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学級通信の意義から具体的な方法まで。
合田先生の学級通信が豊富に収録されているが、そのうちのいくつかに共通して、他人のために行動できるかが大人、そうでないのが子供という一貫したメッセージが貫かれていた。このような哲学が教師になければ、書き続けることができないのかもなぁと思った。
学級通信は書物であり、読み物。書くことは自分を深く省察すると英語教育では言われているし、号数を積み上げていくことで、近視眼では気付かなかったことを俯瞰して気付けたりする。
また、同時に読み物であるから、当然読み手を意識して書かなければならないし、市販の雑誌とは違い読者像ははかなり明確だから、学級通信はお知らせというより、手紙。作り手にとってはかなりの配慮を求められると思う。
また、学級通信を書くことは生徒指導でも応用できそうだ。ときには学級通信を書くためには、ある程度の情報がないと書けない。ときには、学級通信を書くためには生徒を観察するということにもなるかもしれない。でも、どちらが目的で手段になるかどうかわからなくなるくらい教育では因果関係なんてはっきりなんてしていないのだから、その相互作用に期待しても全く問題なんてなさそうだ。
思春期以降の子どもは親とコミュニケーションを取ろうとしない傾向にあるから、学級通信が教師、子供、保護者を相互につなげる大きなきっかけにはなりそうだ。中学、高校こそ出すべきなのかもしれない。
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学級通信を書いたことがなかったので、勉強のために購入。学級通信の意義やコツが分かりやすく書いてあった。無理なく自分も発行していきたいと前向きに考えることができた。
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東京都の公立中学校の国語教師である著者が、学級通「心」の意義、出し続けるコツ、書くネタ、やってはいけないこと、などをふんだんに実例を交えて紹介した本。
まず著者は「私は自分が道徳授業を研究するサークルに所属するくらいに、道徳が大好きです」(p.46)という基底があって、その上に国語の先生ということもあるのかもしれないが、実際の通心を読んでいて、読みやすいし、心に響くものが多いなあ、と思う。「3割バッターになりたい」(p.108)と著者は言うが、3割どころかすごい打率で生徒の心を動かしているんじゃないかと思う。おそらく、ネタに困らないのも、探す、というよりは普段からそういうことを考えているモードになっているのであって、本にせよ記事にせよ、おそらくもうネタ探しが無意識的な作業として著者の頭にあるんだろうな、と思った。紹介されている本もたくさんあって、ぜひ読んでみたい。
おれなんかまず生徒の心に響く話というのが、それこそ苦手。イイ話、みたいなことを話すのがそもそも胡散臭い感じで好きじゃない、というのもあって(そういう意味では道徳好きの著者と正反対。道徳の授業とか困る。それらしいことをそれらしい雰囲気で言うことはできても、なんかやっぱりしっくり来ない感じがすることが多い。)、たぶんその辺を改めないといけないんだろうな、と思った。蚤の話の内容なんて、ふだんおれが生徒に話していることとまるでそっくりなのに、蚤のことなんておれの引き出しからは出て来ない。おれは学級通信も書いているが、こうあって欲しい、という思いを時々ストレートに書くだけで、そこにはイイ話、的なものはないので、もっと効果的なものにする可能性が色々あるということが分かった。来年は予定では中2なので、誕生日通心、というのをやってみたら面白いだろうな、と思う。でも似たようなことを教師1年目の時に、誕生日の生徒を当てる、というのをやってみたことがあったが、絶対忘れてしまう。他の先生も、そういうの忘れるんだよな~と言ってたし、どう頑張っても忘れそうな気がして怖い。いっそやるなら年度初めに全部作っちゃうくらいの勢いじゃないと、怖い。
学級通信の作り方自体ももちろん参考になるが、3分の1くらいは実際の通心が載せられているので、その内容を見れば、生徒指導の参考にもなるという本。(15/08/28)