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≪目次≫
序章 日本の神々と神社
第1章 八幡ー日本神話に登場しない外来の荒ぶる神
第2章 天神ー菅原道真を祀った「受験の神様」の謎
第3章 稲荷ー絶えず変化する膨大な信仰のネットワーク
第4章 伊勢ー皇室の祖先神・天照大神を祀る
第5章 出雲ー国造という名の現人神の圧倒的存在感
第6章 春日ー権勢をほしいままにした藤原氏の氏神
第7章 熊野ー浄土や観音信仰との濃密な融合
第8章 祇園ー祭りで拡大した信仰
第9章 諏訪ー古代から続くさまざまな信仰世界
第10章 白山ー仏教と深くかかわる修験道系「山の神」
第11章 住吉ー四方を海に囲まれた島国の多士済々の「海の神」
≪内容≫
あくまでもわかりやすく簡単に神社・神々を紹介した本。専門家でなく、大まかに神々を知りたい人にお勧め。ただし、どこの神社がどんなご利益かは書いてないので、そっち方面の興味の人には向かない。これは、あくまでも歴史的に神社・神々を知りたい人の本だ。また、神道の研究にも向かない。
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国内を旅行すると、何気なく寺社仏閣を訪れることあがあるが、寺と神社の違いを意識したことはなかった。仏教には根拠となる仏典があり宗祖があるため相対的に分かりやすいが、神道の祭神は実在したかどうかが曖昧なものもあり、神としての性質も変遷している。八百万の神がいる日本に住む者として、そうしたことを意識してこなかったことに恥じ入る。最近の靖国参拝の問題も同様。実在した人間を神として祀るというのも神道の特殊性だろう。
八幡・稲荷は日本書紀には登場しない渡来人によるもの。天神は菅原道真を祀った者だが、最初は祟りの神で、徐々に善神に変わってきた。伊勢は天照大御神を祀り、天皇と農業に強いつながりがある。春日は藤原氏とのつながりがあり、戦国武将はみな祀った。一般的には祭神を勧請することで信仰が広がっていったが、祇園は祭が重要な役割を果たしている。そうした神社の歴史を理解することは、日本を見直すことにもつながると思う。
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柳田国男の本を読んでから、八幡神に疑問があった。新聞の広告で知った本書を手に取る。
新書でさっと疑問解明ができるとは期待していなかったが。
東大寺建立に協力した八幡神が、各地の国分寺に勧請されたとのこと。これも八幡神社が増えた理由の一つなんだろうな。
出雲の大国主と三輪山の大物主は別の神だったものが習合したもの。成程。
住吉社への話の中で、安曇氏が志賀島で祀っていたのが底津小童命、中津小童命、表津小童命を祭神とする志賀神社とある。海神が子供とする信仰があったわけだ。中沢新一の「大阪アースダイバー」には朝鮮半島からの海民達の日神に仕える女神達の信仰が語られていたが、日光感精の神話は北方の新羅の神話で、朝鮮半島でも南方の海民の海神に纏わる神話はまた違うのではと思うが、まあ素人考えか。
諏訪の信仰と出雲に共通点が多い。国譲りには関係無しに、本当に出雲から侵入した歴史があったらしい。しかし、出雲国造や諏訪の大祝が神と見なされるのは、近畿のアマテラス系が出雲や諏訪の神を封印するための装置ではないかとも思える。
相変わらず余分なことも考えたが、頭の整理になったと思う。
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結局タイトル「なぜ八幡神社が日本で一番多いのか」の答がなんとも薄い。それだけ?…で終わる。神社観光案内という感じ。もっと深いものを期待していました。残念。これ、本当に著者が書いたのだろうか。インタビューベースでまとめたんじゃないかなという浅さ。あまりお勧めできません。(そもそも見出しに登場する「!」の数が怪しい。)
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日本の神々について、それぞれの振興のあり方や起源、神仏習合・廃仏毀釈などが書かれている。
元々ある程度土地や神社について知識がなければ、一度読んだだけでは固有名詞などが多すぎて頭に入りにくいところがある。
研究結果をこのような新書でまとめてくれているのは、非常に価値がある。
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昨年、阿蘇神社でご朱印帳を手に入れたのをきっかけとして始めた神社めぐり。
神話の話やご神体の話はそれぞれにあるのですが、どうも系統だとか全体像がよくわからなかったなかで、新書版というお手軽さの中で要点がわかりやすくまとめられており入門書として最適でした。
