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【読書その73】厚生省の大先輩である山内豊徳氏を知ったのは、大学時代。父の本棚に山内氏の著書「福祉の国のアリス」を見つけて手に取った時である。その本は厚労省に入り、福祉をやりたいという自分の気持ちを大いに奮い立たせるものだった。
その後、この文庫「雲は答えなかった」というタイトルに変更される前の「しかし・・ある福祉高級官僚 死への軌跡」を手に取った。そのときの自分の想いと現実に阻まれて死を選んだ山内氏の衝撃は今でも覚えている。
あれから約10年。自分も来月で社会人10年目。家族を持って、この本を読んで感じるものも明らかに変わった。自分の想いと現実との狭間、レベルは違えど役人であれば必ず経験するはず。今後自分も色々な場面で経験するだろうが自分に嘘をつかずやっていきたい。
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是枝さんといえば、映画監督と思っていたので、読む前に著者名を見て意外なかんじがした。
ひとりの官僚の生い立ちから、自殺という最後をとげるまで、を追ったノンフィクション。
抑えた筆致であろうとしながらも、その人に対する強烈なシンパシー、冷徹な、まわりにたいする皮肉が、時折見え隠れし、あっという間に読み終えた。
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1990年12月5日 厚生省企画調整局長 山内豊徳 自死
53歳。
文庫になる前の”しかし…ある福祉高級官僚 死への軌跡”を読んだ時にも感じたやるせなさ。
抜群の成績の高校時代に戻って、自分のなりたかった医者になるべく九州大学の医学部に進んでいたら…。
でも、著者の是枝監督は、中学、高校時代の彼の詩に
死の匂いを感じとっている。なぜ。
官僚になるには、あまりに純粋で気配りの人すぎた。
でも、ほんとうはこういう人こそ官僚にいてほしいのだ。
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山内豊徳氏という高級官僚の生と死を通して、職業と家族と自分との問題を考えさせられる。
俺は彼のように純粋に、「力に負けずにあくまでも正しい者の味方をする」こともできないし、また彼のように不器用に、「現実にしごと(彼の場合は行政)を適合させていくことができない」こともないし、さらには彼のようにすべての人に誠実に対応しようとするあまり、「決断を遅らせたり、その発言を歯切れの悪いものにする」こともない。
しかし、そういう彼の特徴として書かれている部分は俺の中にも少なくない。そしてそれは、個人としては尊敬に値するものだ。
彼の死は、家族にとっては悲しい出来事だったろう。しかし彼自身にとってはどうだったのだろう。死の瞬間、一度は死ではなく失踪を試み、そして翻って自宅に戻り、午後から出社すると偽って自室で死に向かった時に彼の心象風景はどのようなものだったのだろう。もしかしたら、彼にとっては家族よりも公共性が重要であったようにも思えることから、官僚としてできるだけのことはやった、やった結果として、ある必然の死だったとすれば、それは、あながち「悪い結果」ではなかったのかもしれない。
そう考える時、「彼のような不器用さでは社会には通用しないのだ」という感想は、少々的をはずしていることになる。「彼のような不器用さがあってこそ社会の中で自分たりえるのだ」と。
しかし、そのことと、自分にとっての幸せとはまた異なる。何とも、答えのない海に放り出されたような気分だ。
【追記】あとがきを読んで
筆者によるあとがきに、こうある。
「山内豊徳という人間は~中略~やはり加害者側の人間であったと言わざるを得ないし、又同時に時代の被害者でもあった~中略~彼はそのふたつのベクトルに引き裂かれながらアイデンティティの二重性を生きた~中略~多くの人はこの内なる加害者性と向き合うことが辛くて、目をそらしているに過ぎない。」
この内なる加害者性こそ、俺が「先生」と呼ばれる職から逃げ、そして今の民間の業務においてすら「一歩踏み込めない」原因になっているものだと思う。
しかし、内なる加害者性に挑んだ山内氏。彼を突き動かした「数や力では無く正義に味方する」という態度。そういう強さを目指して、やってみようと思う。
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人間らし過ぎて、自分に葛藤してしまった山内さん。
その山内さんを通して、白黒ではない人間の生き方に触れ、
自分のやり方を掴んでいった是枝さん。
ノンフィクションとはいえ、作り手のフィルターが掛かってしまう以上、フィクションだという姿勢ながら、
その文章は冷静で、どちらの肩を持つでもない真摯な目で事項を推し量っていると思う。
「喪の途上にて」にもあった「喪の作業」という言葉が出てきているので、合わせて読むと多角的な理解が得られるものと思う。
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今は「そして父になる」などで有名な映画監督、是枝裕和の原点は、フジで放映されたドキュメンタリー番組「しかし…福祉切り捨ての時代に」(1991)。
この本は、この番組を詳細に描いたものだ。
