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数年前のバングラデシュ滞在時、現地の水にはヒ素が含まれているから気をつけるようにと言われたが、日本人がよく食べるヒジキには36000μg/kgの有害とされるヒ素がふくまれてるそうだ。カナダ、イギリスなどはこれを食べないように勧告しているけど、日本はその食生活に応じてこれを食べてもいいという理解をしている。
つまり、基準値というのはいかようにも変えられるというお話。
リスクの許容という考え方としてALARP(As Low As Reasonably Practicable:合理的に実行可能な限り低く)という言葉はよく耳にしていたが、ALARA(As Low As Reasonably Achievable)というのは初耳。調べてみるとどうやら原子力発電の世界で使われているようだ。
いろいろな基準値が決められた背景について丁寧に解説されているが、なんとなく読みにくい。文体のせいなのか。
各種の基準値について、「少しうがった見方が必要だよ」、という流れの解説であるが、一般人はそこまで突っ込んで調べたりしないからこの本を読んでいるのだよ。
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賞味期限、放射線量、電車内での携帯電話……私たちはさまざまな基準値に囲まれて、一喜一憂して暮らしている。だが、それらの数字の根拠は?
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基準値は同じ分野でもいろんな基準がある
基準値の根拠が科学的な安全性とは限らない
基準値の根拠は主に安全性か受け入れられるリスクかコスト面から決められる
基準値の根拠はなし崩し的に適当に決めている場合が存在する
基準値を越えた越えないだけで一喜一憂するのは危険
基準値を絶対視すると思考停止に陥る危険があるというのは確かにそうだと思った
基準値の用途やその根拠まで気に掛けるよう注意していきたい
といっても面倒なんだよな・・・
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村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生『基準値のからくり――安全はこうして数字になった』(講談社ブルーバックス、2014年)は、さまざまな分野の基準値が定められた根拠や背景を1つ1つ追う中でRegulatory Scienceを説明した書籍である。
たとえば飲酒が20歳からと法律で定められているのは、成年年齢が20歳であることが根拠(1947年参議院会議録)になっている。成年を20歳とする根拠は太政官布告(1876年)に遡り、21歳から25歳を成年とする欧米諸国の国民と比較して日本人は「精神的に成熟している」「平均寿命が短い」からだという(p.4)。この根拠、今でも通用するだろうか?
安全に関する現代的な基準値は受容可能なリスクの大きさによって定められるが、昔からそうだったわけではない。化学物質に関する「古典的」基準値として、環境基準型(無毒性換算型)と残留農薬型が挙げられている(p.130)。2007年に中国産キクラゲの残留農薬が基準値の2倍である0.02mg/kgであることがわかり、廃棄処分された。しかしイチゴやリンゴなどの残留農薬基準は5mg/kgである。キクラゲはイチゴやリンゴのような試験を行っていないので、安全係数をかけて一律で0.01mg/kgという厳しい基準値が適用されているのだ。
発がん性物質に関する受容可能なリスクの大きさは、10万分の1とされる。
飲料用水道水を例にとると、分析技術の向上によって発がん性物質が次々に見つかり、ゼロリスクの仮定は置けなくなった。そこでWHO飲料水質ガイドラインにならって生涯発がん確率が「10万人に1人」となる基準値を1993年に定めたものの、リスクレベルについては時期尚早という理由で国民には公開されなかった。その後の大気環境基準値(1996年)で、初めてリスクレベルが明示されている(p.71)。
もちろん、受容可能なリスクの大きさは場合によって異なる。ICRPの1990年勧告に基づく職業被曝の線量限度20mSv/年では、英国学士院での次のような議論がなされている。年間死亡リスクは、①危険な状況(プロのスタントなど)では3~6/1000。②1歳~20歳男性の平均は1/10000未満。③危険な職業(鉱工業、建設など)では1~3/10000。④製造業では0.3/10000。以上から、年間死亡リスク1/100は許容できないが、1/1000は個人が認識していれば受容可能とし、65歳までの累積の年間死亡リスクが1/1000に収まる値として20mSv/年が設定されている(pp.189-191)。福島第一原発事故では、この数字を根拠に避難勧告がなされている。
