投稿元:
レビューを見る
二度の元寇を、高い視点から俯瞰的に扱うのではなく、総大将ではなく、実際に敵と命のやり取りをする武士として闘った竹崎季長を中心とする現場の視点から描いた歴史小説。
一度目の侵略 文永の役で、先駆けを果たした竹崎季長。しかし、その手柄が公式に認められなかったため、季長は鎌倉に直訴に行く。
様々な思惑を含み、肥後国海東郷の地頭として認められた季長は、二度目の元による侵略、弘安の役においても、その所領を守るために、死に物狂いで功をあげる。
二度にわたる元との戦い、季長の働きを、あくまでも季長の目線で描くと同時に、元に屈服されられた高麗軍将兵の立場、何を考え、どう行動したかを現場の視点で描く。
倭国との戦いに、一度目は高麗軍、二度目は征服したばかりの宋の兵を中心に送り込んだ元の意図は。
元にとっては、戦に勝てば当然元の利益に、しかし、戦に負けた場合であっても、征服した国に残されている兵力を大義の削減する意図もあったのかもしれないと示唆されている。
そして、そんな対極的な意図とは関わりなく、現場の武士は目先そして子孫の利益を確保するために闘っているのである。
投稿元:
レビューを見る
ブログに掲載しました。
http://boketen.seesaa.net/article/412044370.html
蒙古襲来=元寇(げんこう)。モンゴル帝国(=元)が、2度にわたって日本に襲来した。一度目が文永の役(1274年)、二度目が弘安の役(1281年)。
日本史の、最大級の事件のひとつだ。
北条氏の支配する日本、元の属国として苦渋をなめる高麗、世界帝国として膨張を続ける元。
三つの国のそれぞれの事情を、的確にふまえ、その絡み合いとしての『異国合戦』が活写される。
実に、手に汗にぎる面白さです。
肥後の国(熊本県)の御家人竹崎季長(たけさきすえなが)という、魅力的なサムライを主人公にしたことで、物語が躍動している。
それにしても、日本がモンゴルという異民族に支配される体験をしないで済んだのは、ほんとうに幸運なことだったなあ。
大相撲の横綱が全部モンゴル出身であることを嘆くくらいですんでいるのは、ありがたいとしかいいようがない。
投稿元:
レビューを見る
元寇については小説「北条時宗」を読んだぐらいで、教科書程度の知識しかなかったが、その時の武士の目線から書かれた話として面白かった。
高麗軍、元の中枢、鎌倉幕府の中枢と、視点が色々移り全体にピンぼけになったような気がする。
そのため全体の流れはよくわかっためんもある。
主人公「竹崎季長」は架空の人物かと思い読んでいたが、実在の人物だったようだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B4%8E%E5%AD%A3%E9%95%B7
自分の功績に対し、恩賞が少ないと鎌倉幕府に直訴に行く辺り、その後の武士の価値観と違うような気もするが、少なくともこの頃の武士としてこれは当然であり、功が認められることはみんなに評価されたようだ。
主人公が実在の人物だったことからもこのへんの価値観は当時の常識だったのか。
「一所懸命」という言葉が当時の武士が、領地を守る様ということを聞いていたが、季長の働きはまさにこの一言であろう。
投稿元:
レビューを見る
元寇について何か面白い本を探していたら、作家の伊東潤さんにオススメ頂いて(しかも他の作家の作品・汗)読んだのだが、とてもおもしろい小説でした。非常に広範囲で複雑な元寇の全体像から大胆に絞って、九州の地頭の次男坊であった竹崎季長の鎌倉武士の生き様を中心に描きつつ、北条時宗のリーダーシップ、元に植民地化された朝鮮の忠烈王とその宰相の金方慶の苦悩、そしてフビライハンの日本侵攻の執拗さなど周辺人物の描写も十分に楽しめる。
元寇は暴風雨による勝利だと思っていたのだが、それはダメ押し効果であって、九州の警護に当たった鎌倉武士達は地上戦でも戦いを優位に進めていたことは初めて知った。そもそも当時の航海技術で日本に攻めようとした元はかなりの無理筋であり、そこに竹崎季長に代表される下級武士達はめったにない恩賞の機会に対して、猛々しく元兵に襲い掛かかってくる。二度にわたり大量の造船をさせられ、出兵を強いられた朝鮮こそいい面の皮で、そのあたりの心理描写が淡々としながらも実に読む人の気分に入ってくる。この作家の作品は初めて読んだのだが、なかなかよい。他のも読んでみよう。