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六つの物語からなる短編集、やや物足りなさがあるのか(特に五話、六話)妙な余韻が頭の中をグルグル回る感じ、久しぶりの短編村上ワールドでした。
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喪失感を描き続けてきた作家なのだと思う。
今回の作品「女のいない」の「女」とは感情のことなのかな、と。
合理的(近代的と言い換えてもよいのかも)に生活することで、感情を喪失していく。それは年齢とともに感情を抑制する術を身につけることと、現象としては似ているけど異なるものなのだ。主人公たちはそれに気づけない。
「木野」「独立器官」がお気に入り。「イエスタディ」も可愛らしい。
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6つの短篇を収録。ただし、最後のは「あとがき」のようなものなので、5つの物語+1といったところ。いずれも、シングルモルト・ウイスキーとビターチョコレートの味わいだ。恋の物語は、通常はその成就までを描くが、ここではその喪失を描く。鷗外の『舞姫』に似た手法だ。失われた時間は、それ自体でロマネスクだという意味において。タイトルは「女のいない男たち」だが、内容的にはむしろ、男にとっては、とうとう最後まで理解の及ばない、女のある部分を描いた小説だと思う。つまり、これは喪失とすれ違いの末に取り残された男の物語なのだ。
篇中でもっともせつなかったのは「イエスタデイ」。ちょっと珍しいのは「吉備津の釜」(『雨月物語』)の物忌みを思わせる「木野」か。
また、「木野」にトーレンスのプレーヤーとラックスマンのアンプとJBLのスピーカーを組んだオーディオが出てくる。たしかにジャズを聴くのだから、これでいいような気もするが、トーレンスとラックスマンの組み合わせなら、スピーカーはむしろタンノイかと思う。
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早速買いました。春樹さんの短編大好きです。ゆっくりゆっくり読みたいです。
読みました。
9年ぶりの短編集ということでしたが、期待通り面白かったです。まさに村上春樹ワールドなので、好き嫌いがはっきり分かれるかもしれません。私は彼の文体が好きなので読みながらニヤニヤしちゃいました。最後の方はなんだか、ねじまき鳥を思い出させてくれました。
村上さんは、いつも私をわけのわからない世界に連れてってくれる…。
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村上春樹だなー。
最後の「女のいない男たち」はよくわかんなかったけど、あとは面白かった。
シェエラザードが一番好き
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村上春樹の短篇集は,どれも好きだけど,これもなかなか良かった.
どのエピソードも,「女がいない男たち」というテーマで書かれているけど,一つ選ぶとするなら,「独立器官」の渡会医師の話が良かった.
しかし,それよりも,個人的に,前書きがあまりにも村上春樹過ぎてそこが一番お気に入りなところだったりする.
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う〜ん。
長い人生、一日くらいこういう気分になってもいいけれど、長くいたい場所じゃないな。
個人的には『パン屋再襲撃』みたいな短編が好きなのですが、これはどちらかというと『1Q84』タイプ?
本質を描くために様々な人間を描いているように感じましたが、ぐるぐる迷路をたどっているようで、少々健全性に欠けます(笑)
村上春樹作品に一定の解釈を求めるのは野暮というものでしょうが、収録作品の一つ『木野」だけ、ちょっと不思議な人物が登場していて、「アレは何だったの?」とちょっと気持ちが残りました。
全体的に中年男性の悲哀みたいなものを感じてしまったのですが、まさか作者の反映じゃないよね?(苦笑)
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初、村上春樹さんです。好みが分かれるとの事で、構えて読みましたが読みやすい。読み終わりました。私としては、『独立器官』が好きです。恋煩いで死ぬというのは、ある意味では幸せなのか?
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20140608
村上春樹の短編を始めて読んだ。そもそも女のいない男たちというテーマが好き。
一番強烈だったのは「独立機関」。一人の女性を愛し過ぎたため餓死自殺した特別な人。強烈。
後味悪かったのは「木野」。痛みを感じない人はたぶんいない。本当は深く傷ついてるのに傷つくことから逃げている。その代償はあとから必ずやってくる。
「イエスタデイ」はなんとも。関西弁とか意味わからなすぎる。
「シェエラザード」は中年女の語る過去は病的だけど、恋って得てしてそういうものだとも思いました。
一番好きなのが「ドライブマイカー」。失った妻と関係を持っていたたいしたことない男。生きていれば自分の娘と同い年の女性に車の中でそんな話をする。いいなあ。そういう出会い。
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ドライブマイカーの家福と高槻が「木野」で飲んでいたり、イエスタディの主人公が独立器官の主人公だったり.…緩やかにリンクしている短編集。やはり「木野」が軸になる作品なのかな。
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村上春樹の短編集。短編集としては『東京奇譚集』以来九年ぶりだというが、そんなに長く村上春樹の新しい短編を読んでいなかったのだというは少し驚き。『ねむり』や『パン屋を襲う』などの過去の短編のリメイクや、『象の消滅』や『めくらやなぎと眠る女』など海外で編まれた短編集の逆輸入版がその間にも出ていたので、そんなに長く短編集が出ていないという印象を持っていなかったのかもしれない。いずれにしても久々の短編集、色々と深読みができる上質なものに仕上がったように感じる。
