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プラットフォームによるコンテンツの支配やパソーソナリゼーションがもたらす閉塞空間から脱出した「独立なる二元の邂逅」こそ、クリエイティビティにとって重要と論じ、『らき☆すた』、『仮面ライダーディケイド』から寺山修二、岡本太郎などを例示しクリエイティブの原点を探る。
ビッグデータやソーシャルメディアなど情報社会を演劇や構築物そして都市などに投影させる芸術家(美術家)の視点が新鮮、いまひとつ理解できないところもありますが。。。
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壮大な岡本太郎•寺山修司論。ハンターハンターの最後の論はないだろう。
プラットフォーム、創発、偶然、他者、拡張現実、情念定型、キャラクターとキャラ。市街劇見てみたい。
2014/05/06読了。
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アマゾンなどで批判されている原子力―HUNTERXHUNTERの箇所は全く妥当。あの書き方ならば、批判されても仕方ない。けれど、作者が「意識」しているかしていないかは実のところ問題ではないのだから(それが「批評」だ)、それがわかるように書けばよかったはず。
手際よくまとめられた、ソーシャルゲームに関する前半部分は必見。情念定型の応用は、ちょっと弱いし、飛躍が見られる。
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アーティスト・グループ「カオス*ラウンジ」の代表である著者が、現代社会におけるクリエイティヴィティの可能性について考察している本です。
著者は、ソーシャル・ゲームの流行を手がかりに、アーキテクチャがゲーム・クリエイターのクリエイティヴィティを凌駕する事態が生じていることを指摘し、「運営の思想」と「制作の思想」という対立軸を設定します。そのうえで、『らき☆すた』や『仮面ライダーディケイド』などに、この問題を乗り越える可能性を見ようとしています。
つづいて著者は、寺山修司や岡本太郎らの作品を解釈しながら、アーキテクチャによる「エンドレス・ミー」への囲い込みをすり抜けて「偶然性」や「他者性」にわれわれが直面することのできる可能性をさぐろうと試みています。
問題とされている現代社会のありかたについての分析は、よく見かける議論ではありますが、納得ができるもののように思えます。ただ、それを乗り越える可能性を論じる著者のスタンスが、ロマン主義な芸術観を脱しきれていないようにも感じました。率直にいって、まだ「絶望が足りない」のではないかという疑問を抑えることができません。