかじりながら死滅してしまったのだろう」とか、吹き出した(笑)
これがストレス無く読める読み方だったのか。
なんか段々村上春樹が可愛く思えてきた。
かっこつけてて、女にモテたくて、孤独…。
しかし途中でこの本に飽きてしまいました。
というか、村上春樹に飽きたというか。
いくつもの小説取り上げてるけど、全部同じなんですよね。お洒落な趣味、女にモテる、ストーリーは無いけどメタファー。ほんとそれだけ。
私が読んだ村上春樹作品もそんなだったから、真実なのだろう。
ハルキストも、著者のドリー氏も、よくこんなの何冊も読めるな…。
海辺のカフカは唯一筆者が気に入った作品らしい。
確かに、レビューも読んでて楽しかった。
村上春樹だけじゃなくて、有名だけどなかなか皆が読む気にならない本を代わりに読んで突っ込んでくれれば良かったかも。芸能人の入賞したやつとか。
著者による絶歌のアマゾンレビューとかも、なかなか分かりやすくて良かった。
2冊目出すならそういうものがいい。
でも著者がかなり若い人(当時20台前半?)で経験が浅いのも春樹とのすれ違いの原因な気がした。
そういう気持ちになることもあるよ、と。
大体、著者は大学中退のニートで今まで彼女無しらしい。それは本人の自由だけど、バーの雰囲気とか彼女への想いとか、知らないのに「分からん!」って言う権利あるか?なんか村上さんの味方になってしまったけど(笑)
後、単なるジェネレーションギャップ。
鉛筆をわざわざナイフで削らなくても…とあったけど、私の子供の頃はカッターで削ってる大人が結構いた。
うーん、著者も村上春樹も、自分の思い通りになるイイ女によって孤独から抜けだせられると思ってる所は似てるのかも。
そういう人は男女共に私の周りにもいるけど。
そのせいで感じなくていい孤独を感じてると思う。
この作品後、村上春樹いじっていいんだ!という空気が広まった気がする。
騎士団長殺しとかいじられてたもんね。
喜ばしい事です。
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春樹文学は好きだけど、この本もめちゃくちゃ笑ったし、結局春樹文学に感情移入できる人ってそれなりに健康な人たちなんだな、本当にしんどい思いしてる人たちにとっては春樹文学の登場人物なんてリアルでもなんでもないんだなって、改めて気付かされた。
"あとがき"も良かった。「わからない」「つまらない」「癪に触る」というひとつの"読み方"を絶対に認めないハルキストたちの不寛容を指弾してくれている! スカッとしたぜ。
「春樹文学の根底にあるクソパターン化されたやりとり」
「春樹文学における「知らんがな」問題」
「春樹文学恒例の殺意の湧く曖昧な返答」
等々のパワーワードも満載。
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読んだことのある「風の歌を聴け」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「海辺のカフカ」「1Q84」のみ。
私が初めて村上春樹に触れたのは中学3年生のころ。国語の授業中に便覧をみて村上春樹は有名人で代表作は1Q84であること知り、なんとなく気になって学校の図書館で借りた。分厚くて誰も借りてなくて哲学者が出てくる小難しい本は、休み時間に1人で過ごす私を酔わせてくれた。展開はよくわからなかったのに独特なリズムと印象的なフレーズが気に入って読破できてしまった。
その頃はテストの成績もトップで議論の場で発言すれば全員が納得したから自分は周りとは違うすごい奴だと思っていたし、特別心を許せる友だちがクラスにいないのに寂しさだけでクラスメイトと群れるのも馬鹿らしくて読書に逃げていた。でも心のどこかで寂しさはあるから、小難しい本を読んで自己陶酔モードにならずにはいられなかったのだ。
今でも村上春樹をストレスなく読めるのは、内省的な自分に酔いしれたりオシャンティーな生活に憧れているからだろう。それでも「現実でこんな会話しないよな」とか「デジャ『ヴ』とか『ヴィ』デオとか英語の発音持ち込まなくてよくない?」とか「いちいい『・』をつけたがるな」と軽いツッコミは入れる。私はたまに軽いツッコミを入れながらクスッと笑う程度なのだけど、この著者のドリーさんは違うのだ。発狂のごとく鋭く激しいツッコミを悉く入れる。今までクスッと笑う程度だったのにドリーさんにつられて大爆笑した!ほんとうにこの本はおもしろい!
これから村上春樹を読む時、ドリーさんのように激しくつっこみ、大爆笑するようになるかもしれない。そんな村上春樹の読み方もいいだろう。
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爆笑させてもらいたした。
村上春樹のファンでほとんどすべての本を読んでいますが、こういう見方もあるのかと新鮮に感じました。
これから村上作品を読む時の感じ方が変わりそうで怖いです。