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難しい漢字が多いのと
じっくり何度も行ったり来たりしながら
読まないとなかなか状況を把握出来ず
すごくゆっくりと読みました
読み始めてから、他の本を何冊も読み終えて
今日、やっと読み終わりましたが
独特の世界観と
この小説の世界に
ただただ浸って沈んで感じる
静かな気持ちは、快感でしかない
こういう読書って、なかなか出来ない
何度も読み返したい小説です
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素晴らしい作品でした。
梨木さんの作品には、いつも「喪失」が散りばめられている。
南九州の遅島にフィールドワークにやってきた研究者・秋野は大切な人たちの死という大きな喪失を抱えている。
遅島には失われた景色がある。
隆盛を誇っていた寺は、廃仏毀釈により廃寺となり仏像たちは無造作に押し込められる。
土地に根付いていた信仰は、年月を経てすでに伝説になっている。
静かで美しい文章で描かれる島の深い自然。
いつの間にか私も、緑色が飽和しているような濃い空気を吸い込み、墨のような匂いの湿度のある土を踏みしめている。案内役の梶井をはじめ島の住人たちと会話し、積み重ねられた島の歴史を聞き、遺跡を巡り歩く。
読んでいるあいだ、遅島は架空の島ではなく確かに存在し、私はそこにいた。
50年後に島を再訪した秋野が目にした島。抗えない時の流れと喪失に少しの残酷さと切なさを感じた直後、目の前に現れるあの日と同じ「海うそ」。
変わりゆくもの、変わらないもの。
すべてをただあるがままに受容し内包し、島は在り続ける。
読み終わり、ものすごい余韻に包まれながら、じっと本を抱きしめた。
何度も読み返したい一冊。
あまりの深い余韻に言葉にならず、レビューを棚上げしてひと月近く。
けっきょく費やした日々と文字ほどには何も書けていないけれど、自分の記録として残しておきたいので至らなさを承知でレビューUPしました。
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梨木さんは本当に自然を描くのが上手い。あたかも何処かに実在する島の中を秋野さんと一緒に散策している様に景色や風、湿度、その作中景色に重ねられる色々な失われてしまった人や物たちへの哀しさまで感じさせてしまうのだから。 想いは自分の幼い頃遊んだ空き地や川や林の中へ重なり、ああ自分が今住んでいる場所もかつてそのような所だったのだと、その様な時の流れと生きているのだと少し哀しく納得してしまったのだった。
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昭和の初め、人文地理学の研究者、秋野は南九州の遅島へ赴く。かつて修験道の霊山があったその島は、豊かで変化に富んだ自然の中に、無残にかき消された人々の祈りの跡を抱いて、彼の心を捉えて離さない。そして、地図に残された「海うそ」ということば・・・。五十数年後、不思議な縁に導かれ、秋野は再び島を訪れる。いくつもの喪失を超えて、秋野が辿り着いた真実とは。
中世の地鎮のための木簡に「吾都」と書かれていた。「あと」と呟いた秋野は「波音(はと)村」は「吾都」、わが都だったのだと思い至る。
五十数年振りに海うそを見た秋野に、息子は綺麗だという。そして良信の防塁に似ているという。
何かがわかったようなわからないような・・・。そんな終わりだった。
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===qte===
20140518日経朝刊
海うそ 梨木香歩著 リアルにほのぼのと描く喪失 [有料会員限定] 閉じる小サイズに変更javascript:void(0)中サイズに変更javascript:void(0)大サイズに変更javascript:void(0)保存javascript:void(0)印刷リプリント/async/async.do/?ae=P_CM_REPRINT&sv=KN
『家守綺譚(きたん)』が梨木香歩の最高傑作なら、本作はふたつ目の最高傑作だと思う。
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「昭和に入ってから、あと数年でもう十年になる」頃、某大学の地理学科に所属している秋野は調査のため遅島にきていた。遅島は南にある大きな島で、修験道のために開かれた。明治初年までは大寺院があったが、廃仏毀釈で打ち壊された。寺の残骸は藪(やぶ)におおわれて見る影もないが、「奥の権現」「薬王院」などは地名として残っている。
