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そんなに付き合いが深くない高校時代の友人から、いきなりショートメールが来る。「モヤモヤが解消、一読を薦めます」とある。私の信頼している論客内田樹、佐藤優も推薦者に名を連ねている。早速、書店に直行して棚にあるのを見つけて購入し、一気に読了。
友人の薦めてくれた気持ちがよく分かる。「目から鱗」というような程度の衝撃ではない。世界が違って見えてくる。自分が変わったことが分かる。新聞を読んでも、テレビのニュースを見ても、「あっ、ここにも、資本主義の終焉のシグナルが現れている!」と見えてしまう。
著者は、利子率の低下に着目する。利子率の低下は、資本の利潤率を反映しており、この兆候が現れる時、資本主義は終焉を迎えるという。16世紀末から17世紀初頭のイタリアでも現在と同様の金利の低下が起こっていたことを指摘し、現在の金利低下はそれ以来500年ぶりの歴史の転換点にあるとして、比較分析を行っている。
1973年のオイル・ショックで、原油価格が高騰し、利潤率(=利子率)が低下した。この時、先進国は<地理的・物的空間>(=実物経済)で利潤を得ることができなくなって、中世イタリアの領主や貴族と同じ事態に直面したというのだ。この危機に対してアメリカは、金融自由化を推し進め「電子・金融空間」(=グローバリゼーション)を新たに創出することで、資本主義の延命を図ったが、これも2008年のリーマンショックを招く。
資本主義が、グロバリぜーションによって新興国の近代化を図っても、資源価格の高騰によりあ世界中に貧富の差を生み出すだけだという構造も見えてくる。
EUにおける西欧危機が、根本には資本主義の内包する<蒐集>という西洋文明の危機の象徴に過ぎないことも浮き彫りになってくる。
この他、「資本に国家が従属する時代の到来によって民主主義が崩壊する」、「1870年以降、高所得国の世界人口に占める割合が15%という事実から、グローバル資本主義が、国家内での社会の均質性を消滅させ、<中心・周辺>を必然的に生み出す」など、資本主義の行き着く先を予言している。
では、こうした事態にどう対処すればいいのだろうか。著者は繰り返し「その明確な解答を私は持ちあわせていません」と吐露している。だとすれば、わたしたちは、「資本主義の矛盾をもっとも体現する日本」であることを逆手にとって、地球が空間的に有限であることを認識し、資本主義が地理的・空間的のみならず、時間的には未来からも蒐集・収奪しようとする貪欲な構造を持つことをを見据えながら、<成長>という言葉を尻目に、資本主義の終わる日を夢見ることにしよう。
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2014/9/13読了。
テーマは、「世界中で同時に起こる低金利、低成長、金融緩和の行きつくところは、資本主義の終焉である。」という主張。
・500年前にイタリアのジェノバで起こった金利の低下と、現在の世界情勢は酷似。
・資本主義は中心と周辺で構成され、中心が周辺から富を吸い上げる構図。
・空間的な拡大と交易条件の改善による成長が限界を迎え、次に金融・ICによる成長を企図するも、それも限界に。
・資本主義はこれまでの中心は先進国、周辺は発展途上国であったが、今後は各国の富裕層と貧困層の構図に。
・日本は資本主義の問題点が最も顕在化しており、その分だけ資本主義の次のシステムに移行する可能性を秘めている。
資本主義の限界がきているという点は説得力があるも、どのように着地するか、又どのようなパラダイムシフトが発生するかについては分析・議論の余地がありそうだ。
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2014年8月に日本の10年国債は0.5%割れとなった。筆者いわく、利潤率=金利が限りなくゼロに近づいているこの状況は資本主義の死を示しているという。資本主義の死とはどういうことか。本書では、これまでの歴史を振り返り、世界各国の現状を概観しながら、資本主義の本質に迫る。16世紀イタリアの低金利時代と現代の共通点など、非常に興味深かった。また、筆者は資本主義に代わるシステムがどうなるかわからないとしながらも、資本主義の行き過ぎを防ぐ、ソフトランディングに向けた取り組みが必要であると現状の打開策まで提示している。新書でコンパクトな内容ながら、考えさせられる内容であった。