食料品については、安全・安心の二分法が通用しないことがある(p.51)。文化に基づく場合だ。米やひじきに含まれる無機態ヒ素の発がん性は、先に述べた10万分の1というリスクレベルの100倍以上に達する(pp.55-61)。だからといって、我が国で米食をやめるような勧告は行えないし、行うべきでもない。諸外国が米の食用に規制をかけているのは、それが主食ではないために実害が小さいからである。(日本人の無機態ヒ素の摂取量は、線量換算で30mSv/年とのこと。)
基準を超えたからといって、廃棄や停止などの措置を講ずることが妥当とは限らない。リスクトレードオフといい、9.11で飛行機を避けて自動車移動が選好された結果、翌年の交通事故死亡者数が例年より1500人増加し���というのが一例である(p.179)。2012年5月、利根川支流の浄水場で基準値の2倍のホルムアルデヒドが検出され、一都四県の浄水場で取水停止の措置が取られた。結果、地域によっては給水所に2時間以上の行列ができたという。もし真夏に同様の事故が発生した場合、熱中症のリスクを取って取水停止措置を講ずべきか。その判断は容易ではない。
なお、リスク管理には3つの原則があり、①ゼロリスクに基づく方法、②受容可能なリスクに基づく方法、③費用との兼ね合いで決める(たとえば、リスク低減に支払ってもよい金額から算出する)方法とがあり、③は実際に米国の飲料水の水質基準値に採用されているのだという(p.181)。
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いろいろな場面で登場する「基準値」と言うモノ。
様々な基準値がありますが、そのいくつかについて決められれるまでの経緯やら、その意味やらを掘り下げて解説されている一冊です。
意外と、いい加減な基準もあったり、時代にそぐわないものもあったりと、基準値の種類によってずいぶん変わるものなのだなぁと。
17ページと106ページに登場する、米国の疫学者であり衛生工学者のウィリアム・セジウィック先生の
" Standards are devices to keep the lazy mind frm thinking. "
(基準と言うものは、考えるという行為を遠ざけてしまう格好の道具である)
のフレーズが印象に残りました。
付箋は20枚付きました。
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基準はそれ以上考えなくなる要因的な話は納得。内容自体はもっとスッキリ書けたはず。なんだか長く、知りたいことを得るにはわからにくい。
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帯にある「全国民必読」は言い過ぎかもしれない。だが、基準値という「人を思考停止させる指標」に単純にだまされないように、読んでおくことは有益と思う。
基準値は、安全と不安全を、生と死を、安心と不信を、一本の線で峻別するものではない。この本にあるように、その決め方には、さまざまな紛れ、仮定、割り切りがある。可能な限り合理的に設けられている場合は多いはずだが、100%信頼できるかどうかはわからない。
そんな、基準値に寄りかかって無駄な努力をしたり、自分ではない誰かに判断と責任を押しつけないようにしなければならない。
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安全とは受け入れられないリスクのないこと
基準というものは、考えるという行為を遠ざけさせてしまう格好の道具である(ウィリアム・セジウィック)
暫定基準値の根拠となった原子力安全委員会の指標値は、一度の放出しか想定していない
基準値は数年ごとに見直さないと、現状と乖離する可能性がある
レギュラトリーサイエンテイストが日本には足りていない
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仕事関係で読んでみたいと思い、購入。基準値の持つ4つの特徴【①従来の科学だけでは決まらない②数字を使いまわしがち③改変されにくい④法的な意味は様々】は、仕事でぼんやり思っていたことを綺麗に言語化してくれている。基準値の決定において、特に日本では、受け入れられるリスクレベルはどの程度か(=なぜその基準値なのか、why)がなかなか議論されず、なんとなくで決めた基準値をどのように守るか(=how)が重要視される。この主張は自分の仕事にも当てはまる面がある。なぜ?という思考を持つよう意識したい。
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安全のために設けられた基準値。科学的なようでいて実は根拠があいまいなものや複数の基準が混在しているものもある。普段耳にしつつもあまり気にしない基準値設定の謎に迫る一冊。
