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武帝記最終巻。 武帝の死とその後の始末、また李陵の最後が本編の中心。まとまりとしては中だるみはあったが、旨くまとまっていてそこに司馬遷が史記を書いて、それがどのように広まったかが最後のところに書かれている。
それなりにまとまっており、作者の意図が良くわかり、登場人物が生き生きとして描かれているところは水滸伝と双璧かもしれません。 良かったので4つ。
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衛青や霍去病らが活躍する序盤から、李陵と蘇武、そして司馬遷のストーリーとなる中~終盤まで変わらず楽しめる。
その中で常に中心を占めるのが武帝であり、その人の変化に合わせて登場人物の模様が少しずつ変わっていく。満足感は高い。
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解説でも述べられていますが、組織におけるリーダシップと人生の終え方の参考の一つにはなると思います。
史記もこれが最終巻なので、北方さんの文庫本は岳飛伝が発行されるまでは一休みですね^^
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武帝は、自分の後継を決めるのも、強烈だったね。何となく、尻切れトンボのような気もするが、それとも、引っ張りすぎたのかな。
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非常に、面白い。巻末の解説に書かれているように上に立つものの苦悩と言うか孤独感が充分に伝わって来たし、其れを後世に書き残した司馬遷も凄い。悠久の歴史を誇る中国ではあるが遥か昔より様々な人物が現れては、名を馳せ、無名の士となり草の垣根に隠れているような気がしてならないのである。文章は、日本語であるが、中国の本も面白い。中国語にも明るくなりたいと一瞬だけ思った、でも英語の方が好きである。
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武帝による漢の国づくりを物語の軸としつつ、武帝自身及び帝を支える臣、敵対する匈奴等、様々な立場の視点から歴史の進捗が綴られた壮大な歴史群像劇。武帝劉徹、衛青、桑弘羊、司馬遷、李陵が物語の大部分を形成しており、それぞれの人生に違った面白味を見出すことができる。個人的には、上記主要の人物以外にも、張騫が西域との貿易ルートを開拓するに翻弄するエピソードや、器量も力量も兼ね備えた伊穉斜が単于に立つも衛青に敗れ続けるエピソード等もとても気に入っている。
多くの人物にも共通していえることは、それぞれの立場や使命について常に悩み、葛藤を続けながらも、人生の終焉を迎える際には、悔いを残さず前を向き明日を見つめて役目を終えている点であると思う。総じて浪漫に溢れた至極の著であると感じた。
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眼を閉じた。眠りに落ちているのかどうか、よくわからなかった。即位してからの55年間のことが、一瞬の出来事のように、順序もなにもなしに浮かんでは消えた。
眼を開く。桑弘洋の顔があった。
「長かったであろう、おまえ。俺がいなくなっても、おまえは苦労するぞ。すまんな。兄弟のように生きてきた。俺が先に行く。だから、俺が、兄だろうな」
劉徹は、笑ったつもりだった。それ以上に眠りたかった。生きることは、煩わしいぞ。それに較べて、死ぬのはたやすいことだ。自分がそう言ったのかどうか、劉徹にはわからなかった。眠る。訪れてきた眠りは、深く、もう終わることもないのだ、と思った。(317p)
最終巻である。大変面白く読んだ。今回私は一巻置く度に、「史記」原書を紐解いてきた。李広、霍去病、衛青、匈奴、張騫、李広利、そして司馬遷の列伝を読み、中島敦「李陵」と読み比べることで、北方氏が何を描こうとしたのか、おぼろげながら分った気がする。時代に左右されない漢としての戦い、生き方を書こうとしたのだ、と思う。同時に、つくづく司馬遷の偉大さを見た。
だから、大胆に定説を覆して新しい漢(おとこ)の姿を描いてみせる。中島敦「李陵」が描くように、李陵は蘇武に引け目を感じていたわけではなかった。司馬遷は史記を書いたあとに腑抜けのようにはならなかった。劉徹・武帝は老害を晒して最期を迎えなかった。
そして、最も意外で最も腑に落ちたのは、桑弘洋の最期であった。歴史書では昭帝の時代になって、桑弘洋は霍光と対立して、謀反事件に連座して処刑されたとある。武帝の時代を生き延びた桑弘洋がそんな無思慮に謀反に連座することは明らかにおかしい。そこには武帝に殉死を禁じられた彼の見事な死に方があったのである。李陵も、おそらくバイカル湖の麓で老死したはずだが、桑弘洋、蘇武、司馬遷と同じく最期の描写はなかった。この巻で最期の描写があったのは、冒頭にあるように劉徹のみである。蓋し、武帝紀であるからだろう。
2014年4月30日読了
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北方版の史記も完結!
