投稿元:
レビューを見る
言葉は美しいと心から思った。
こんな言葉を持ちたいと思った。
詩人はまるで音楽家のようだ。言葉で平和の歌を歌っている。
投稿元:
レビューを見る
「自分の感受性くらい」など代表作しか眼にする機会がなかったが、いくつもいい詩に出会えた。
特に『歳月』収録作はどれにも、しっとりとしたエロスと悲しみが同居している。
また「おやすみなさい 大男」や「いい男だったわ お父さん」のようなちょっとした一言がぐいっと胸に射し込んでくる。
投稿元:
レビューを見る
世田谷文学館で茨木のり子展を見て,久しぶりにいくつかの詩をじっくり読んだ.ふだん詩とは全く縁遠い文章を読んで生活しているので,詩を読むのはエネルギーがいるのだが,茨木のり子の詩は私にもよくわかるし,素直に心に入ってくる.これは驚きだった.
というわけで,この本を買った.この前に詩集を買ったのは25年くらい前か.もう,一生詩とは無縁かと思っていたが,こういう再会ができるのはとてもうれしい.
実際に読んでみても,展覧会での印象と変わらず,とても読みやすい.中に「二人の左官屋」という詩があって,自宅にやってきた左官屋さんが詩人に向かって「奥さんの詩は俺にもわかるよ」と言う.本当だ.私にもわかる.
巻末に掲載の大岡信との対談で,詩人は「単純にすっきりさせたい.モヤモヤや悶々をそのまま出したくないんですね.だってほかの人の作品を読むときでも,単純な言葉で深いことを言えてるものが最高と思いますもの」(p.323)という.大岡さんは,それを「論理性」とか「すぱっと言い切る」という言葉で表現している.ここらが私にもわかる理由だろう.このような詩のスタイルは,母親を早く亡くし,医者の父親のもとで育ったという生い立ちとも関係があるような気がする.
私でも以前から知っていた「わたしが一番きれいだったとき」「自分の感受性ぐらい」「倚りかからず」などの他にもいい詩がたくさんある.自分の覚えのために題名だけ書いておく.
「ぎらりと光るダイヤのような日」「六月」「花の名」「りゅうりぇんれんの物語」「冷えたビール」「みずうみ」「答」など.
それにしても晩年に近づくにしたがって,孤独のつらさが痛い.死後出版の「歳月」の一連の詩はそれまでの詩とちがってかなり肉体の感覚に近いところで書いている.それがなかなか私にはこたえる.本当に夫婦ってこんなに愛し合えるものなんだろうか.
投稿元:
レビューを見る
言葉が多すぎる
というより
言葉らしきものが多すぎる
というより言葉と思えるほどのものが無い
この不毛 この荒野
賑々しきなかの亡国のきざし
さびしいなあ
うるさいなあ
顔ひんまがる
茨木のり子「賑々しきなかの」、谷川俊太郎編『茨木のり子』岩波文庫、2013年、202頁。
谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』岩波文庫、読了。「茨木のり子の詩を読むのに、構えはいらない。そこに差し出された作品を、素手で受け取り、素直に読んでみるに限る」(化水音たかく 解説に代えて・小池昌代)。じわじわくる。極めて個人的経験の表象がここまで普遍的に揺さぶりをかけてくるとは。魂消た。
言葉を弄ぶ者どもよ、戦慄せよ。
投稿元:
レビューを見る
あまり詩集って読まないんだけど、プレゼントでもらって、
久々に心を澄ませて?読むことの心地よさにあいました。
激しさも、静けさも感じられる、茨木さんの詩集良かった。
好きなのは、
王道の
自分の感受性くらい
活字を離れて
怒るときと許すとき
準備する
さくら
投稿元:
レビューを見る
茨木さんの詩を読むとなんて人間ってちっぽけなんだろう、自分は何を小さなことにこだわってるんだろうってつくづく感じる。
茨木さんの領域には到底達することはできないけど、勇気と強い気持ちを少しもらえる。
やりたいことをやろう。
人じゃない、自分の考えで進もう。
若い時やるだけやってみよう。
足腰が弱ってきたら心を強くしよう。
茨木さんの詩は、強くやさしく僕の心に響く。
限りない想像力を与えてもらえる。
茨木のり子さん、ありがとう。
茨木さんを教えてくれてありがとう。
投稿元:
レビューを見る
友達に勧められて購入。あまり詩って触れてこなかったけど、いい機会だと思って読んでみた。
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを 近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を 時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ ばかものよ
「わたしが一番きれいだったとき」