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*八幡、天神、稲荷、等々、全国の神社のうち数の多い11系統の神社をとりあげて、由来を解説した本。タイトルと内容は、あまりマッチしていない。
*個人的には、やはり古事記がらみの、伊勢や出雲の話が面白かった。
*全体的に、明治より前の日本では仏教と神道はごたまぜになっているのが普通で、明治の廃仏毀釈を経て、信仰のありかたは相当変わった、というのが、とても雑にまとめると、著者の主張。その辺は別の本で詳しく述べているらしい。
*その別の本とやらを読んだらスッキリするのかもしれないが、「○○は○○の神と習合し、」という説明が頻出するものの「習合する」とはつまりどういうことなのかについては説明がない。
*歌舞伎の演目に関係する信仰の章では、歌舞伎の解説もしてくれていて、めっけもん。
*正直、阿刀田さんのたのしい古事記を読んでいなかったら、馴染みが無さすぎて楽しめなかったかなと思う。興味と知識がある程度必要。本当の初心者向けの「入門書」とは言えない。
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日本に多い神社の、由来、祭っている神様等のそれぞれを解説する。神様はやおよろずで無数に存在しており、神社もそれぞれ祭る神が異なり、由来もいろいろであることがわかる。
登場する神様や神社の名前がむずかしく読む気を削がれるが、名前は忘れて先にするめばいい。筆者の知識量には驚く。
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宗教学者だからか、信仰のありようみたいなものに主眼がある感じで、あまり蘊蓄に富んでいないところはもったいない感じ。とはいえ、菅原道真以前に天神はあり、応神天皇以前に八幡はある、というところは、たぶん、心しておかなければならないあたりなんじゃないのかな?とは思った。
白山は取り上げるのに、愛宕や秋葉はさらっと流すというのも不満ですんで、誰か書かないかな。
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その神社が必ずしも記紀由来でないこと、大和や京都から遠いところに祀ることで、神々に対する畏敬の念を持っていたかもしれないこと、そして、神仏習合しながら発展してきた歴史があることは興味深い。 日本は多種多様なことを受け入れる、雑種文化なのだということも、改めて感じた。
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毎年いろんな神社に行くが、こんなに種類があったなんて知らなかったし、それぞれの歴史がかなり面白かった
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それなりに面白かったけれど妙に読むのが大変な本だった。
楽に読める部分と大変な部分と混在しているように感じ
なぜか?と振り返ってみたら、予備知識のある部分は楽なのだった。
人名・地名・年代等々、次々出てくるので、今まで興味も予備知識もなかった人は大変かもしれない。
手軽な入門書ではないと思う(研究書という風でもないけれど)
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神道の神社を系統ごとに説明した一冊。様々な種類があることについて疑問を持ち始めたら、その解決にはうってつけな内容。
メインで紹介されているのが、国内に多いものを中心に、小見出し順に、八幡、天神、稲荷、伊勢、出雲、春日、熊野、祇園、諏訪、白山、住吉。しかし、白山の項にて日吉、浅間、日光など一連の山岳関係信仰が、住吉の中に宗像、恵比須、金比羅など海神系が含まれるなど、小見出しよりも豊富な内容になっている。
一冊の新書にしては内容が豊富であるため、事実の列挙のような書かれ方になっているようなきらいがある。
稲荷、春日、祇園など、普通はその縁起は触れることはないのではないか。義務教育の中でようやく天神信仰の単著がわかるのではないかと思う。高校の日本史のレベルでも上っ面な理解すら難しいと思う。好事家の世界か。
読むにつけて、地主神、渡来神、神仏の習合が激しいことがよく分かる。古い神社ほど式年遷宮が残っているとか。江戸間で神仏習合があったからこそ栄えた信仰が多かったとか、逆に明治以降は神仏分離により、居心地の悪そうな整理をされた寺社が多かったように思う。春日、熊野、祇園とかは典型的なように思う。
著者の他の著作も読みたくなってきた。日本仏教版と思える「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」とか、神仏習合系と思える「神も仏も大好きな日本人」とかね。
