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『ヤンキー経済』とほぼ同時期に読み終わったので比較するけど、こっちの方が読み物としては読みごたえがある。
ただ、子どもを持つ身としては、このまま日本が進むとどーなるよ、と暗澹たる気分になるのもまた事実。
この本で言う「ヤンキー」は、反知性ではないけど、地頭のいいヤンキーは実学のみを目指す(弁護士とか)、とか、その通り過ぎて頭が痛い。
帯の、『この国は”気合い(だけ)”で動いている。』は、違う意味に勘違いする人続出しそう。
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ヤンキー文化を定義し、色々な分野にこれを見つける本。面白い。特に建築家の隈健吾さんとの対談が面白かった。
ただ「あとがき」にも書かれている通りヤンキー文化=日本文化と思えてしまう。それを踏まえて、なぜヤンキー文化がダメか、を論じた部分が欲しかった。著者がヤンキー文化からの脱出を志していることが伝わるだけに。前著を読まないといけないかな?
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「ヤンキー」というキーワードで現代日本社会を論じた一冊。こなれていない部分もあるが、一読の価値はある。
「ヤンキー」とは、バッドセンスな装いや美学と「気合」 や「絆」といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とがアマルガム的に融合したひとつの”文化”。
殆どが対談だが、隈研吾との対談が秀逸。「歌舞伎座のスーパーシンメトリーが銭湯建築のルーツ、桂離宮は書院造と数寄屋造りの合体でテーマパーク的でそれがタウトのような和風の素人に受けた、丹下健三は存在そのものがヤンキー」といった話が次々に飛び出す。
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ヤンキーの特徴とはバッドセンス、ツヨクてチャラくて、オラオラ。気合いとアゲアゲのノリ。コミュニケーション力(場を読む力)。
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ヤンキー文化の特徴は、バッドセンス、キャラとコミュニケーション、アゲアゲのノリと気合い、リアリズムとロマンティシズム、角栄的リアリズム、ポエムな美意識と女性性。対談相手は、村上隆、溝口敦、デーブ・スペクター、與那覇潤、海猫沢めろん、隅研吾。
ヤンキーの定義をそのようにされると、日本の昔からの文化の片鱗に普通に見られること、になってしまう。今、新たなヤンキー現象、ではなく。
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ヤンキーの定義に確たるものがないまま、あれはヤンキー的だとかカテゴライズしながら、振り回された感が否めない。例えば、デコトラのようなヤン車に乗りながら、しかしヌイグルミぎっしり、ディズニー大好きが当にヤンキーとしながら、田中角栄や橋下徹はヤンキーだと。なんとなくで分からなくもない、気合いや迫力あり、空気を見ながら調和を敢えて崩す様を、ヤンキー的と表現しているのだろうか。だとすれば、山本太郎は?となるが、これは、ニューエイジヤンキーですよと。更に???
私の肌感覚からすれば、山本太郎の方が、伝統的なヤンキーのような気がするし、やはり、学術的なアプローチもデータもなく、直感的な本、という印象否めず。
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ヤンキーをキーワードに、芸術、やくざ、芸能界、政治、建築を考察している本。新たな視点を得られたと思う。
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本書から読んでも十分楽しめるが、『世界が土曜の夜の夢なら』から読んだ方がより楽しめる。
様々な立場の方との対談を通じて紡ぎ出される知の発露。特に「ヤンキーと国家」「ヤンキーと新歌舞伎座」の教養主義的な遣り取りに知的好奇心をくすぐられた。
「偽善か偽悪かという違いがあるだけで、僕らはつい偽悪のほうを信頼してしまいがちである」
「考えない者には、感じることすらできない」
「日本は「盆栽文化」なんですよ。完成したプロはお呼びじゃない。未熟なアマチュアがだんだん変なふうに育っていくのを愛でるという」
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対談は與那覇潤、溝口敦、デーブ・スペクターを読んだ。興味深い分析だが、ヤンキーの定義が感覚的で、しっくりしない感もある。小泉政権が用いた「B層」とどう関係するかも興味ある。
著者は、ヤンキーをバッドセンスな装いや美学と、気合や絆といった理念の下に家族や仲間を大切にするという倫理観が融合した文化と定義する。コミュニケーションが巧みで、キャラが立っている。
気合を入れれば限界を超えられるという発想は、戦争では「大和魂があれば資源がなくても勝てる」という根性主義につながった。気合で勝てるなら兵站のことなど考える必要がない。インパール作戦では、10万人の歩兵が武器や食料の補給もないまま敵地へと送り込まれ、7万人の兵士が飢えと病に倒れた。太平洋戦争での戦没者の60%は餓死者だった。家族のため、仲間のため、お国のために入れる気合いは、個人を集団主義に引き寄せる匿名的意志が潜んでいる。
