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われわれは、これから、成長なき時代、勤勉が成功を呼ぶことがない時代をいきなければならない。そういう時代を生き抜いていくためには、まず、みずからでみずからを助けようとする自助精神が必要。だがその必要な自助精神は、現代日本の「自助論」礼讃者たちがいうような自助の精神ではない。「カネ儲けのための自助」「成功のための自助」ではない。
「利己的自助」ではなく、他人のためにすることが自分のためになるという関係がおたがいに成り立っているような社会関係。「相互的自助」であるべき。
藤井聡教授は「なぜ正直者は得をするのか-『損』と『得』のジレンマ」で、この関係を説明している。
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小泉純一郎や竹中平蔵がやった新自由主義的なものに対するマトモな反論。敵の敵は味方かといえば必ずしもそうではない。きちんとした立場から批判しないと、あまりのバカさ加減からかえって敵を利することに。「自助論」の読み解き方に顕著に現れているという自助のありかたの誤り、これから何が大切かというのを著者の立場から語っている。全面賛成という感じでもないけど、新自由主義的なことを建設的に批判していてタイトル以上の中身がある。
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題名が残念だが、「自助」の解釈変化を的確に分析した万人向けの良質な思想書である。執筆当時は311で変化する兆しが見えたようではあるが、結局何も変わらなかった現状をどう理解すればよいのか。
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自己啓発もビジネス書も、とにかくわかり易く書かれています。
それは、わかりにくいと売れないからです。
出版不況や若者の読書離れによって、読者第一主義になり、
その結果として、異様にわかりやすい本が溢れています。
たくさん自己啓発やビジネス書を読んできて思ったことは、
自分がやっていることは、「読書」なんだろうかということです。
読書メーターなどのSNSをやっていると、
毎日1冊、2冊を読み、感想を発信するヘビーな方がかなりいます。
その少なくない人が、自己啓発とビジネス書がメインです。
こういった方は、果たして、読書家なのでしょうか?
14年に行った調査によると、
漫画や雑誌を除く1か月の1人当たりの読書量は、
1.2冊→34.5%
3.4冊→10.9%
5.6冊→3.4%
7冊以上→3.6%
読まない→47.5%
となっています。
よく読む人は3.6%ほどです。
よって、読書メーターで、よく見かけるヘビーユーザーは、
全体の中では、少数派だとわかります。
しかし、その人たちは、読書家なのでしょうか?
その読者家たちが読んでいる本は、厳密に分析したわけではありませんが、
自己啓発書や、ビジネス書の他に、新書や新刊本などが、ほとんどだと思いました。
経済学の理論書や哲学書といったものは、滅多に見かけません。
個人的には、今の自己啓発書やビジネス書、新書や新刊本は、
ネットニュースと変わらないぐらいの文章の難易度で、
中高生でも問題意識があれば、余裕で理解できるものばかりです。
ネットニュースと違うのは、少し深堀りしている所でしょう。
問題提起した内容の背景や原因を少し詳しく書いているような印象があります。
またビジネス書なら、○○すれば、○○になるという、わかりやすい原因と結果の
論理の他に、どういう場面で、どういうしたかという具体的も豊富に書かれていたりします。
問題は、たいして考えずに、簡単に読めることです。
読書の目的はなんですか?と聞かれて、簡単に答えられる人はいません。
①専門知識を深めたい
②論文の参考文献として参照したい、人生の意味を見つけたい
などの目的は、真面目な大学生以外と、本当にプロフェッショナルに仕事を極めたい人、哲学が大好きな人以外は、あまりしません。
③単純に面白いから
④仕事で必要な知識を得るため
⑤好きな作家や好きなテーマがあるから
⑥今、社会で話題になっているから
⑦頭が良くなるかもしれないから
⑧たまたま手にとってみたらおもしろかったから
⑨新聞やテレビ、ネット紹介されていたから
⑩人生の意味を見つけたいから
多くの読書好きが、このような理由から、本をよく読むと思います。
その中で、少なくない読書家が、わかりやすい本を読んでいます。
もし「わかりやすい本」を読むことと、ネットニュースを見ることが、
本質的に同じならどうでしょうか��
その本質とは、
自分で主体的に読んだり、見ているのではなく、
読まされたり、見させられているとしたらどうでしょうか?
「わかりやすい本」をなぜ、好んで読んでしまうのか?
それは、自己目的的な理由があるからです。
「わかりやすい本」を読むことで、自分の思いを満たしてくれたり、
「そうそう、こういう事を私は言いたかったんだと」と、わかりやすい本の著者が、自分の考えてくれていることを言語かしてくれたり、また、不謹慎ですが、本が問題提起としている社会問題の状況をみて、世の中には自分よりひどい状況の人はたくさんいるわかったり、自分の状況と比較して、安心したり、憤ったりと喜怒哀楽の感情を、「わかりやすい本」を読むことで、容易に作り出すことができるからです。
脳科学の視点で、わかりやすい本を考察してみます。
本は、情報の一つの形態です。
最近の脳科学の成果では、「情報」は報酬刺激、
つまり脳の中の神経伝達物質の放出をもたらす興奮性刺激物として考えられています。
なぜ、わかりやすい本を、大量に読めるのか?