村上春樹は、短編集を作るときには、あるモチーフに沿って、短い期間に一気に連作のような形でまとめ書きをするという。『神の子どもたちはみな踊る』は「神戸の震災」がモチーフだし、『東京奇譚集』は「都市生活者を巡る怪異譚」がモチーフだった。そして、この短編集のモチーフは「女のいない男」だ、と珍しく置かれた「まえがき」で自ら書いている。今、このモチーフで連作を出すべき内的必然性のようなものが村上春樹の中でわき上がってきたということなのだろうか。
少し前に出た中編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、「嫉妬」についての小説だ、と自分の読後のレビューに書いた。特に、「嫉妬」と象徴的な「死」の関係性が、『色彩を~』という小説で村上春樹が新しく見つけたテーマだと感じた。この出たばかりの短編集を読んで、一層その思いを強くした。そして、その「嫉妬」を様々な角度から書き留めておく内的必然性があったのではないのかと想像するのだ。
「嫉妬」は、誰か別のものが所有する何かに対する嫉妬である。そうであるがゆえ、必然的に常に三角形の関係から始まる。男女の点からなる三角形の二つの辺は、同時には自然には両立できず、常にその関係は不安定なものになると言える。そして、この短編集のそれぞれの小説の中では、その三角形の中のどこか一点がいつも唐突に失われることにより、むき出しになるべき「嫉妬」が保留されてしまうという構造を持っているのではないかと思う。
そういう見立ての上で各短編を読むと興味深い。
最初に置かれた『ドライブ・マイ・カー』では、すでに妻が亡くなっており、過去の浮気相手に対して主人公はむしろ心理的優位と共感をさえ抱く。『イエスタデイ』では、浮気に気がついたであろう男が主人公と女の前から唐突にいなくなってしまう。『独立器官』では、医師である男は、女が結婚相手以外の男を選んでいることを知り、ほとんど自らの意志で命を絶つ。『シェエラザード』では、話が現在と過去に分かれて少し複雑になっているが、何らかの理由で身動きが取れない男からシェエラザードが消えてしまうことが示唆されて終わる。『木野』では、妻の浮気現場を発見した木野がいわば身を引く。最後の『女のいない男たち』では、女の自殺を女の夫から電話で知らされるところから始まる。
連作の短編の中で、「嫉妬」と象徴的な「死」の関係を、時制を替えるなどして、いくつものパターンで再現する。そう考えると、「嫉妬」という新しいテーマを得た村上春樹が、久しぶりに短編集を出す理由がわかるような気がする。
「嫉妬」とは、相���との関係性の占有を巡る感情だ。「占有=排他性」についての正当性はいつも不安定で、期待するよりもつねに流動的だ。小説に登場する男たちは多くの場合、そのあるべき「嫉妬」の感情がわき出ることに戸惑い、むしろそれを抑える。むき出しの感情を表出するのではなく、静かに一人苦悩する。例えば『木野』は、「傷つくべきときに十分に傷つかなかった」とつぶやくのである。
おそらく「死」の想起は「嫉妬」の根本的な解決策である。そして、それはタイトルにもなった「女がいない」という状態ではないのか。「死」と「嫉妬」との関係が、短編集のタイトルには込められているのである。
それぞれの短編はいずれも男女の恋愛について書かれたものだったけれども、そのモチーフの射程は、男女の恋愛だけに留まらない。そう考えることもできるのではないだろうか。
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↓『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4163821104
※ これからはモチーフとして「駅」が出てくるという予想は外れたけれども。
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この短編では『ドライブ・マイ・カー』で当初舞台になった北海道の街の名前がある事情から変えられたことと、『イエスタデイ』の替え歌の歌詞が著作権上の配慮から単行本では二行に縮められたこと、など村上春樹には珍しく現実的なエピソードを抱えている。
『イエスタデイ』の歌詞については、文藝春秋には掲載されたという歌詞がネットではいくつか挙げられている。忘れさられてしまうのは惜しいので、以下に記録しておく。
昨日は
あしたのおとといで
おとといのあしたや
それはまあ
しゃあないよなあ
昨日は
あさってのさきおとといで
さきおとといのあさってや
それはまあ
しゃあないよなあ
あの子はどこかに
消えてしもた
さきおとといのあさってには
ちゃんとおったのにな
昨日は
しあさっての四日前で
四日前のしあさってや
それはまあ
しゃあないよなあ
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「ドライブ・マイ・カー」
のっけから村上春樹度満点の一作。
妻を喪失するし、運転ということが得意な女の子も雇うし、ただの二枚目俳優もでてくる。
使いこんだ道具で丁寧につくられたうまい小説。やっぱり上手だなー、と感じます。
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最近色んな作家の本を立て続けに読んでたけど、1番心に残った。
村上春樹の作品はいつも私の中にある何か表現できないものがこの中にある気がして読み込んでしまう。たぶん、私にも失われたなにかがあるんだろうと思う。
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初めて村上春樹の短編集を読んだ。感想は彼の短編てええなぁと。理由は単純。あの重くて出口の見えない物語にモヤモヤとした気持ちにさせられる時間が短くて済むから。
相変わらずセックスの話題が多いものの、彼特有の摩訶不思議ワールドはなりを潜めリアリティある分かりやすい話が多い。それはそれで読みやすいが、なんか誰でも書けそうやなぁなんて感じもしないでもなかったな。
なんせこの年にもなると、この小説で繰り広げられるものよりも奇なりと思える色恋沙汰が、自分でも周りでも沢山展開されてきたから。笑
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これはリアリズムの短編集。
(最後の方は少し違う気がするけれど)
女を失うということは、そこに含まれるコンテキストを失うことなんだと感じた。あるいは、そのコンテキストに含まれる自身の何か。
それは、僕にとっても何だかしっくりくるものだ。