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(私的メモ)
図書館への返却期限日に最初から読まなければならなくなり、180pで眼痛のため、ストップ。それ以降は、見出しだけ読んだ。
神社はほとんどが皇族の神道に関わるものと思っていたので、勉強になった。でもかなり複雑でかつ、不確かな部分が多いので、ちゃんと理解するのは大変だ、と思った。
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遠足の事前学習②。諏訪大社つながりで読み始めたが、八幡神社のことが学べた。源頼朝のせいだな。
諏訪大社のことはほとんどなし。寺田鎮子さんの本で詳しく読んだので、再確認にもならない程度の情報量。
この本の肝はそこではなく、八幡神社とか稲荷神社とかのほうであった。そっちについては詳しく、わかりやすく、勉強によくなった。
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p5 『浄土真宗はなぜ日本で一番多いのか』
この人の別著。今度読もう。ちなみにうちは曹洞宗だ。
p22 阿佐田神
麻雀小説家の阿佐田哲也が稲荷山に祀られている。麻雀の神として新日本麻雀連盟が祀っているらしい。こんな風に日本では個人を神にできる。東郷神社とか乃木神社とかもある。
p25 デウス
ザビエルは日本に布教する際、キリスト教の神デウスを大日如来として訳した。そうすることで日本人に早くなじんでもらおうとしたのだろう。
ここで注目すべきは、神道の天照大御神ではなく、密教の大日如来を選んだ点である。八百万の神に並べるのではなく、密教の唯一神に喩えたところが、味噌である。
p28 神学は学問ではない
寺院の僧侶は出家した存在で、俗世から離れ仏教という宗教を学問する役割を持つ。
神社の神官は俗人扱いであり、祭祀を行うときだけその役割を担う。
仏教寺院が僧侶という「人のため」の場ならば、神社は「神のため」の場なのである。
p34 神社の系統数ランキング
①八幡信仰(八幡宮・八幡神社・若宮神社)
②伊勢信仰(神明社、神明宮、皇大神社、伊勢神宮)
③天神信仰(天満宮、天神社、北野神社)
④稲荷信仰(稲荷神社、宇賀神社、稲荷社)
⑤熊野信仰(熊野神社、王子神社、十二所神社、若一王子神社)
⑥諏訪信仰(諏訪神社、諏訪社、南方神社)
⑦祇園信仰(八坂神社、須賀神社、八雲神社、津島神社、須佐神社)
⑧白山信仰(白山神社、白山社、白山比瑪神社、白山姫神社)
⑨日吉信仰(日吉神社、日枝神社、山王社)
⑩山神信仰(山神社)
いろんな信仰があるんだなー。(小並感)
p36 八幡神の登場
八幡神は日本神話とは関係ない。八幡神が最初に登場するのは737年の平城京時代。突然『続日本紀』に登場する。
p39 託宣
八幡神はシャーマンに憑依して託宣する神である。
そして、東大寺の大仏建立に際して、「俺も応援すっから!絶対大丈夫大丈夫!」という託宣を聖武天皇に託宣している。
p41 道鏡事件にも関与する八幡神社
宇佐八幡宮には、行為を左右する託宣の力があった。
孝謙天皇の愛人兼参謀であった道鏡という僧侶は、孝謙天皇が称徳天皇として再び即位した時期に、皇室でもなんでもないのに、道鏡を皇位につけるよう託宣があったという知らせを受け、その権力を絶対的なものにしようとしていた。
しかし、称徳天皇が和気清麻呂を遣いに出して宇佐八��宮から改めて託宣をもらってみると、そんなこと言ってないという。道鏡を皇位に付けようとしていた称徳天皇は怒って、和気清麻呂とその姉を流罪に処した。翌年、称徳天皇は亡くなり、祟りを疑われた。そして道鏡も下野の国薬師寺に左遷された。
ここで宇佐八幡宮が、託宣の力ですごい影響力を持っていることがわかる。
p45 韓国の神
辛国の城に、初めて八流の幡と天降って、吾は日本の神と成れり
p46 園城寺(三井寺)
園城寺にも新羅の神が祀られている。
p53 八幡神は
八幡神は応神天皇と習合されている。これがただの八百万の神ではなく、皇祖神として神の中でも位の高い普遍的な存在になれた所以であろう。
p57 八幡大菩薩
八幡神は神道の神でありながら、仏教の菩薩でもある。神仏習合の日本でも特殊な神様である。
p59 八幡なければ日本はあらず
八幡神は独立した信仰の対象として多くの信者を集めているわけでもないが、日本の信仰の歴史の中で重要である。八幡神があるから神仏習合も正当化できるし、託宣という日本では珍しい神からの預言を与える者として人の拠り所になってきた。これがなければ、案外、日本は全然違う国になっていたのかもしれない。
p65 聖人崇拝