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資本主義が差異を利用して、その資本を増殖をするシステムであるという命題は、柄谷行人がかつてマルクスを援用して描き出したものと同根だ。資本主義は、「「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」つまり、いわゆるフロンティアを広げることによって「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステム」とされる。大航海時代においては地域間の差異を貿易という手段により得ており、産業革命以降においては技術革命による時間の差異を利用して資本は増殖するという視点は決して新しいものではない。
著者は、グローバルの時代になり外部の差異がなくなると、差異を内部に作りだすことが資本の必然として現れていると説く。資本主義は、必然的に格差を生み出すシステムであり、それを動因として拡大させるシステムだということだ。その論点は非常に分かりやすい。現代は技術のグローバル化により、そのことが国内格差ということで先鋭化されている。その中で、利子率の歴史的低下が、そのシステムが終焉に向かっていることを示していると著者は主張する。なぜなら、利子率は資本利潤率を反映し、利子率の低下がもはや資本が利益を産むためのフロンティアが消失していることを示しているからだ。
その認識から、著者は円安誘導によって、輸出が増加することはもはやなく、量的緩和に景気浮揚の効果はないと宣言する。グローバリゼーションをヒト・モノ・カネが国境を自由に超えるというところに本質ではなく、「中心」と「周辺」の組み替え作業であると看破する。著者はここに資本主義の限界を見る。資本主義が持続可能性を失いつつあるとするのだ。
ローマ時代や、「長い16世紀」のベネチアの都市国家まで遡って、利子率革命や資本と権力の狡知を語るのは、非常に特徴があるだろう。決して現在がある視点からは特殊ではなく、すでに過去の歴史を繰り返していると語ることはある種のエンタテーメント性と説得力を産む。
利子率の低下を、資本主義の終わりと捉える著者は、その次のシステムについてまだ解を持たないと言う。そこで言えることは「新しいシステムの具体像が見えないとき、財政でなすべきことは均衡させておくことです」と消去法で処方箋を示す。これはアベノミクスへの反論だ。
繰り返すが、「グローバル資本主義」は、地球上のどの場所においても、差異を見出せなくすることであり、その代わりに国内で「中心」と「周辺」を作り出すシステムだと。サブプライムローンから始まるリーマンショック - 金融バブル崩壊もこの文脈で理解する必要がある。今の主流の考え方とは言えないが、相応に重要な示唆がある本。
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資本主義がいま終焉を迎えているという歴史的な考察と、
その中で日本が如何にしてソフトランディングするかという政策提言からなる。
西欧で金利が認められるようになった12世紀に資本主義の起源を求め、今日の世界がゼロ金利(=利潤率ゼロ)になって来たことをもって資本主義が歴史的な終焉を迎えている根拠とする。
資本それ自体の自己増殖を目的とする資本主義は、中心が周辺から富を吸い上げることにより成り立って来た。新大陸の発見や帝国主義による領土の拡張などの地理的・物的拡大による周辺の開拓が行き詰まると、IT・金融革命により仮想空間の中に新たな周辺を開拓して来た。それがすでに限界に達しているというのである。
このような状況で従来どおりの財政金融政策(アベノミクスに見る
異次元の金融緩和と公共事業など)を行っても、余剰資金がバブルを発生させて将来世代に大きなツケを払わせることになるばかりではなく、過剰な設備投資がかえって人件費を低減させ中間層の没落を生むという。グローバルな資本主義は民主主義の危機をもたらすというのである。
資本主義崩壊後の新たシステムがどのようなものになるのかは著者自身いまだ不明だという。成長至上主義が限界だというのであれば、次の時代は分配をより重視したシステムが中心になるのであろうか?また、技術革新が新たなフロンティアを拓くことにより、資本主義がしぶとく生き残るというシナリオは考えられないのだろうか?
