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小難しいことほど
まじめに
肩の力を抜いて
ゆったり
静かに
考えたい
「本」の素敵なところは
わからなかったら
また 振り返って
そこから 読み直してみたり
まったく 別のことをしていたときに
あっ あれ
こういうことだったんだ
と 腑に落ちたり
そんな
「知」の楽しみ
を 内田さんの本は
与えてもらえる
いい時間でした
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…学校教育は「共同体の次世代を担いうる成熟した市民の育成」のためのもの…であるから、…「成員なちがみな均質的であり、数値化できる能力に従って階層化された集団」よりも、「全員が天才であるような集団」のほうが、危機的状況を生き延びる確率が高い。…の箇所は印象に残りました。何度も読んだことがある内容含まれているのですが、「その何度も」の箇所は難しいことではなく心に留め置きたいことが多いです。
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帯文等の事前情報から、近年の個人主義を否定し、懐古主義を感情的に書いているだけではないかと疑いながら読み始めた。しかし、いい意味で期待を裏切る内容だった。ほぼ全て理論的で、それでいて非常に読みやすい内容となっている。ただ古き良き時代を取り戻す、個人主義こそ理論的な帰結、といったものを否定し、もっと大きな視点で語られている(理論的に)
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これまでの著作でも繰り返し述べている事がいちばん分かりやすくシャープにまとめられていて、なんなら内田氏の本読むならこれ一冊でええんちゃうかと。身につまされつつ、視野が広がりつつ、点が線に繋がりつつ、様々なブレイクスルーの契機となった。
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本書では、主に日本の共同体が戦前と戦後でどう変化したかについて述べられており、現代に求められるものについての内田さんの考えが示されている。資本主義経済システムの要請からくる反家父長制によって旧式のあらゆる共同体が解体され、個々人に分割されてしまったこと。親子関係しかり、学校教育しかり。経済学科で学ぶ身としては、簡単なミクロ経済モデルを扱う際に登場する「合理的経済人」、つまり「経済活動を行うにあたり完全に合理的であり、自己の利益を最大化するために行動する」と仮定された存在を思わず考えてしまった。この考え方には、人は「この商品は同種の商品の中で最もすばらしい」とか、「このスーパーよりもあのスーパーで買うほうが安い」などといったすべての情報(完全情報)を知っているという仮定が存在する、と習っている。が、それよりも根っこの部分にある重要な仮定として、「すべての人が同じ価値観を持ち、同じものを求める」ことがある。当たり前のことかもしれないが、今日の経済学というものは資本主義経済上に成り立っているのだな、と感じた。
資本主義経済が影響を及ぼしたのは、人々の労働形態のみではなく様々な価値観に対してでもあったことは、今まであまりしっかりと考えたことがないことだった。新たな見方を知ることができたので、この本と出会えてよかったと思った。言われてみればいたるところで「消費者マインド」に支配されているな、とは思う。ただ、家族間の関係やご近所づきあいの希薄化にも一枚かんでいるとは考えていなかった。確かに、共同体が解体すれば、商品の需要者は増える。内田さんが指摘されているように、みなが同じものを求める状態のほうが、企業にとっては生産活動をしやすいし利益を上げることはできるだろう。それでも、私にはそういうシステムが少しさびしく感じられた。実際に以前の時代を生きたわけではないが、なんとなくそう感じてしまった。とはいえ、私が古き良き日本として語られる昔の日本像を知るのは、もっぱらイデオロギー操作に加担したとされるマスメディアからなのだから、皮肉なことである。
読み終わって、内田さんはただただ現在に悲観し文句をつける人物ではないのだと改めて感じた。一見古くさいと思われるようなやり方の中にこそ、日本の今後の生存条件があるのではないか、という主張は、まえがきにあった「『当たり前のこと』に帰着します」という言葉通りだった。やはり、読みやすい文章ではありながらも言葉に重みがあると感じた。ただ、「最近少年犯罪が増加しているとコメンテイターたちがコメントしているが、実際はそうではなく個人の印象である」と批判しているのに対し、内田さん自身も「おとな」比率が5%というのを感覚で語っていることが少し気になってしまった。
今後求められていくのは、親子関係の再編と個人のリテラシー向上ではないだろうか。お互いが助け合うことができるコミュニティや「おとな」を生み出すためには、幼少期に親から受けた印象が大きな力を持つだろうから、まずは親子関係から変えていく必要がある。個人のリテラシー向上というのは、メディアの情報をただ受容するのではなく、疑ってみたり、検証したりすることができる能力を身につけ��ことである。本書の中でも述べられていた、「自分らしさにこだわれ」「集団に帰属するな」という個人主義的イデオロギーのアナウンスに対しても、それを社会的必然性と捉えるのか、他者の考えの押し付けと捉えるのかは個人次第である。流れてくる情報を、はいそうですかと鵜呑みにするのではなく、一度立ち止まって考えてみる。ただ、ともすると「自分らしさにこだわる」ことと紙一重ではあるので、「師匠」を見つけ師事できることが一番の近道なのかもしれない。