秋野は一昨年、許嫁(いいなずけ)を亡くし、昨年、父親と母親を亡くし、今年、指導教授が亡くなった。次々に愛(いと)しい者、親しい者を亡くした彼は、教授の残した調査報告書に書かれていたこの島に心惹(ひ)かれてやってきたのだった。
「その地名のついた風景の中に立ち、風に吹かれてみたい、という止(や)むに止まれぬ思いが湧いて来たのだった。決定的な何かが過ぎ去ったあとの、沈黙する光景の中にいたい。そうすれば人の営みや、時間というものの本質が、少しでも感じられるような気がした。」
秋野は、大寺院の跡を中心に、島の南部の探査に出かける。案内人は二十歳前後の青年。ふたりは一週間かけて島を巡る。そして島の虫や植物を観察し、動物に出会い、言い伝えに耳を傾ける。ミカドアゲハ、芭蕉(ばしょう)の大木、コノハヅク、雨の日に海からやってきて「縁側にずらりと並んでおんおん泣いていた」という「雨坊主(ぼうず)」。それらがユーモラスに、さびしげに、リアルに、ほのぼのと描かれていく。その文体の細やかさと確かさは、読んでいてため息がもれてしまうほどだ。
やがて大小の礎石だけが残っている大寺院跡に行きつき、圧倒的な山や空、海をながめて、秋野はつぶやく。「空は底知れぬほど青く、山々は緑濃く、雲は白い。そのことが、こんなにも胸つぶるるほどにつらい。」
最終章では、それほどまでに深く心に巣食(すく)っていた悲しみの所以(ゆえん)が明らかになり、秋野は「喪失とは、私のなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった」と思い至る。
ていねいに読んできた人は、はっと息を飲むだろう。何気なく語られてきた、雪のなかで立ったまま凍死したカモシカのエピソードや、香に似た蚊遣(や)りの粉の話などがここで、新たな意味を持って立ち上がってくるのだから。
200ページ足らずの本がこれほど多くを語りうることにあらためて驚く。しかしこれは魔法でも奇跡でもない。これこそが本の持つ力なのだ。
《評》翻訳家 金原 瑞人
(岩波書店・1500円)
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カモシカの目はどこか物悲しげであるというのは、一体どこで見たのだったかな。それから、カモシカは神聖な生き物だっていうことについても。わたしはそれをどこで知ったのだったっけ。
相変わらず、すごい内容だなあと思った。沼地のある森を抜けてを読んだときも、ピスタチオを読んだときも思ったけど、わたしの知らないことばかり。
それから、滞土録を読んだときにも思った、戦争で亡くなって行く人たちのこと、残されるひとのこと。記憶は自分の中にあるのか、その場所に宿って在るものなのか。
いろいろ考えさせられるモチーフばかりで、しんみりとしてしまう。
それにしても、梨木先生の本には、不思議とこう…民俗学的というか神話学的というか、そういうものを融合させた雰囲気を感じさせる要素がある気がする。なんていうか、上代文学を解釈してるときの気分に似てるというか、上代文学を現代文学にオマージュしてるみたいに感じるというか…。うまく言えないけど不思議な感じ。
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梨木香歩さんの描く世界
引き込まれる
情景描写がすごい。その場の空気を吸わせてくれる
昭和初期の架空の南の島
でも実在だと思ってしまう、ていねいで美しい文章
時代の流れといってしまうにはあまりにも残酷な変化
自然、宗教 人の暮らし
冒頭とラストの描写もいいなあ
《 海と山 神を仰いで 地を歩く 》
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淡々と日々がつづられているだけなのに
何に感動してるのか、自分でもさっぱりわからない
それでも、泣きそうになったんだ
何に、引っかかったのかわからないけど
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喪失がテーマとのことだが、著者にそのテーマはあまりそぐわないように思えるし、当然著者もそれを意識していたのではないか。だとすれば、本作の終わり方はそうとしかなり得ないものだったかもしれない。
ゆったりした前半部分(というか大半)と、舞台を現代に移した終盤のあまりの隔たりには眠りから急に揺り起こされるような感覚があるものの、考えてみればそれが"今の現実"であり、我々はかけがえのないものをすでに過去として失っているのだという事実に気付く。そこまできて初めて、これはまたひどく著者らしい一冊なのだと思い当たった。