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資本主義というのは、常に拡大するマーケットを必要としてきた。ヨーロッパで発達した資本主義は、大陸が飽和状態になると、海洋に進出し、東インド会社、新大陸へと拡張してきた。
さらに、新興国へと拡張を続けてきたが、物理的に新たな市場を獲得することができなくなった資本主義は、電子・金融空間へと市場を広げてきた。
そして、電子・金融空間を獲得した時に、資本主義は国家の支配下には収まらなくなってしまった。
したがって、電子・金融に端を発した不況下において、単独の国家が景気を回復させるために景気刺激策を行っても、国家を超えた資本に対しては決定的な対策とはならない。
このような作者の主張は、優れた歴史の解釈であると思われ、その理論にうなずかざるを得ない。
この資本主義の終末期に、他国に先駆けて追い込まれている日本は、まだ資本主義が力を保っている間に、資本が他のなによりも優先される資本主義から、国民が優先される生存戦略へ舵をきるべきであるという提言。
専門家が書いた本ではあるが、新書としてわかりやすく書いてあり、面白くかつ将来に不安を覚える本であった。
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資本主義というシステムが限界に来つつあるということを、中世までに遡る経済界の史実を中心に著者の膨大な知識によって解説されていくスリリングな本。
基本は『資本主義とは「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」=フロンティアを広げることで「中心」が利潤率を高めて自己資本の増殖を推進する』システムという考えのもと、その投資先の「周辺」が既に1970年代よりもう無くなってきて、システム自体に限界が来ており、今はそのシステムを延命してるに過ぎないという主張が終始展開される。
その主張は納得で、いわゆる最後のフロンティアとされるアフリカ大陸が発展したのち、果たして何があるのかと個人的にも思っていたし、やがてガタが来るのは間違いないと思う。
個人的には最後のこの限界に来ている状況をどうソフトランディングさせていくか、というところに期待していたが、なんとなくあっさり書かれていてちょっと拍子抜けした。資本主義に変わるシステムのアイデアも、まだ考えられないとのことだし。また、『脱成長』というワードが出てたが、これは2014年の都知事戦で細川候補が唱えてたワードでもあり、個人的には興味深いが、細川氏の演説でも、また本書においてもまだ具体的な話にはなっていないような思った。
とはいえ成長しないのもダメなわけで、これまでとは違う成長をしなければならない。そんなこんなで色々資本主義ヤバイから、さぁ皆で考えよう!という感じの本なのかと。笑 勿論、大いに勉強にはなります。
個人的には、参考文献からの引用ではあるが、「富者と銀行には国家社会主義で挑むが、中間層と貧者には新自由主義で挑む」(ウルリッヒ•ベック『ユーロ消滅?』の言葉にハッとさせられた。
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[ 内容 ]
資本主義の最終局面にいち早く立つ日本。
世界史上、極めて稀な長期にわたるゼロ金利が示すものは、資本を投資しても利潤の出ない資本主義の「死」だ。
他の先進国でも日本化は進み、近代を支えてきた資本主義というシステムが音を立てて崩れようとしている。
一六世紀以来、世界を規定してきた資本主義というシステムがついに終焉に向かい、混沌をきわめていく「歴史の危機」。
世界経済だけでなく、国民国家をも解体させる大転換期に我々は立っている。
五〇〇年ぶりのこの大転換期に日本がなすべきことは?
異常な利子率の低下という「負の条件」をプラスに転換し、新たなシステムを構築するための画期的な書!
[ 目次 ]
第1章 資本主義の延命策でかえって苦しむアメリカ(経済成長という信仰;利子率の低下は資本主義の死の兆候 ほか)
第2章 新興国の近代化がもたらすパラドックス(先進国の利潤率低下が新興国に何をもたらしたのか;先進国の過剰マネーと新興国の過剰設備 ほか)
第3章 日本の未来をつくる脱成長モデル(先の見えない転換期;資本主義の矛盾をもっとも体現する日本 ほか)
第4章 西欧の終焉(欧州危機が告げる本当の危機とは?;英米「資本」帝国と独仏「領土」帝国 ほか)
第5章 資本主義はいかにして終わるのか(資本主義の終焉;近代の定員一五%ルール ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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本書の主張はシンプル。資本主義は利潤の追求のために市場の拡大を望む。この市場の中で”周辺”から”中心”に富の偏在をもたらす。
このメカニズムを維持するために、はるか過去には欧州からアジア、アフリカに市場の拡大を要求した。現代では地域的な拡大不能から、米国は金融空間という市場を形成してきた。
資本主義が生み出す富の偏在が外部にあり容認できる間は、民主主義と資本主義は良き関係にあった。しかしながら、資本主義が自分の内部に富の偏在を必要とする段階に来た今、両者の主張は共存し得ない。
アベノミクスの主張する成長戦略、局所的には富の偏在が再配置されて成功のように見えるかもしれない。新興国に投入され続けた資本が、実態経済規模から離れていくにつれ、世界規模でみれば利潤を生まない投資が増え続けていく。すなわちバブル。