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市場経済の原理を適用すべきでない分野(本書いうところの社会的共通資本)、例えば教育とか地域コミュニティとかについての内田節は共感できるところが多い。これらの分野では、等価交換ではなく、敢えてオーバーアチーブする人が一定程度の割合で存在することで社会が維持されるというのはおっしゃるとおりかと。
クレーマーになって相手に頭を下げされて一時的に快感を得ても、その代償に周りから次第に遠ざけられ、社会的評価を失い、下層社会に落ちていく、だから、いい人でなければ階層の上位には行けないんだという構図は、岡田斗司夫や佐々木俊尚の主張にも通じるものがあるね。
政治的なイシューでは共感できない部分もあるが、こうしたテーマを語らせれば、面白く読めますね。(まあ、言ってることはいつも同じなんですけど)
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グレゴリー・ベイトソン ダブルバインド 命令に従えば罰せられ、命令に従わなくても罰せられる
豊かさと親しみは食い合せが悪い。金ができるとみんなだんだん排他的になる。でも、また日本人全体が貧しくなってきて、共和的な貧しさの知恵の必要性を感じ始めている
システムの保全が自分の仕事だと思う人がいないとシステムは瓦解します。システムの保全仕事は基本的にボランティア。システムの保全はみんなの仕事だから、みんなで手分けして行うもの
こどもはシステムの保全はみんなの仕事だから自分の仕事でないと思う。大人はシステムの保全はみんなの仕事だから自分の仕事だと思う。
いまの日本は子どもの数が異常に増殖してしまった社会です。
システムがあまりにもよく出来ていたせいで、システムが崩れだした時に、それを止めるのが自分の仕事だと思う人間がいなくなってしまった。それが日本の現状だと僕は思っています。
コミュニケーション能力とは、どうしてよいかわからないときに、どうしたよいか分かる能力の一種
本当の人間的能力は事後にしかわからない
鶏鳴狗盗
国民みんなが未成熟で、非知性的、利己的であるほうが、自分にとっては都合が良いと思った人たちが、久しく日本のシステムを支配してきて、その方向に舵を切ってきたから、こうなった
匿名というのは我執 どんなことがあっても生身の自分は手付かずのまま温存したいという我執が見苦しい
クレーマーを生み出したのはメディア。相手が行政でも、医療機関でも、学校でも、とにかく一番口うるさく文句をいう人の言い分を、最優先に聞くべきだということをルール化したはメディアですよ。
クレーマーって、まさに不適切な場合にお門違いなクレームをつける、という行為そのものによって、謝罪とか賠償とかでいくばくの満足を得る代わりに、社会的評価を自分で下げてしまっている人なわけでしょう。
嫌なやつは社会的に上昇できない。階層社会で上位にたどりつけるのは、いい人だけなんです。知らないことを知らないと言える人、他人の仕事まで黙ってやる人、他人の失敗を責めない人、だけが相互支援、相互扶助のネットワークに呼び入れられて、そこでさまざまな支援を受けることができる
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内田樹さんの、家族、地域、学校など、共同体についての話ということで、自分にとっては好きな話が多かった。
たぶん、短時間で一気に書いたんだろうな、と思える気迫あふれる文体でした。内田さんのことばで言い直すと、「憑依してる」文章なんじゃないかと思います。
久しぶりに、すらすらと、わくわくしながら読める本に出会えた。よかった。
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まぁ、期待したよりは為になる部分ってのは少なかったかな。けど、なるほどなぁと思える部分、おもろって思える部分があったので...最後の師弟関係の部分はちょっとくどかったかなぁ。
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デトックスに読みました。
「家庭における父親の居場所」というものに、とても納得してしまいました。
システム的に、父親の居場所と言うものはない。
でも、家庭で自ら機能することを放棄している父親を30年以上見続けていると、
それでいいのかと、
私はどうにかできないのかと、
とても苦しくなります。
父親は、嫌いです。
でも、父親を、不憫に思っています。
どうにかしたいと、
だって、どうにかできる方法を見つけなきゃ、
私が前に進めないからです。
でもそのためには、
父が変わろうとしてくれなければ、
もう私には打つ手立てがありません。
人に変わることを願うことほど、
傲慢な考え方はありません。
どうしたら、いいんですか?
