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投稿者:ヒロユキ - この投稿者のレビュー一覧を見る
そこまでコアな森博嗣ファンではないのですが、タイトルと表紙が魅力的だったので購入しました。
タイトル通り非常に実験的な内容で、あまり考えながら読むと頭が痛くなりそうなので気楽に読むのがいいと思います。
森博嗣の著作を全く知らなくても問題はないと思いますが、事前に『すべてがFになる』『封印再度』くらいは読んでおくと、少しだけ楽しみが増えるかもしれません。
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途中でお腹いっぱいに。笑
「途中で飽きたら読むのをやめればいいじゃない」と、森さんには言われそうだけれど、読み始めたら途中でやめたくない、どんなにつまらなくても読み切りたい! そうでないと気持ち悪い…ので読むのです。と返したら「じゃあ読めばいいね」って返してくれるのかな。
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何だか不思議な感覚。ページ毎に解かるような解からないような、面白いような、つまらないような。ツボにはまるところも有るけど???な所も有る。
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小説でも新書でもなくて、モヤモヤするための書物としか思えない文章さえ散見される。
でもカテゴリなんて意味はないと思うし、読むかどうかは読者の自由だから、きっとこの本の存在価値を見出す人はどこかにいるのだろう。
自分の思考の中のしこりというか蟠りみたいなものに気づけたので良かったと思っている。
久々に森博嗣に出会えたような気がする。
道端で可愛い犬に出逢ったかのような気分だった。
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昭和初期のシュルレアリスム的な匂いを感じた。現代の日本で当たり前のように使われ、そして看過されている言葉/記号/表現の本質について、まるで子供のように純粋な視線から描出しているのが素晴らしい。大人げないともいう。屁理屈とか難癖つける人はそもそも読まない筈。
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これはね、マジで面白かった!蟠り?というか、小説芸術創作の意図と受取側の期待とのギャップや矛盾を森博嗣流?につっこんでる。また森博嗣の創作態度をわかりやすく?感じられると思うw 俺は終始ニヤニヤしてたが、固定概念強い人は下らない本だって思うと思うw
まぁ実際下らないけどそれだけじゃないって。
本を読まない、勿論森博嗣全く知らない人に作中のタラちゃんのくだりを話したら「なんですかこれ、面白いですね!」って反応きた。
それホントにどーでもいいくだりなんですけどね。気になる人は後悔覚悟で読んでください。
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単行本が出版された時に、手に取って迷った末に買わなかったこの本『実験的経験 Experimental experience』が、文庫版で出たので購入。
本のジャンルを設定することに意味を感じなくなる本で、読めば読むほどタイトルの意味が身にしみる。
人に勧めるかと言ったら・・・勧めないけども、読んで楽しめたのは間違いない。
逆説的に提示される文章の構造や小説の形態の定義みたいなものを確認できた。
こんだけ縛られた条件で小説を読んでいたんだと痛感。
あとね、回収されない駄洒落があるんだけども、もしかしたら回収可能かもと思うと面白い。
ちりばめられた駄洒落の解釈が今後もネットで話題になるかもしれない(一部ファンの間で)。
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【内容(「BOOK」データベースより)】
小説であり、小説でない。ミステリィでもエッセィでも詩でもない。創作の可能性を無限に広げる、奇才・森博嗣の新たな境地がここにある。究極の読書体験が味わえる話題作、待望の文庫化!