その答えは、わかりやすい本を読んだ私たちの脳は、
神経伝達である物質のドーパミンが放出されて気持ちよくなるからです。
もしかしたら、わかりやすい本は、思考する道具ではなく、嗜好品と位置づけた方が、よいかもしれません。
ドーパミン神経系は、予期せぬものや、新しいモノを期待することで、より活性化します。
これが、どんどん、わかりやすい本を読んでしまう理由の一つです。
そして、多くの出版社が絶え間なく、わかりやすい本を出版する理由の一つです。
しかし、ネットニュースを配信する方が、わかりやすい本を出版するより、
圧倒的に発信が簡単です。ネットニュースも、「わかりやすい」が一つの魅力です。
もしかしたら、現在の出版不況の原因の一つは、「わかりやすい本」が大量に出版されているからかもしれません。ネットニュースと「わかりやすい本」に、それほどの、
内容の差がなかったら、消費者はネットニュースを選ぶに決まっています。
また「わかりやすい本」が私たちの脳の中で報酬を引き起こす仕組みとして、もう一つ重要なことがあります。それは、私たちの脳は「すでに知っている事柄」について、
「さらなる情報」を求めるよう、調整されているということです。
このことは、もっと強調されてよいかもしれません。
つまり、「わかりやすい本」をたくさん見ても、「自分が知りたいことを、
知れる」わけではありません。ただ、「知っていること」が、どんどん知れるように脳の力学が働くだけです。この意味で、「わかりやすい本」を読んでも、脳に素晴らしい影響を与えるとは言えないでしょう。
もしかしたら、「わかりやすい本」は自分が「知らないこと」を「知る」という目的では、あまり役立たないものかもしれません。能動的なように見えて、圧倒的に知性の態度と呼ぶべきものが受動的だからです。ただ、知っていることを、反芻しているだけです。
人が何かに「はまる」理由は、知らない、わからない、できないという理由は少数だと思います。知っている、わかる、できる、だから「はまる」という理由の方が圧倒的に多いと思います。
「わかりやすい本」には、難解な数式がのることは、あまりありません。
なぜなら、それは、多くの人が「知らない」「わからない」からです。
そういうことに興味が湧くのは、ごくごく少数派です。
「知らない」や「わからない」ものに、多くの人は、興味が湧きません。
簡単に知りえるとわかることに興味が湧きます。最近のベストセラーは、
その時代性によって変化しますが、変化しないものは、圧倒的なわかりやすさです。
「わかりやすい本を読む」ことは、自分が「知っている」ことを、ただ反芻して、
脳の報酬系にただ訴えているだけの行為かもしれません。
もう一つ大事な知見があります。
それは、神経伝達物質のドーパミンは、報酬そのものに反応するのでなく、
報酬を予期させる情報をいち早く見つけようとする性質を持っています。
それは、絶え間なく、「わかりやすい本」を買ってしまう理由を説明づけることができます。
「あっこれ面白そうだな」と思ってとった本が、本当に面白かった時、言い表せない快感を感じることがあります。
それは、脳の報酬系は、予測していたよりも、
実際に、享受したものの報酬が大きいと、よりドーパミンが放出される機能があることからも頷けます。
よって、読者である私たちは、自然と、もっと面白い「わかりやすい本」はないかと探す「終わることのない旅」をすることになります。この旅の成果は何かと考えたら、
よくいうように、読書を通して、様々な視点を知ることが出来たことや、
知識の獲得や、読解力の向上のようなものではないでしょう。
「わかりやすい本」を読むことは、脳科学の視点では、「遊び」と言ってよいかもしれません。本質的には、ネットニュースと変わらず、嗜好品の王様であるタバコやチョコレート、アルコールと、そこまでの差はないかもしれません。
以上の「わかりやすい本」の特性は、「依存症」になってしまう危険性をはらんでいます。
よって、「わかりやすい本」の付き合い方は、ある面では、非常に慎重になった方がよいと思います。
もちろん、「わかりやすい本・依存症」というのは、アルコール依存症やギャンブル依存症などの精神疾患ではありませんが、新種の依存症になり得るかもしれません。
現に読書メーターでは、毎日数冊の「わかりやすい本」を読んだ、「わかりやすい本・依存症」の人がたくさんいます。これって、どう考えても、仕事や学業に影響出ているんじゃないかと思います。
本を読むことは、とてもまじめな「良い行為」として、社会的な合意がありますが、
しかし、「わかりやすい本」を好んで読んでいる人の方が圧倒的です。その人たちは、本を読まない人が、あまり理解できませんし、「読んだ方が、人生楽しいのに」と考える人もいますが。何度も言いますが、本質的に、そういう人も、ネットニュースをガンガン見る人と変わらないような気がします。
以上の考察から、自分が頻繁にやっている「わかり���すい本」を読む行為は、
あまり好ましいものではないと思います。じゃあ、何が好ましいのか?
それは、やはりバランスかなと思います。
バランスよく、読書という行為をすることが、「わかりやすい本」を読んでしまう自分を克服できる態度だと考えています。
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勝間さんは他人に与えることも言っていたような…それはともかく、最近は
「世の中がこうなんだから仕方がない」
「世界が変わらないなら、自分が変わるしかない」
「状況に適応し、少なくともオレは負け組にはならない」
しょうがないとは思うのですが、これってちょっと間違うと著者の批判する「利己的自助」になりかねないのでしょうね。
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面白くない、政権はこういう失敗をしたというだけの本。
自助論には確かに光と影の面が大きい、特に弱者に厳しいし格差を生み出す結果となった。
ただ、それを政治の失敗のように話すのはおかしい。
それらの基本は世界的な産業構造の変化である。そこを語らずに自国内だけ見ているようでは視点が低すぎる。
自助論のところはちゃんとまとまっているのに。
結局は自己啓発はこんなところが問題があると愚痴を言っているだけのように見えた。
みんなで等しく苦労するのを称賛しているところが見られて、共産主義が好きそうと感じた。
そして結論は、個人として自助をする事が大事という自己啓発本らしい結論。