水俣病に関わった厚生労働省の高級官僚、弱者を前に常にひたむきに真摯に向き合った男が、その経歴ゆえに省の中で上りつめてゆく。
しかし、上に上がれば上がるほど、国を動かすために逆に弱者を切り捨てる政治が待っている。
優しさゆえに、その間で翻弄される一人の男。
やがて選択せざるを得なくなる自死への道。
番組を作る過程で、是枝氏本人が大手テレビ局員ではなく、外注スタッフと分かった時から、蔑む人の目。
人を見ず、肩書きばかりで見る社会は、本書の主人公も是枝氏にも生きにくかったのであろう。
「しかし…」現状に抗うために吐く言葉は、社会と向き合うために闘うためのものでもある。
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20141028読了。
映画監督、是枝裕和の初著作。水俣病に関わった官僚の死を取材し、ドキュメンタリー番組として放送されたものにさらに取材を重ねてまとめられたノンフィクション。
日本の高度成長の負の遺産、水俣病。自分がその病気と政府の対応について全く知らなかったことがまず衝撃。「水俣病」という名前は知識として知ってはいたが、経済成長を優先させるために被害者への補償やを切り捨てる政府の対応。そのひどさや、政治家・官僚と呼ばれる人たちの保身、「臭いものには蓋」主義に震えるほどの怒りを感じる一方で、冷徹な官僚になれなかった山内さんのもがき苦しむ姿が辛すぎる。死へ向かっていく姿と支える奥さんの姿は涙なくして読めなかった。
口下手な一方で、詩で自分を表現する。なんて不器用な生き方だったのだろうか。
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90年12月、環境庁のあるエリート官僚が水俣病訴訟の最中に自殺した。
山内豊徳は東京大学時代に小説を何度も応募して落選し、一方当選して文壇にデビューしたのが大江健三郎だった。彼の青春時代の大きな挫折である。一方彼は、国家上級公務員試験に2番で合格、出世コースに乗る。しかし彼は厚生省という、あまり人の行きたがらない処に入る。
彼はそこで数年間、大きな生き甲斐を感じる仕事に出会う。
「福祉のしごとを考える」(中央法規出版)の文章を読むと、生活保護行政への考え方は極めてまともだ。昨今の生活保護パッシングのことを考えると、「幹部候補生の役人にこういう考えの人もいるのか」と驚きさえ覚える。
私は答えてやった。「教えてあげよう、それはね、お前の新しい感情のためなのだ。お前に起こった新しい絶望、そしてそれは何故起こったのか、お前は知るまい。今日の敗北がお前をそんなに苦しめるのを」
雲は答えなかった。私は淋しい気持ちで続けた。
「そして絶望は消えるときがある。しかし敗北はどうにもならない。敗北によって変えられた生活はどうにもならないのだ。お前はまだいいさ、そんなとき、お前自身が消えてしまうのだから。しかし人間はいつまでも生きている。敗北に痛めつけられても耐えていなければならない。絶望にもよろこびにもどんなに苦しんでも人間は生きている。それがどんなにあわれなことか。少なくとも私にとってはまるで気が狂いそうなのだが」(262p)
1953年16歳のときの創作断片である。彼は自分の作った詩や作文を、小学生の時から死の直前まで自ら整理し、おそらく何度も読み返していた。優しきエリート官僚は、学生時代から何度となく読み返されたであろうこの断片を、90年の国の水俣病和解勧告拒否という現実の前に、新たに読み返し、そして極限の敗北感を感じていたに違いない。
この著作は2001年に「官僚はなぜ死を選んだのか 理想と現実の間で」という題で一度文庫化されている。同僚たちが、企業や反対運動の狭間でバランス感覚だけで立ち回っていたのに対して、あと少しで事務次官に届きそうな山内は「しかし」、そういう風に器用に動けてはいない。是枝裕和は云う。「(折衷案を見つけるのが行政の仕事だとしたら)行政の判断は、金と政治力をバックに圧力をかけてくる側に、常に有利にならないだろうか」(144p)
最初の単行本は1992年「しかし…ある福祉高級官僚 死への軌跡」と題して刊行された。「しかし」というのは、山内が15歳の時に書いた詩から採っている。
「しかし」とは、現実社会に対して異を唱える抗議の言葉であり、青年期特有の潔癖さを示す言葉であり、理想主義を象徴する言葉である。山内の人生はまさにこの詩の通り、常に逆接の人生であった。(259p)
ここに、是枝裕和は自分自身をも見る。実際、「そして、父になる」の主人公のエリート社員は、その性格の優しさを最後には露呈し、敗北宣言をして、「しかしね、パパはここから始めたいんだ」と言って終わるのである。
この著作の元になった著者の映像処女作フジテレビドキュメンタリー「しかし…福祉���り捨ての時代に」(91年3月12日)は、まさに「その作家の全てが込められていた」のではないか。映画監督是枝裕和の原点がここにある。DVDを探したが、残念ながら見つからなかった。
今年度のベスト3の一冊になりうる本だった。
2014年10月14日読了
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かなり綿密に取材はしているが、自殺した官僚の心のひだには届いていない。巨大な組織の中で、上と下に挟まれながら、ときに政治家やマスコミにたたかれながら、悩みぬいた葛藤を知りたかった。組織人の典型である官僚の心のうちは、映画監督の筆者にはわからないのだろう。