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【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)】
森/博嗣
1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学の工学部助教授の傍ら1996年、『すべてがFになる』(講談社文庫)で第1回メフィスト賞を受賞し、衝撃デビュー
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「周辺というのは、近くという意味じゃありませんか?」
「地球の周辺にある衛星といえば?」
「月です」
「三十八万キロも離れているのに、周辺じゃないですか。だったら、地球上のどこでもロンドンの周辺になりませんか。嘘ではないでしょう?」
「あの辛い体験を彼女はすっかり忘れることができたって言うだろ」
「それ、忘れてないでしょう? 忘れたなら、辛いなんてわからないじゃん」
「あ、変だな。そうだよなぁ。忘れることができたなんて言うのは、つまり忘れてないからだよな」
「僕、思うんですけど、小説って、読んで何かを得たり、読んで心に残すものなんでしょうか? それって、教科書とか聖書みたいですね。」
『社会では、今回の事故で原発反対に回った方が多いことは知っています。それは、感情的には当然そうなるでしょう。しかし、今まで賛成して推進してきたものが、完全とはいえないまでも今までよりは安全になるのですから、私には今さら反対する理由が見つかりません。原発の安全性は、明らかに過去よりも将来の方が高いのですからね。この評価のどこが間違っているでしょうか?』
『こんな長閑な生活が続いているのは、いったい誰のおかげでしょうか。誰に感謝すれば良いでしょう? 少なくとも神様のおかげではありませんね。神様ならば、もっと救うべき人たちが沢山いるでしょうから。』
『エネルギィというのは、すなわち「価値」である。否、価値というものが、つまりエネルギィによって生産されるものだ、といった方がわかりやすい。もう少し単純な表現を試みるならば、エネルギィというのは金と交換ができる。それが「価値」だという意味、あるいは証拠である。』
『僕は長生きをしたいなんて思っていない。大病を早期発見したいなんて思わないのである。病気になったら死ねば良いではないか。苦しさは同じだろう。
生きていて痛くない間に、楽しもうと思っている。そういう生き方をしているのである。』
「あれだけの事故を起こしたのだから、原子力発電はもういらないという意見が多いと思います。先生はどのようにお考えでしょうか?」
「迷っています。でも、沢山の人が亡くなるような大事故が起きても、誰も鉄道を廃止しろとはいいませんね。どうしてでしょうか?」
「それは、鉄道がなくなったらもの凄く不便なのとになるからではないでしょうか」
「原発がなくなるとかなり不便になりますよ。地球温暖化の対策はどうするつもりでしょうか? この話は簡単には結論は出せないと思います」
「ある人物はある人物に対して、いつも同じ口調で、同じ代名詞を使わなければならないとか、そういう校閲みたいな、TVのディレクタみたいな、わかりやすい単純観念を捨てましょう。リアリティとは、すなわち複雑差でもあるのです」
「読解力という言葉も、よく使われますけれど、あれも不思議な表現ですね」
「漢字や平仮名の列を読んで、それを頭の中で言葉に展開できる、という意味だと思われます。当たり前のことですね。さて、『内容がない』と並んで有効な表現として、『言いたいことがわからない』もなかなか使い勝手が良いので、皆さん、もし作品が気に入らなかったときには、是非使ってみましょう」
「先生、『書いてあることがわからない』では駄目でしょうか?」
「いえ、いけません。それでは自分が馬鹿に見えます。あくまでも、作家の表現力が不足していることにしなければなりません。これは感想文の鉄則です」
『読者は、いつもと違う作品、自分が期待してなかった作風に出会うと、「この作家、どうしたの?」という言葉を発する。それに対する答は簡単だ、「自分の思うとおりにしたかっただけです。あなたの気持ちなどとは無関係に」。』
『どんな突飛な創作よりも、人間の思考、そして感覚はさらにはるかに突飛です。文字にすることわ言葉にすることで、既に大半の発想は失われ、輝きは鈍化します。皆さんが読まされているのは、死んだ発想なのです。創作者は、発想を殺して、文字にするのですから。
しかし、生きていたときの輝きを、どうか思い描いて下さい。死体を見ても、破壊された街を見ても、生きていたとき、活気があったときに思いを寄せることはできるはずです。土に埋まった化石や土器の欠片からも、原始の生態や太古の歴史を顧みることができるように。感性とは、この「想像」によって磨かれるし、その感性によってしか、創作の輝きを見ることはできないでしょう。』