気合い主義のルーツは陽明学にある。中国の宋朝以来、知性主義である朱子学の思想が科挙によるインテリ支配を支えたが、陽明学はそのアンチとして明朝の末期に台頭した(小島毅「近代日本の陽明学」)。
ヤンキー文化は、生存戦略に最適化されており、治安や秩序維持のための意義が大きく、政治的には保守に親和性が高い。思春期に芽生えた反社会性はヤンキー文化に吸収され、絆と仲間と伝統を大切にする保守として成熟する。日本では、集団的現象がしばしばヤンキー化して、反知性主義的な行動主義が支配し始める。
ポエムは、知識や論理とは無関係に依拠すべき肯定的感情をもたらしてくれるため、ヤンキーは好む。
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保守派イデオロギーへの憎しみにあふれた文章。安倍晋三や維新の会を批判するが、左派系勢力、例えば共産党や旧民主党系には言及しない。典型的なパヨク本であったのが残念。題材は良いのでイデオロギーを抜きにして書いて欲しかった。
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『どうしてみんなEXILEが好きなのか』『どこの町でもよさこいソーラン』『LINE大人気とスクールカースト』『ラーメン屋は作務衣でポエム』『地元LOVE、母性、ファンシー。コミュ力、保守志向、現実的ー。』
そう、これらは帯紙に書かれている宣伝文句。分かる。非常に分かる。ただ『浜崎あゆみ』が入ってないぞ、まだまだヤンキーが分かってないなあこの筆者。
筆者曰く、ヤンキーとはバッドセンスな装いや美学と、「気合い」や「絆」といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とかアマルガム的に融合したひとつの“文化”であると。
分かる。非常に分かりやすい。ヤンキーは『絆』好きだよなあ、地元のお祭りも大好きだし、ただこの点については『マイルドヤンキー』と言う言葉を生んだ原田曜平氏著『ヤンキー経済学』の方が面白い。こんな感じの軽いヤンキーdisり本を期待してたんですが、何ですかこの筆者様。イデオロギー臭プンプンで、全ては安倍総理が悪いらしいです。本当にありがとうございました。
私が思うヤンキーとはセンスなんですよ、センス。このセンスをもっと深く探求して欲しかったなあ。手首や首に数珠してるオッサンゴルファーのヤンキー指数の高さ、40過ぎて時間が止まったような茶髪、最高の親友!とか言ってSNSで一緒に呑んでる写真をアップする偏差値低めの奴とか、期待したのはそこなんですよ!安西先生!!自民党批判はどうでもいいです。
とは言え、基本各著名人とのヤンキーをテーマにした対談で、タイトルとズレは有りながら面白く読めた本ではないでしょうか。
結構勉強になる事も有りましたし、まあ、そんな本としてはいいんじゃないでしょうか。
左巻きの人にはお勧めです。
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新書というサイズなので
仕方がなかったのでしょうが
もう少し突っ込んだ
お話を聞きたかったなぁ
が どうしてもしてしまいます
個人的には
最近「建築家走る!」を読んだこともあり、
隈研吾さんとのお話が秀逸でした。
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『ヤンキー化する日本』
2023年3月14日読了
本書は、はじめに著者・斎藤環氏のよくまとまった論説があり、
アート、建築、日本近代史など様々な専門を持つ人々との対談が中心をなす。
特に、著者の「なぜ今、ヤンキーを語るのか」という論説が、ヤンキー文化を簡潔にまとめており大変わかりやすい。(斎藤氏には『世界が土曜の夜なら』というヤンキー・テイストを分析した著書がある。わたしは未読のため想像になるのだが、この論説はこの本がもとになっているだろう。)
本書では「日本社会そのものがヤンキー的な価値観に基づいて、その大半が構築されている」としている。妙に説得力があるのは、きっとわたしにもヤンキー的な価値観が内包されており、身近な経験として思い当たる節があるからだ。
学生時代には「気合主義」に基づくスローガンを掲げ、体育祭では「(みんなのために)がんばれ」と応援していた。テレビなどのマスメディアでは、論理的で整然としたインテリよりも、地頭がよくてコミュ力の高いヤンキーの方が目立っているだろう。
著書が書かれた当時の日本社会を分析する上でも、現在を生きる自分自身を知る上でも、納得する部分が多く大変興味深い内容だった。
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ヤンキー的な価値観を美とする、ヤンキー遺伝子が日本人には備わっている。
そのため底辺は最底辺にならず、ヤンキーの中に吸収されていくことで連帯が生まれ、ヤンキー的な誇りをもって生きることができる。ゆえにこの国の治安は崩れない。日本の治安の良さはヤンキー文化が支えている。
という理論ですが、スケールがでかすぎて最高ですね。そうかもしれないよ。