お酒は二十歳になってから、優先席付近では携帯電話の電源をお切りください、消費期限と賞味期限など実は身近な基準値。安全はどのように数値化されたのか、そもそも安全とは何か。ゼロリスクと許容できるリスクなど。
10万人に1人がガンにかかって、死ぬレベル
10年連続で年末ジャンボ宝くじを買い続け一等が1回出る確率
実はこの二つは同じ程度だという。
数字のマジック、人間の心理、認知についても分かりやすい例が多く示されている。
正に「科学をあなたのポケットに」のキャッチフレーズに相応しい良著。
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https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000057349
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面白かったし、結構怖い話。
いろんな基準値って、実は必ずしも「化学的に」きまってるわけやなくって、達成できそうな数字だとか、ぼくはこう思うなあ、とか、そういうことで決まってしまう。
オマケに一旦決まると思考停止になるし、少なくとも日本では変更するのむっちゃ大変そうやし。
理由って、なんつか、なんかあった時に責められないように、じゃないかという気がしてしょうがない。
日本人の、無謬信仰と、腐ったマスコミは、怖いからな。
ここの基準値を決めるときの細かい数字の記載もあったが、その辺読み飛ばしても十分了解できる。
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リスク管理の3つの原則
・ゼロリスクに基づく基準値:その物質が一定量までは健康を害さない閾値がある場合
・受け入れられるリスクに基づく方法:生涯の発がん確率が10万人に1人以下などと定める方法。大気環境基準、水道水質基準などで用いられている。
・費用との兼ね合いで決める方法
食品中の一般生菌数が1gあたり1000万~1億個に達すると、味や見た目から腐敗が認められる。弁当や総菜は、加熱食品では1g当たりの上限値が10万個だが、非加熱食品では100万個まで認められている。保存できる期間に安全係数を掛けて消費期限や賞味期限が決められる。安全係数は0.7としている場合が多いが、農水省は2008年に食品ロスを削減する観点から、0.8以上を設定することを勧告した。日本では、賞味期限までの期間を製造業者、販売業者、消費者が3分の1ずつ分け合うという商慣習があり、これが廃棄される食品を増やす原因にもなっている。
アメリカでは、食品中の発がん性物質がどの程度までなら安全とみなすかについて何度も裁判が繰り返されるうちに、生涯でがんが生じる割合として受け入れられるレベルは、1万人に1人から100万人に1人の範囲に落ち着いた。がんの原因の3分の1は、普通の食品に天然に含まれている物質。
1993年に施行された水道水質基準値では、閾値がない発がん性物質については、WHOの飲料水質ガイドラインにならって、生涯発がん確率が10万人に1人のレベルで設定された。閾値があるホルムアルデヒド等では、動物実験で毒性影響がみられなかった量(NOAEL)に種差、人間の個人差それぞれに10倍ずつ合計100倍の不確実性係数を用いて、基準値が設定される。
化学物質の基準値には、環境基準型の基準値と残留農薬型の基準値の2種類があった。残留農薬型の基準値は、農薬のラベルに記された使用基準を守って使用していれば超えない範囲でできる限り低く設定される。この基準値を超えた場合、農家が農薬を適正に使用していないことを意味するが、健康リスクが発生することを意味するものではなかった。2003年の食品安全基本法制定時に、農業規範としての基準値が安全かどうかの基準値として統一されてしまった。
日本の大気汚染対策の対象は、SO2、NO2、PMと変遷した。1980年代までに、疾病の発症は工場排煙に起因するSO2を原因とすることが認められていた。1995年の西淀川公害訴訟判決によって、NO2と道路沿線住民の健康被害との因果関係認められたが、2000年の尼崎公害訴訟判決で否定され、ディーゼル排気微粒子などのPMによる健康被害が認められた。
生態系保全の視点からの化学物質の規制は、2002年のOECDによる勧告を受けて水質目標が導入された。
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農薬が~食品添加物が~!と騒ぐ前にぜひこの本を読んで頂きたい。
農薬・食品添加物の基準値がどうやって決められて、その値にどんな意味があるかを理解できます。
https://seisenudoku.seesaa.net/article/493210032.html