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展開としては、結構予想通りな感じ。でも、この手の話個人的には好きです。同じハヤカワのアレクシア女史シリーズ好きな人なら好きかも?
続編の翻訳が早く出ることを期待。
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作者のオースティン好きの気合が伝わってきました。ただ、恋愛話としては盛り上がり方が取って付けた感じで…
姉妹のビミョ〜な関係の辺りが意外によく伝わってきました。
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帯にファンタジー版ジェーンオースティンとありますが、正にその通りかと。主人公の姉妹は高慢と偏見のダーシー姉妹のようだし。
なんとなく、物足りなかったので☆3つですが、このヴィクトリア時代と、ファンタジーが好きな人ははまるかもとは思います。ただ、誰が好きなの?っていうイライラ感。現実には、こういう自分でも誰が本当の目当ての人なのかわからないってことありますが、物語のなかでもやられると苛々するなぁ。なんだろう、高慢と偏見を読み直したくなります。
完璧、ジャケ買いかな、これは…
エルズワースという苗字で紺野キタのダークシードを連想。こっちも魔法系のお話だし…
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19世紀初頭の英国。音楽や絵画と並んで魔術は女性のたしなみとして日常を幻で飾っている。魔術を使う時の表現が魅力的。だが、予想以上にロマンティックな展開だった。
結婚せずに地道に生きようと決めているジェーンは芸術に絡んだ豊かな愛情を受け入れるが結局は古典的な幸せの形なのね、と思った。
舞台設定の時代からいけば当然なのだけれど、女ってばかよね〜とか男ってどうしようもないよね〜とか、読んでいてしんどい。
ジェーンと家族の関係性も辛い。
魔術師の再登場は予想通りの形。どうせなら魔術でいかつく見せてたけど実は絶世の美青年くらいやっても良かったのでは。
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・メアリ・ロビネット・コワル「ミス・エルズワースと不機嫌な隣人」(ハヤカワFT文庫)巻末の作者自身による「謝辞」は次のやうに始まる。「まず、たいへんお世話になったジェーン・オースティンに感謝の意を表したいと思います。この小説を書く ひらめきを与えてもらったばかりでなく、細部の大切さについてずいぶん学ばせてもらいました。」(365頁)さうして「訳者あとがき」にはこんな一節があ る。「実のところ、『ミス・エルズワースと不機嫌な隣人』は時代背景ばかりでなく、語彙や語り口まで意識的にオースティンをまねている。分別のある姉と情熱的な妹という組み合わせまで『分別と多感』そのままだ。」(369頁)この物語はこれがほとんどすべてであらう。一読、直ちにオースティンを思ひ出す、 思ひ出させる。雰囲気が全く同じなのである。物語は19世紀初頭の「摂政時代の英国を舞台にし」(368頁)てゐる。これは「田舎では中流以上の階級が隣 人との社交にいそしむ優雅な生活を送っていた時代。」(367頁)である。エルズワース家もそんな階級に属し、夫婦と娘2人で隣人達との社交生活を楽しんでゐる。だから正にオースティンなのである。それだけならばおもしろくも何ともないのであらうが、この物語、実はさうではない。ここにちよつとした仕掛けがある。仕掛けといふと大袈裟か、コワルの世界には魔法が生きてゐるのである。以前、セス・グレアム=スミス「高慢と偏見とゾンビ」といふ作品があつた。 書名から明らかなやうに、これはオースティンの世界にゾンビを取り込んだもので、しかも、文章等はできるだけ原作利用、まねてゐるなどとといふものではなかつた。それゆゑに見事なパロディーとなつてゐた。この「ミス・エルズワース」はそれほど見事ではない。物語の世界はオースティンでも、物語自体はコワル のものである。それでも、読んでゐるとパロディーかと思つてしまふ。まねるとはかういふことであつたか。だから、これもまたおもしろい。
・ところで、その付加された魔法、他とは少々違ふ。巻末の「魔術用語集」魔術の項に、「この改変された歴史上の摂政時代において、魔術とは男性でも女性でも使用可能な魔法を指す。この力によって、光、香り、音の幻影を創り出すことができる。」(362頁)とある。だから、例へば姉ジェーンは 「ピアノの前に座り、魔力の襞を引き寄せた。」(16頁)さうして魔術を友に音楽を奏でるのである。絵画でも、「魔術と絵の具が組み合わさって室内をニン フの木立に変貌させていた。(中略)その幻は野生の花々のにおいやシダの芳香で見る物の鼻をくすぐった。視界のすぐ外で小川がさらさらと音をたててい る。」(45頁)絵から音や香りが感じられるのである。もちろん、人間を他のものに見せることもできる。目くらましの類であるが、いづれにせよ基本は幻影、幻である。ジェーンの器量は人並みのやうだが、この魔法の力は人一倍であつた。これが物語のポイントである。社交生活以前に姉妹、家族間の葛藤があり、さうして若い娘のことゆゑに恋もある。そんな時々にジェーンの力がものを言ふのである。かういふ物語の動きが正にオースティンである。この時代のこの 階級の人々の関心と行動はかくぞといふべきであらう。オースティンをコワルが見事にまねをしたのである。しかも、ゾンビのグロテスクさとは違ふコワルの魔 術の優雅さがまた別のパロディーに仕上げた。こんなものが作られるのだから、やはりオースティンは偉大なのである。なほ、個人的にはジェーンのその後を知りたいと思ふ。これはオースティンを離れるのではないかと思ふのだが……。
