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「3.11後」としているが、そこに大きな論を置いているとは思えない(悪い意味でなく)。
どちらかといえば、「労働」をどう捉え、「疎外」が資本主義経済の社会、あるいは「労働」という行為から離れられない以上、どうするべきか、といったところか。
以下まとめ・ネタバレ。
第1章では労働の歴史について。
語源、あるいはこれまで労働哲学から、労働とは「活動=表現」と、「稼ぎ」という2つの概念を見出す。
活動:客体として他者に認知されることで、活動=表現と規定する
また人間は他者と共存していくものである以上、活動するすべての人間が表現者であるとする。
第2章では労働問題についての先行研究を追う。
労働問題は、何を問題とするか、という点において、「労働観」の問題と考える。
近代社会における労働システムの駆動の背景には資本主義経済があり、
労働・人間疎外が労働問題の根幹にある。
資本主義経済の作る社会は「生そのもの」を削いでいる。
しかし「疎外」は資本主義経済においてのみ存在するのではなく、逃れられないものとする。
第3章では事例としての表現者(画家とミュージシャン)の労働観のインタビュー。
彼らの「生そのもの」から湧いてくる欲求は身体性によって了解されるものであり、
本質的なもので、疎外を乗り越えうる可能性を秘めている。
それは他者と結びつく人間の限りない可能性でもある。
第4章で失われた表現を取り戻す方法を考える。
人間の主体は他者との結びつきにあり、それは身体性によって了解される。
その了解に導かれた労働世界が必要になる。
それによって自身と他者との分かち合いが生まれる、多様な結びつきが生まれる。
(それは時空を超えて作り出される)
結果それによって、生そのものの回復になる、とする。
現代は疎外によって身体性が了解できていない時代であり、
身体性による世界の了解を促すべき、とするのだが、その方法、結論は本書では見出し切れていない感じ。
それがなんだかフワフワした感じの、論文臭というか、うーん、という感じを残す。
なんかなぁ、3.11ってキーワードもあるし、もう一つ求めてたかなぁ。