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エッセイなのか、担当者との打ち合わせなのか、文体がコロコロ変わって読みづらい。感想としては中身の話に全く興味が持てず。
今までの著者の本も好きなものと嫌いなものがハッキリ別れていたが、これは後者の方が濃く出ており「あーそうそうこの感じが、ついていけないんだよな」と再認識した一冊。彼の実験の被験者にもなる気もなく、数ページで終了。
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森さんの本は初めてでした。弟に勧められた一冊。
最初はかぎかっこの位置やらなにやらでもめていて、何じゃこの本意味不明wとか思っていたけれど、読み進めて行くうちにリズムに乗せられてしまったようで、面白く読みました。なかなかこんな本かけないですよね。ミステリーを書いてて、頭の回転が速くて、客観的にみれるからこそ。
ミステリーも読んでみたいです。順番的にはどうなの、って感じですがw
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先生も書評サイトは知ってるみたいだし、こんな風に書かれたら、感想が書きづらいじゃないか。いや、別に褒めたって貶したって、一読者の感想に関心がないって心から思ってるのは伝わってきました。好きに書きましょう。
中盤まで駄洒落を楽しんでいたのですが、終盤できつくなってきました。人間、一定時間に許容できる駄洒落の量が決まっているのかもしれません。「兄測らんや」はないわー( ・´ー・`)
モーリィ先生とキョゴーク先生のご本を読むと頭の良さに圧倒されます。頭の良さに圧倒されたと錯覚しているだけの可能性もあります。
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どう受け止めるかは読み手次第。
まさに、実験的な読み物。
色んなパートで構成されているが、ほぼ共通しているのは作者、読者問わず小説に関わる者へ対する疑問、問いかけ。
今までの作家人生で色々と言われてきたであろうことに、回答ではなく著者独特のひねりが効いた一言を浴びせている。
これだけ達観するには、どうすればいいのか。
どんな子供時代でどんな親の育て方だったんだろうなと。
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こんな一面があったのか、と思わせるダジャレ、ギャグ、シュールな小説ともエッセイとも判別つかない。
後半は、チョイチョイ作者の文学観が披露されるな。
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まだ途中まで。駄洒落好きならオススメです。嫌いならオススメしませんw
意図的に小説のセオリーを踏み外した実験が多数。小説の読み方(書き方)を再考できる内容になっている。筒井康隆のような実験よりも、ショートショート(掌編小説)なのでとっつきやすい。
後半も楽しみ
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実験的経験
コント、ダイアローグ、パスティーシュ、エッセイ。
様々な完結しない断片が「パッチワーク」のようにひとつの章を
構成し、そこから十の章が成り立っています。
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案外インテリが読んでいるんですよ。今度、密室でインテリが殺されるミステリィを書きましょうか。タイトルは、『インテリ、入ってる?』とか。
また駄洒落じゃないですか。
(P17)
「ミステリィというのは、やはりワンアイデアものなのですか?」
「基本的にそうですね。いわゆるオチのあるもの、と言い換えても良いでしょう。どんなに複合的に多数のアイデアが盛り込まれていても、オチがあれば、それが突出してしまう。つまり、受け手にとって見える山はその一つになるわけです。」
(中略)
「まあとにかく、トリックやどんでん返しやオチというものが、馬鹿馬鹿しさを評価値の一つとして持っていることは否定できないのです。
(P104)
【タラちゃんのTシャツ】
タラちゃんのTシャツは、密室ミステリィである。
着るとき、どうやって頭を通したのだろうか。
(P147)
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とまどいを覚えなくもない貼り雑ぜ感とチョコレートアソートのような贅沢さ。
しかしミステリーの書き手であり大学の教員でもあった作者は
最後にひとつの解を提示してくれます。
最終章、朝の散歩のひとときを描いたパラフラフが雪の結晶のように端正で美しい。