わたしはずっとこのまま、
一人なんでしょうか。
自分の一人を、父親のせいにしているかのようなこの
悪しき循環を、断ち切りたくて、断ち切りたくて。
ほんとうに、困ってしまっているのです。
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内田樹氏はいつも、「現代」を鮮やかに切り取って僕たちに示してくれる。この本では、「家族」「学校」といった共同体を軸に、激減してしまった「おとな」がするべきことを説く。
「父親の没落と母親の呪縛」の章では、“現代日本のシステム的に、家庭内に父親の居場所というものはない”といった内容が尋常ならざる説得力を持って語られ、胸をえぐられるようであった。
そして、コミュニケーション能力とは「人と気持ちよく会話する能力」ではなく、「コミュニケーションが成立しなくなったときに対処しようとできる能力」である、という記述が印象に残った。
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1.内田樹さんが言いたいこと。
相手を理解するには、相手の体温を感じるところまで近づくこと
賢い男は「家庭内序列2位」を選ぶ
格差社会とは、子供が持ち物で大人を値踏みすることが存在する社会。
社会的に要請された「身の程知らず」
お金の管理がルーズすぎる。収入に生活レベルを上げる工夫が出来ない。
身の程知らずの消費行動は、広告代理店が作り出した幻想。ちょっと無理をする生活はマーケットが要請しているから。
家族の解体 (消費を促進するため)
現代の親子関係は商取引に準拠する。
子供を成熟させるために、教育を受けさせるのではなく、出来の良い「製品」を出荷し、家族=「ファクトリー」としての格付けをあげたい、と言う親の自己都合。
「この人についていっても大丈夫」いう確信は、
人生が楽しくなる、目の前が広がるような感覚があるんじゃないかなと、想像する。「わからなさ」について話し合うのがたのしい。師の近くにいると、なんとなく、ぽかぽか、気持ちが暖かくなって、心身がリラックスする。それがわかると、「ああ、この人についていっても、大丈夫だ」と。
2.あなたを決めるのは、消費の仕方であるという国策。
消費単位は家族だったのが、国策「家族の解体」を進めることにより、個別の消費が進む時代になった。
消費は家族の合意が必要であって、ほしいものにも合意が得られず、購入できない事態があった。
しかし、その場合は、貨幣は市場に投じられずに、貯蓄に回される。それでは、市場が活性化しない。「あなたがどのような商品を購入したかによってあなたが決められる。」という消費者哲学に基づき、現代人のアイデンティティが構築されている。
自分の消費活動について、「身の程」と引き比べて、適切であるかどうかについては誰にも口を挟ませないことが日本人の緊急の課題となった。家族解体はその必然の帰結であった。
どのように消費するかは自分が決めること、そして、消費が増えることを、国も、マスメディアもこぞって煽り立てていた結末が、家族の崩壊につながった。
3.日本人の「無教養」と「反知性主義的傾向」について。
消費者行動が変化し、人間の価値が、「何を作るか」ではなく、「何を買うか」になってしまった。また、わずかな労働時間で、巨額の収入をもたらす形態が、最も賢い働き方になり、一方、額に汗して働き、使用価値の高い商品を生みだしても、高額の収入をもたらさない労働は、社会的劣位に位置づけられた。こうやって労働者のモチベーションは傷つけられていった。
子供たちが学ばなくなったのも、この労働間の変質と同じ理由で説明できる。少ない学習努力で、価値の高い大学に入るかが、学生たちの目標になり、意味のあることである。学力を高めることは、もはや学校教育の目的ではない。「努力の少なさ」が競われているので、絶対学力が底なしに低下するのは、論理的に自明なことである。
また、会話の中に、相手の試験の点数が上がるようなトピックは入らないように努力し、そんな日常の努力の積み重ねの上に、「無教養」と「反知性主義的傾向」が構築される。
4.男女雇用均等法がもたらしたもの。
私が近頃思っていること、どうして女性が、出世をしたがるのか、男に負けるのがいやなのかということ、負けるが勝ち、という言葉もあるように、勝ち負けなど決めなくてもいいのに、と思う。
しかし、今の女性は、子供を生んでも、パートナー、夫との仕事にかける時間を競い、自分が不利だと嘆く。時短をもらったら、喜んで子供といる時間を選べばいいのに、仕事ができないとイラつく。私には良くわからない。
しかし、内田先生の言葉を借りると良くわかる。「男女雇用均等法」により、それまでの伝統的な性役割を解体したものだから。
男女の性差をなくし、労働単位としても、消費単位としても差別をしないということになった。それは資本主義にとっても、フェミニストにとっても都合がいいので、すんなりと受け入れられた。
その結果、雇用される者の数はかわらないのに、女性が仕事を継続するので、男性にも非正規雇用が拡がった。
以上が読後のまとめだが、内田樹先生の現代を読む鋭い視線と、判断力がとても痛快だ。
これからも、内田先生の本を読んで、現代の現象を紐解きたいとおもう。
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内田先生大好き!再読必必至!
母と子供の関係、「おとな」、セミパブリック、メンターなどなど、今までと言ってるとこぶれないし、読んだ時期なのか、すんなりと落ちた。
2014/10/12読了。
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日本の教育予算の対GDP比でのOECD調査では、世界最低レベルにあることを知りました。子供たちが、大人を見るときに、無意識のうちになんとなく年収で値踏みするようになっていることを知りました。お金はたくさんあるに越したことはないのですが、お金だけあっても必ずしも幸せな人生が送れるわけではないことを子供たちに分かってもらう努力を大人の私たちが身をもって示さないと駄目なのでしょうね。とても難しいことですが。
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2014.11.16
男女雇用機会均等法が企業側からすると、雇用条件の切り下げに繋がってるってのがへえと思う。
どんなことでも企業とか経済に良いようにって考えられてるのか。