時間かかっちゃったけど、読破しました。
最後、帝をはじめとして、登場人物の老いが如実に現れ、哀愁漂う作品になってました。
幼い帝に国を託し、亡くなった劉徹。
国とは民である。国とは何か、考え続けよ。
しっかりと託されたこの言葉。
これまでの劉徹から考えられないこの言葉。
劉徹を見ていると、国は帝のために存在しているものとしか考えられなかった。
それなのに、違った。
もっと深く、もっと広く、てつもなく大きな視点で国のこと、民のことを考えていたことに驚いた。
人の生き様、国のあり方、様々なことを考えさせられ、感銘を受けた良い作品でした。
途中のまんねりは辛かったけどねー!
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人が作り出すものに頼りすぎて、自ら愉しむことがない 懸命に不老不死に手をのばそうとしても、確実に老いてきた。そして肉体が、やがて死ぬ、と劉徹に自覚させたのだ 死ねばどうなるのか。それも考え、答えはすぐ出た。いなくなる。それだけのことだ 生きることは、煩わしいぞ。それに較べて、死ぬのはたやすいことだ
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終わった。史記は横山さんに触れたのみで、本紀なんかには触れてはいない。
案外に知っているようで知らないことばかり。司馬遷と李陵なんて仲良しだと思っていたらそうでもなかったり。
時代・視点、皇帝の孤独などなど、読み進むごとに人の魅力が変わってきていて、何ごともそうなんだろうなーと。
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「書を読むという事もそうだ、孫信。知識は増えるであろうが、その知識の遣い方を、書は教えてくれるわけではない。」第三十五章 断蓬より 司馬遷 言
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派手な場面こそないものの、一番面白い巻だったかもしれない。漢も匈奴も世代交代が近づいてきて、劉徹をはじめとして、各々が過去を振返りつつ、受け入れ、次の代に繋げていこうとする様はグッと来た。
特に、次の代の官の筆頭である霍光がしきりに桑弘羊を責め立てるところーなぜ聡明でかつ、唯一帝が話を聞くあなたが、現状を変えようとしないのかーは、どちらの感覚もよく分かり、「こういうのよくあるわぁ」と感じてしまった。正直、桑弘羊に対しての自分のスタンスは決めかねている。霍光の言うことはよく分かる一方で、帝との臣下とも友人とも違う唯一無二の関係性を考えると、桑弘羊の生き方もありなんだとは思う。ただ、李陵の家族をはじめとして血は流れすぎた。唯一の救いは李陵や蘇武といった、劉徹独裁時代の被害者たちが、最終的には自分たちの生き方を見つけ、劉徹を赦すところだろうか
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北方版史記を読み終えた。劉徹、衛青、霍去病、桑弘羊、蘇武、李陵、霍光そして司馬遷を通しての前漢の長いお話。綺羅星のごとくちりばめられた英雄達。特に印象的だったのは、人も住まない極寒の北海に流された蘇武の生きるための闘いと変わりゆく心。国とは?その意味を見つけていくくだり。
歴史はこの後、霍氏の誅滅。王莽による漢の滅亡。劉秀の漢の再立。へと続いていくことを現代人の私たちは知っているが、変わらず英雄達の苦悩も果てし無く続く。北方版三国志よりも心に焦点をおいて描いているところに、特徴あり。
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第七巻。ついに完結。
何だか登場人物達の“思い”が、しみじみと伝わってくるような巻でした。
色々あったけれど、皆がそれぞれの思いを噛みしめて生きていくのだな・・という感じ。
ラストの、-別れだな、李陵ー。ー別れだ、蘇武ー。と、目だけで思いを伝え合う場面は、こみ上げてくるものがありました。
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まずは全7巻に及ぶ歴史小説を読み終えた達成感が凄い。紀元前の中国を生き抜いた男達の生き様という熱い塊が胸の中にドシンと落ちてきたような感じがする。
国があって、民がいて、争いがあって政治があって。時には厳しい自然に晒されても尚、信念を持った人は生を貫くのだという力強いメッセージが込められている。ハードボイルド小説(と言われている?)ってものに手を出したのは多分これが初めてだと思うんだけど、自分が普段読んでるような本に出てくる言葉遊びなんてものが一切なく、簡潔かつ事象だけを綴り続ける骨太な文章は圧巻の一言……めちゃくちゃ著名な大先生の本捕まえて何言ってんだコイツって話なんですけど、思ったままの感想なんです。
巻を追うにつれて読み終わる間隔が短くなっていったのは、そういうことでしかありません。想像もできないくらい遙か昔の時代のお話かと思いきや、現代に通じる訓示みたいなものが詰まった魅力あふれる作品でした。
ちなみに、羊の肉と鹿の肉がめちゃくちゃ食いたくなる。ジビエだ。