バブルの話を聞くたびに、生息エリアが限られた中で増えすぎたレミングが集団で自決し、群れの存続を維持していくという話を思い出す。レミングは果たして海を渡り、外の世界(宇宙?)に新天地を求められるか。
全てが”成長主義”、”絶え間ない資本の利潤追求”からくる必然であるならば、悪ではない”0成長”がもたらす社会はどのような仕組みであるのか、この答えは提示されていない。
今まさにアメリカではFRBが量的緩和の終了に向けて舵を切り、一方で日銀はアベノミクスの成長戦略のために量的緩和を継続するという対極の政策を取りつつある。答えを見ていきたい。
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<目次>
はじめに ~資本主義が死ぬとき
第1章 資本主義の延命策でかえって苦しむアメリカ
第2章 新興国の近代化がもたらすパラドックス
第3章 日本の未来をつくる脱成長モデル
第4章 西欧の終焉
第5章 資本主義はいかにして終わるのか
おわりに ~豊かさを取り戻すために
<内容>
ほぼ1年前の出版で、15万部のベストセラー。確かに語り口は優しく、わかりやすい。経済学者はデータを重視するので、この本もデータが多く出てくるが、分析もわかりやすい。
そして、この本のいいのは、歴史的に捉えていること。その結果「資本主義は終わり」だと論じたこと。今までいくつかの本でもそういう要素を読みとってきたが、この本ではそれを明確に論じている。
まあ、ではその先は?とか、対策は?とかはほとんど書かれていない(新書でかつ薄いからか?)ので、それを期待してはいけないが、覚悟を決める必要はある。
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なぜ日本が超低金利に突入したのか、グローバリゼーションがものすごい勢いで進むのはなぜなのか、なぜ格差が広がるのか。元三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストの水野氏の解説は、マクロ経済の初心にも分かりやすく、ゆえにものすごいリアリティを持って警告を鳴らしてくれます……。
水野さんはポスト資本主義を提示してはくれないのですが、循環型システムが必要なことは明確で、それはやっぱりバランス型の新しい思想が重要なんだろうなと。水の流れは変えられないので、どんどんグローバル化を進めていった先にそれを見つけることができるのか。ここから100年ぐらいが世界の正念場な気がする。地球規模で、その上500年単位ぐらいでいろいろ考えさせてくれる良書でした。みなさんも是非(2014.11.10読了)
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13世紀からという超マクロ経済の視点からアベノミクスを批判する。ここに書いてあることがどれくらい真新しいのか判らないのだけど、平易な文章で簡潔に書かれていて、すっと入ってくる。このような視点で考えたことはなかったので、大変に勉強になりました。
「資本主義はもう終わるんだから資本主義に戻ろうとしても逆効果でしかない」という感じか。
また、ここに書かれている1990年代からの事象が、自分が仕事上で経験したことといちいち合致するので驚く。ある意味で、あれは狭い業界内だけの傾向ではなかったということが判った。
個人的には、「ゼロ成長社会」は選択肢の中に入れておかないといけないと思う。日本はそれに向いている社会と言うのも、共感します。
あと、この本の中の指摘で、リーマンショックと原発事故は「未来からの搾取に対する限界を示した」と言う意味で同じことを言っている、という指摘に、虚をつかれた。
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先進国での消費ブームはもう来ない。
中国の一人当たりGDPが日本に追いつくまでは資源価格の上昇と賃金の低下は終わらない見込み。
キリスト教で利子が禁止される時代があった。
利子の解禁が資本主義のはじまり。
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資本の暴走、経済成長の欺瞞、グローバル経済による格差社会・・・ここに書かれている現代の危機はまさにその通りだと思っている。この世に無限なんて無いよ、宇宙の果ては静止してるんだよ、資本主義とか、経済成長とか、インフレとか、無限に増大していくものほど怪しいものは無い。
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なかなか刺激的。しかも選挙前の今、いろんな知識人がアベノミクスについて論じとるのをみると、誰を信用していいのかわからん。
専門的なことは抜きにして、資本主義が強欲で、そのおかげで地球の資源を食い尽くそうとしとるってことはずーっと以前から感じとったこと。
ゼロ成長になっても続けますか、格差が開くだけですけど大丈夫ですか、ってなことを問われたら、みんなどうするんやろって思った。
感覚じゃなくてデータに基づいた意見、経済の専門家は反対意見もあるやろうけど、説得力あるなぁと感じた。
GDPに反映されん里山資本主義なんかは一つの回答なのかもしれんけど、今後の社会はどうなっていくんやろ。
この著者が言う様に、あと4年ほどしか時間が無いなら、今の選挙、自民党が圧勝しそうやけど、アベノミクスではヤバいんじゃないの?