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硬直的でないのは、著者が自分の良心に誠実に向き合って出てきた言葉を紡いでいるからで、そこにちゃんと迷いや葛藤がある。重心の置き場は読者と違うかもしれなくても耳を傾けられるのは、ちゃんと自分の意見を冷静に見つめる視座があるからだと思う。なかなか大っぴらに提示しにくい問立てだけれど丁寧に自分を語ることから入って様々なことを考察する。面白かった。
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ぼんやりした近現代史のとらえかたで生きているからこそ、現在に生きるぼくらの精神構造に少なからずその影響があり、よくわからない矛盾や苦悩が、意識上か意識下か、そのすれすれのボーダー付近から生じたりする。本書は、そのような、ぼんやりとしかわかっていないひとの多い近現代史を、自らもぼんやりとしかわかっていないことを認め、前提にして調査し勉強して、なにか「よすが」のようなものを見つけていくエッセイ。赤坂真理さんは小説家でもおありなので、出だしなどは、小説のそれのように、そして気合も乗っていて、迫力十分。また、肩に力の入った文章に読めますが、読んでいくうちにそれも気にならなくなっていきました。迫力に押されてしまったのかもしれません。終盤に近いところで、「自分が現在だけにぽつんと置かれたようなよるべなさ」と書いてあって、これって多くのひとが感じていることだろうなあと思いました。歴史の連続性を感じ得ずに、現代という舞台にいきなりいる感覚って、勉強不足という言葉では片付けられないものなんじゃないでしょうか?そして、「それは自尊心を蝕む」と続くのでした。現代の日本人はこれだけじゃなくて、いろいろ分裂した概念の板挟みになっていると説明されている。政治に文句は言うけれど選挙に行ったことがない、というひとだとか、社会上の分裂した概念が基盤になってしまっているからかもしれない。
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誰もが、無意識に、見て見ぬ振りをしてきた「タブー」に立ち向かう。
この先に「まったく新しい物語」はあるのだろうか。 ---
「戦前性と戦後性との、驚くほどの近さなのである。実は、何も変わっていないのではないか。」
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偉そうだが「東京プリズン」という小説はそもそも小説技術において稚拙だった。個人的感情を含めての近代史論を展開するには小説は本来もってこいの手法だったはずだが、技術が惜しくも追いつかず作者の思惑が十分に表現できなかったように思う。翻って本作は、エッセイとしていわば「東京プリズン」のサブテキスト的に読んだが、むしろ感情的にも伝わって小説的な感動も受けたのだ。エーリッヒ・フロムや岸田秀あたりをおそらく経ずにほぼ同じような知見に達していることが驚かされる。英語原文からの日本国憲法の条文解説は、非常に面白い。これだけで一冊さらに掘り下げてほしいくらいだ。
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立て続けに赤坂真理さんの著書を読んでいる2冊目。またも新書でありながら新書らしくないエッセイのような読後感。
戦後の日本といいながら旧態依然、旧弊としたものが厳然とあるいは巧妙にかたちを変えて残っていることや、世のなかが自然と受け入れてしまっているものへの異議を唱えるなどヘソ曲がりな私には共感できることが多かった。特に地元の町内会にかかわって公園のあり方を検討するメンバーになった顛末は、身近なだけにその異常さ、おかしさがリアルに感じられ恐ろしくなった。
赤坂さんが会ってみたかった人として鷺沢萠を挙げていた!
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アメリカから帰ってくる際に、日本の戦後を理解する必要を猛烈に感じた。
そのため、白井聡と内田樹を読みながら、そうだ、赤坂真理も読もう!と思った。
自らの半生を振り返りながら、戦後とはなにか、アメリカとの関係とは何だったのかを振り返る姿勢はとてもよいと思う。
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セクションごとに全く違う印象を受ける作品。前半がすごくおもしろい。ジャイアン論とか。
後半の地域住民を入れた検討会が、いかに民主的でないか、全体主義的かという点はなにか恥ずかしくなる気持ちがした。
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#英語 だと Love, Sexuality and Existence by Mari Akasaka でしょうか。
テーマに向き合う著者の姿勢が、今回もすごかった。
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小説は読んだことないけど、講談社現代新書のモテ本は読んだ記録がありました。その頃からこのテーマは考えられていたのですね。
前半は小説家の視点からの日本近現代史という意味でとても興味深い反面、現代社会批評的な部分はあまり共感できないものがあった。
憲法の憲という漢字の意味とか、日本国憲法草案の英語原文とか、言葉は大切にしなければというのは法律家の端くれとしてハッとさせられた。憲法とは何かと問われて法律的(というか芦部的)な説明しか頭に浮かばないのは思考停止ですね。
そもそも法律家として憲法に触れなすぎる。
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戦争は永久に之を放棄
すると、
いまや日本人自ら決意
したかの如く喧伝され
ますが、
戦後、アメリカにそう
言わされたのであって、
私たちの当事者意識は
あるようでありません。
平和や反戦を私たちが
誇る至上の美質と語る
ことは、
与えられた美辞麗句に
便乗してるだけの欺瞞
とも感じてしまいます。
「一億総火の玉だ」と
猛り狂う気質は変わる
ものなのか。
アメリカの庇護が消え
隣国の脅威に晒される
いま、
当事者意識のもと憲法
を見直してくなかで、
それでも戦争は永久に
放棄すると言えるのか。
そのメッキが剥がれる
ときは近いのでは?と
思うのです。