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いつ恋愛要素が始まるのか前のめりに読んでしまった。
ファンタジーな世界観ではあるものの細かな描写が多く、貴族日常系の物語が好きならおすすめ。
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読み初めてすぐに高慢と偏見が浮かびましたです
んーー
おなじようなパロディなら高慢と偏見とゾンビのほうが面白かったかもです
ダンカーク氏も最後よくわからない奴だったしー
んんー
ヴィンセントの心の動きについてもっと知りたいなー
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ジェーン・オースティンの、という宣伝文句に感銘も受けず、19世紀英国が舞台、しかも魔術!という方によっぽど惹かれて手に取った。
オースティンより、むしろ英国パラソル奇譚シリーズを思い出したよ。エーテルが共通ワード。
魔術が当たり前な英国なんて、すごく好みの設定だ。
ただ、あのシリーズよりシリアス色が濃いし(当たり前か)、淡々と物語は進むし、読み終わってから、なるほど、だからオースティンなのね、と思ったよ。遅すぎですか。
魔術の描写がかなり素敵でね。
魔術で描かれる絵や音楽を、頭の中でうっとりと想像してみる幸せ。これぞファンタジーの醍醐味よね。
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図書館で。
オースティンのパロみたいなファンタジー。魔法が女性のたしなみってのは面白いアイディアだなあと思いました。たぶん、このダーシィさんに似た人とうまく行くのかなあと思ったらやっぱり、という感じであまり驚きはしない展開でしたがそこかしこに高慢と偏見が顔を出していて面白かったです。続きも読んでみたいかな。
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ハウルの動く城の映画版ソフィー的な長女の不遇。そんな主人公のジェーンなのでした。
※ハウル原作版はソフィーさん美人だし、どちらかというと寓話にある『長女の不遇』を信じてしまっているが故の不遇なので。
メロディもねぇ…才能まで欲する欲張りと見るか、才能がないことに気が付いて嫉妬し嘆くだけの感性はあったと見るか…。
まぁなんにせよワガママ娘だし、思いやりを搾り取られるだけ搾り取られて更にもっとと要求されるジェーンに同情してしまうのはいたしかたないかも。
多少鈍感とはいえ、お父さんが優しいのだけはまだ救いだったかなぁ。
魔法が出てくるけど、ハリポタのように戦ったりはしません(笑。
どちらかというと芸術的な範疇、というのがファンタジー物にしては目新しく感じました。詩的な表現も素敵。
この作品はこれだけで完結して読めるのだけど、シリーズとして5作目まで出てるらしいですね。邦訳はまだこれきり。
出るなら読んでみたい!
作者の方はアメリカ人なので、アングロファイル(英国びいき)文学になるのかな。
最近ずっとマーサ・グライムズを読んでいたので、アメリカ人の書くイギリスが舞台の小説に縁と興味があるのでしたよ。
アイリーン・アドラーのシリーズのキャロル・ネルソン・ダグラスもアメリカの人でしたね~。
ハヤカワ文庫も最近はコ○ルト文庫とかラノベ調の表紙増えて来ましたね。
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19世紀初頭の英国の田舎町。
音楽や絵画に魔術をかけることか教養とされている世界で、魔術の才能がありながら容姿に恵まれず婚期を逃した28歳のミスのお話。
歴史がどうこうと紹介されていますが、田舎のレディの純情ロマンスです。
魔術の使い方が面白いので、そこは良かったですが、わかっていても最後はポカーンてした。存在すら忘れてたくせに!ってツッコミました。
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原題はSHADES OF MILK AND HONEY。milk and honey は富と芳醇さを表す表現のようなので、言い換えれば「豊かさの陰」の意味。邦題、ましてやショルダーコピーに掲げられた「幻想の英国年代記」では伝わらない本書のテーマがタイトルには込められています。つまり、19世紀初頭の英国郊外の上流層のまやかしをめぐるミステリーが本書です。
「宇宙へ」の作者による2014年の作品。