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私は、是枝裕和監督の作品をDVD化されているものは概ね見たはずだ。少なくともレンタル屋さんに並んでいる限りは。
その作品の根底に、山内豊徳氏との出会いがあったことをこの著書を読みながら、納得させられている。
数々の経済的に恵まれていない人々が、日本という大きな仕組みの中から抜け落ちている。
それを実際に垣間見て、どうにかならないかと苦しんで、しかしどうにも出来なかった一人の人物が、この本の主人公である、山内豊徳氏である。
人間的に愛情溢れる心持ちをしながら、非情に成らざるを得ない福祉政策を進めているその矛盾を惜しげもなくこの作品は捉えている。
図らずも、彼の生き様を知ることで、現代を生きる我々にも、多くの示唆を与えるとともに、安易に日々を過ごしていることに、警鐘を鳴らしている一冊ともいえる。
世の中は常に変化するし、現代社会を支える経済環境は刻々と、人々の生活を変えようと強制力を発揮している。
しかしながら、食べ物を食べて、成長して、子供を産み育て、やがて死んでいくというライフサイクルはそう簡単に変えることが出来ない。
同時に、生活してきた環境も、簡単には変えられないと思っているのが、一般的な人間であろう。
国の負債は増える一方で、民間の経済環境も、働き手やリタイアした人々を支える余裕がなくなりつつある。
そんなときに、山内豊徳氏のように、行政職員として悩みを抱える人はやはり避けようがないだろう。
そんなときに、何が必要なのか、山内氏の生き様を追うことで想定できる対策はかなり多岐に及ぶはずだ。
人々同士の接点がどんどん薄くなるほど、人を求める人間はどんどん増えていく。
この矛盾を抱えて、変えざるを得ない状態にあるも、小手先の対応しか出来ていないのが現代日本である。
何度も何度も、山内氏の生き様から考えることは、今後の日本の仕組みを形作るためにも、とても大切なことではないかと、本著を読み終えて考えさせられている次第である。
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是枝監督がこんな本を書かれていることを全然知りませんでした。そして黒を白と言いくるめるような現政権の元で、同じように良心との板挟みに苦しむ官僚は多いのではないだろうか。でもその状況を作り出しているのもまた同じ「官僚」であるところが悲しい。
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最近読んだ奥泉光の『東京自叙伝』と、ちょうど対になるような作品だと思った。フィクションである『自叙伝』の主人公が無責任な現実主義者として飄々と描かれていくのに対し、ノンフィクションである本書の主人公は、現実と理想の間で苦悩する人物として丁寧に描かれていく。そして両書とも近現代の日本社会について同じようなことを語ろうとしているように思われる。ノンフィクションとして極めて良質。20年以上前のノンフィクション作品が、今また再刊されるのも頷ける。
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エリート官僚の自殺を、その人生を丹念に追うことで描いた作品。
主人公(山内さん)は、官僚として出世をしていく中で、だんだんと理想やポリシー、優しさは、力を失っていき、むしろ邪魔になる。駆け引き、政治力などのバランスをいかに要領よくとれるか、いかに現実的に時に冷酷に現実と向き合い、自分のエゴを通せるか、その現実と理想のはざまでもみくちゃにされ、また体力的にも精神的にも限界が来て、遂に死を選ぶ。
まさに政治の世界は妖怪魑魅魍魎の世界、善意、倫理感だけでは生きていけない、自分を客観的にみて常に世の中との距離を測りながらコントロールしていく冷静さ、冷酷さがないといけないのだと感じた。
奥さんがいっているように、なぜ死んだのかは全くわからない。若き是枝さんも原因を無理やりつけるようなことはしない。死を選んだことの本質的な説明は、本人でも説明できないのではないか。論理的なものではなく、本能的な死のようにも思える。
時代の空気感、今の時代よりもより経済的な部分が精神的な部分よりも、当然勝っているという世の中の風潮が強かった。ということを感じる。
また、新婚のころから奥さんに仕事の話をしない、山内さんの責任感の強さ、弱音を吐かなく、自分の信念に沿ってやりきる心が、裏目に出てしまったのかなと思った。
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人としての良心と官僚としての在り方に挟まれ、自死を選んだエリート官僚の心のうちを追うドキュメンタリー。
是枝監督の作品と聞いて読んだ。
読んでいて苦しかった。政策はだれのためになされるのだろう。政治家や官僚は、国民の暮らしをよくするために働いてくれるわけではないのだという現実を再認識したという感じ。(もちろん国民のためにがんばってる方々もいらっしゃるはずです)
理想と現実は大きくかけはなれているんだ。
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3.8 理想と現実 。理想に生きるか、現実に生きるか?どっちが幸せなのかな?って思う。だけど、生きていたいかな。