日本には人格神というものがあり、その代表が菅原道真である。キリスト教やイスラム教などにも、神への崇拝だけでなく、聖人崇拝というものがある。聖フランシスコや聖バレンタインなど。日本の人格神はこれに近いのだろう。
p66 北の神社の丑
天神信仰の神社には丑(臥牛)がいる。それは、道真が生まれた日が丑の日で、亡くなった日も丑の日だから。とか、道真の遺体を運ぶ牛が、墓への途中で臥して動かなくなり、近くの安楽寺に埋葬したからである。ちなみにそこが今の太宰府天満宮である。とか。
道真に牛が関わるから、丑がいる。
p71 とおりゃんせ
とおりゃんせの歌詞にも天神様が出てくる
「とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ ちっと通してくだしゃんせ 御用のない者とおしゃせぬ この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります 行きはよいよい帰りは恐い 怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ ♪」
寺子屋では学問の神様の天神様が神棚に祀ってあって、毎月25日の道真の生没日には天神講を行った。だから、子供の歌に天神様が登場する。
p80 道真の祟りのタイムラグ
道真の祟りがはじめて文献上に登場するのは20年も経ってからである。道真を陥れた藤原時平は道真没の6年後に亡くなるが、道真の祟りはこの時やっと出てくる。またそこから14年して、京都で咳病(インフルエンザ)が流行った時に出てくる。この時間差、気になります!
p95 秦氏が稲作して稲荷
秦氏は渡来系の一族で、稲作で富を得ていた。彼らが信仰していたのが稲荷の神であった。つまり、稲荷神は穀物の神であり、稲作とともに渡来してきた神様なのである。
ちなみに、稲荷神はキツネではない。狐はあくまでお稲荷さんの使いであり、眷属である。
p97 神名備
大神神社ではその後ろにそびえる三輪山がご神体として祀られ、「神体山」「神名備」という。
p102 密教
日本の仏教は中世に密教になり、神仏習合で神道と合流した。仏教が朝廷や貴族の物だけでなく、広く民衆にも降りてきたのは、神道と密教が合流したからかなー。
p107 豊川稲荷
神道の稲荷信仰の本山は伏見稲荷社である。それに対し、仏教の稲荷信仰もある。それが豊川稲荷で、曹洞宗系列である。
これに見られるように、稲荷信仰は典型的な神仏習合の信仰であった。
p135 遷宮
伊勢神宮の遷宮には、社殿を一新することによって神を、さらには世界を再生させる意味があると考えられている。
建物が朽ちることが遷宮の理由ではなく、神に新しい宮殿を捧げる「新宮遷り」が目的なのである。
「再生」というどの宗教にも見られるテーマのイベントの一つなのである。
p138 129年も遷宮がなかった時期があるらしい
伊勢神宮では、内宮は応仁の乱の5年前(1462)に第40回遷宮が行われて、応仁の乱からの混乱で1585年まで123年間遷宮が行われなかった。外宮では1434~1563まで129年も遷宮が行われなかった。この間の資料はなく、建物がそんなに持つわけないからきっと小さな社に入れられていたりしたのかな。
p176 ハワイにもある出雲大社
大国主命をまつる神社は少なく300くらい。府中の大國魂神社とかがあるが、じつはハワイ出雲社がある!
p182 藤原の氏神
藤原鎌足(中臣鎌足)から始まる藤原家の氏神は春日神である。ちなみに氏寺は興福寺で、春日大社が隣にある。
春日神は一つの神ではなく、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天児屋根(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメガミ)、天押雲根命(アメオシクモネノミコト)の五つを複合して祀っている。
p199 補陀落渡海(ふだらくとかい)
浄土教信仰の特異な習俗のひとつ。那智の南方の海にあるとされた補陀落浄土に行き着くことができれば、極楽往生を果たせるという信仰である。
これに挑戦する僧侶は沖で小舟に乗せられて放たれる。漂流して浄土にたどり着くというものだった。ただの自殺行為である。ただ、極楽浄土に行きたいがために自殺行為を怖れないというのも面白い話である。
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後半に行くにつれてマイナーな話になるので、面白味が薄れる。筆者の力の入れ方も違ってくるのがよくわかる。前半だけ、出雲まではGood!
ただ、この人の宗教の本は色々と興味深いタイトルがある。これは、本の内容が良いからなのか、出版社の担当の腕がいいからなのか、ほかの本もぜひ読みたい。
しかし、スゲーいっぱい本出してるんだよな。感心するわ。