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光厳天皇 をさまらぬ世のための身ぞうれはしき みんなのレビュー
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紙の本
「自ら責任を負った唯一の天皇」か「持明院統の後醍醐」か
2023/12/12 22:10
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近刊行される光厳天皇の評伝らしく能動的に大覚寺統の「一代主」から自らの家系を皇統にしようとした後醍醐天皇と対比する形で「脇役」ながらも持明院統の当主として時代に生きた人物として描いている。
だからか知らないが建武2年の西園寺公宗による後醍醐天皇暗殺計画に関わる持明院統の太上天皇は後伏見院としている。「地獄を二度も見た天皇 光厳院」はこの事件を言及すらしていない。村松剛の「帝王後醍醐」はこの事件は「持明院統」と抽象的な書き方をしているが尊氏への院宣下付の個所でそれとなく光厳院によって計画されたと分かるように書かれている。上皇による天皇暗殺とクーデター計画となると類例がないので避けているのだろうか。中先代の乱や尊氏・直義兄弟への共闘を見ても光厳院が持明院統の当主として能動的に動いているのが分かる。中公新書の「中先代の乱」の著者が中先代の乱の敗北後、尊氏・直義兄弟に賭けた光厳天皇を「ある意味、光厳は「持明院統の後醍醐」とでも言うべき存在なのかもしれない」と書いたのが正しいように思える。
岩佐美代子の「光厳院御集全釈」は、おそらく光厳天皇に託して幼少時から身近に見てきた昭和天皇を暗に批判しているのか?もしれないけれど光厳天皇を美化し過ぎだ。
光厳院が直仁親王に皇位継承者とした件について、まだ赤橋登子との縁で選ばれたとの説が論じられる前だが、恩師花園院への報恩があるにしろ、せっかく持明院統は長子相続で一貫していたのに崇光院から直仁親王に譲位された場合は崇光院と栄仁親王方と新帝直仁親王との間に揉め事があったかもしれない。
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