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた
できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いたフランスのルオー爺さんのようにね
投稿元:
レビューを見る
限界まで研ぎ澄まされた言葉で、こんなにも奥行きのある世界を見せるなんて。
読む、目をあげて考える。読む、目をあげて考える。の繰り返し。贅沢な時間を過ごせた。
「解説に代えて」もよかった。
投稿元:
レビューを見る
あほらしい唄
言いたくない言葉
くりかえしのうた
兄弟
自分の感受性くらい
怒るときと許すとき
活字を離れて
一人のひと
なれる
(存在)
よいですね~
投稿元:
レビューを見る
谷川俊太郎選だったので、谷川俊太郎の詩集に続けて読んだ。10代、20代の頃は女性作家の感性に共感出来ることが少なかったが
今となっては、かなり心に響くものがある。
この本には遠慮なく付箋をつけまくって、何かある度に開くことにしている。どの本よりも今一番読み返してる作品。
投稿元:
レビューを見る
久々に詩集を一冊。
ずっと好きだった「自分の感受性くらい」
哀しさと勇気の「わたしが一番きれいだったとき」
力強い「ぎらりと光るダイヤのような日」
耳に心地いい「波の音」に幾年巡る「さくら」。
誇り高い「寄りかからず」
母なる星をうたった「水の星」
愛と不在の「夢」「一人のひと」「歳月」、
そしてアムネスティに送った「灯」・・・
詩人ってすべての事物をたたえ、勇気づけてくれるんだろうな。
投稿元:
レビューを見る
”子どもの頃と少しも違わぬ気性が居て
哀しみだけが ずっと深くなって ”
わかりやすく、歯切れの良い言葉の重なりは
茨木氏の生き方そのもの。
スッと立つ1本の樹木のようだ。
投稿元:
レビューを見る
茨木のり子さんの詩を読むとき、私は自分の祖母のことを思い出す。茨木さんと私の祖母は大正15年、同じ年の生まれだ。亡くなったのは茨木さんが平成18年、祖母が平成20年だから、二人とも同じ時代に生きたと言っていい。
日本の戦後詩を牽引した大詩人の茨木さんと、専業主婦だった私の祖母との間に、もちろん個人的な繋がりはない。茨木さんは、帝国女子医学専門学校(現・東邦大学)を卒業後、医師と結婚し、自身も文筆家として優れた業績を残した。いっぽう私の祖母は、尋常小学校を卒業後すぐ奉公に出され、工場労働者と結婚し、4人の子の育児と義理の両親の介護で一生を終えた。二人の人生には、悲しいほど交わるところがない。文芸に親しむどころか、祖母は文盲とは言わないまでも、日常生活をかろうじて送れる程度の識字能力しか持ち合わせていなかった。「新しい女」とは縁遠い人生を送った女性だった。
にもかかわらず、茨木さんの詩の中に、私はしばしば祖母の姿を見いだす。人妻の肩の匂いに憧れた少女の中に(小さな娘が思ったこと)。爆撃によって破壊された町で、ひとり空を見上げた女性の中に(わたしが一番きれいだったころ)。進学をあきらめて家庭に入り、泣きながら男衆の宴会の世話をする主婦の中に(大学を出た奥さん)。夫に先立たれた妻の中に(その時)。生前多くを語らなかった祖母の、心の奥に封印された喜びと悲しみを、私はこれらの詩の中に見る。昔から何度も繰り返され、これからも何度も繰り返されるであろう、女の人生の希望と失望を見る。
「自分の感受性くらい自分で守れ」という激しい詩で知られる茨木さんだが、決してタフなだけの人ではなかったことが、この詩集を読むとわかる。戦争を挟んで急激に変化する社会と、情けないほど変化しない女性の立場とのはざまで、力強い言葉を書き連ねつつも、物言わぬ女性への共感を忘れなかった人だったのだと思う。
祖母は毎朝30分かけて新聞を読むことを自らに課していた。彼女の読解力では書いていることの半分も理解できなかったが、勉強をやり直そうとするかのように、晩年までその習慣を変えることはなかった。祖母を突き動かしていたものは、茨木さんに詩を書き続けさせたものと、たぶん同じだったと思う。その一点において、二人は同じ時代を生きた同志だったのだ。
投稿元:
レビューを見る
分かりやすい言葉で普遍的な思いが書かれている……のだと思う。「歳月」とそれ以外で全く違っている。父子家庭の娘によくある夫の愛し方をしているんじゃなかろうか。戦争の影響も時折垣間見えるがそれも時代、とさらっと流してしまう<公>の部分で詩が形作られている。父の死も夫の死も戦争に青春時代を潰されたのも彼女の<私>の中には多大にあったろうに、それが霞みがかってるのは、それこそ彼女が他者に倚りかからないからなんだろう。
投稿元:
レビューを見る
茨木のり子さんの詩集は何冊か書棚に並んでいるが、文庫本で手軽に繙けるのが便利そう。これは買って手許に置いておきたい。