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主人公と一緒に小さな島の探訪をしながら
こういうこと(地形や植物、住宅その土地の風土
思想等)を研究している人がいるんだと
なんとなくは分かっていたんだけど
初めて知ったという感じ。
そんな研究、イメージとしては遊んでるようなもんだと
思っていたけど、とっても大切なことなんですな。
こういう人たちが残していかないと
全くなかったことのようになってしまう。
後半いきなり50年後になってしまうのだが、
どんどん島の開発が進んでしまっている様を見ると
胸の痛む切ない気持ちになりつつ
でもこれはこれでしかたのないことと
ほろ苦くも複雑な心境になった。
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昭和の初め、人文地理学の研究者秋野が訪れた南の島「遅島」。この架空の島が生き生きと目の前に立ち現れる過去のパートが素晴らしい。梨木さんならではの植生の描写が美しく、重い湿り気や吹き抜ける海風のさまが身に迫ってきて、まるでその中に身を置いているようだ。数十年前まで確かにこの国にあった人々の暮らしをいとおしむ思いは、「冬虫夏草」の世界にも通じている。ゆっくり味わって読んだ。
終盤は五十年後の現在のパート。秋野が再訪した島は、観光開発の波が押し寄せようとしていて、かつての姿を失っている。正直言って、最初はちょっと類型的ではないかなあと思った。ただ、過去の島が楽園だったわけではなく、長い歴史を持つ寺院が打ち壊されていたり、伝承が忘れ去られようとしていたりと、どの時代にも「喪失」はあったのだと描かれていることを思うと、そんな単純な図式ではないだろう。
人間のすることは必ずうつろっていく。人もそれぞれの生を生きて、死んでいく。そんな思いがしみじみと胸に迫ってくる。「海うそ」は海上の蜃気楼のこと。はかない幻だが、美しい。
「風が走り紫外線が乱反射して、海も山もきらめいている。照葉樹林の樹冠の波の、この眩しさ。けれどこれもまた、幻。だが幻は、森羅万象に宿り、森羅万象は幻に支えられてきらめくのだった」
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人は多かれ、少なかれ、何かをなくして生きているんだろう。自然、建物、国や村、言葉や習慣・宗教だったり、目に見えない何かや、ちょっとした何かだったり。
ある日突然、災害のようなものでなくなるものもあれば、じわじわと時間に浸食されるものもあり、生きている限り、大なり小なり味わう何かをこの本で、味わった気がします。
昔通った小学校に何年振りかに行ったら、記憶にあるものがなくなっていたり、慣れ親しんだ地名が、読みにくいからという理由で、読み方が変わっていたり。小規模なら、そういうものに似てる。
話の半分以上が主人公のフィールドワークという淡々とした語りの後の、後半の話と、タイトル「海うそ」の解釈が衝撃的でした。「なくしたもの」に気づいた時の気持ちにリンクした気がして、少し気持ち悪いくらい。
最初は「家守綺譚」に近い話かと思ったのですが、それよりは重く、違った意味で心に響く一冊でした。
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2冊目かな、梨木さんの本は。
こうやって、すてきだなぁと思える人たちに本で会えるから、実生活が辛くなってくるんだなぁと実感した。
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戦前、南九州のある島でフィールドワークを行う人文地理学者・秋野が主人公。
秋野と一緒にフィールドワークをしている感覚に陥るほど、自然や人々の暮らしの描写に引き込まれる。
遅島と同じ道を辿った場所がきっとあるのではないかと思うほど、心に迫るものがあり、時代の移ろいに揺さぶられる。
静謐で厳かな雰囲気に浸り、読み終わった後もしばらく余韻に浸った。素敵な一冊でした。
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南九州の近くの遅島が、不思議な現実感を持って目の前に現れる。実際扉の地図を確かめながら、人文地理学者の秋野とともに、そこかしこを逍遙するのは楽しい時間だった。作者のこういう世界を作り上げる力に感服した。