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5人の方が死について書かれている。
石飛さん以外の方の書籍は読んだ事があったので
イメージ通りでした。
「平穏死」というもの。多分昔は当たり前だった事
それを、受け入れて見守る大切さを考えさせられました
でも、日本の今のシステムでは難しく
本人や家族の思う通りにはいけないのかもしれない。
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「死は盗人のようにやってくる」題名とは異なり宗教・医療等々で著名な5人の死生観が述べられている。共通するのは死をタブー視せずに身近なモノとして向き合う事。延命治療を止めて適当な所で死ぬ事。死は家族の問題が浮き彫りになる。病院ではなく家で死ね。
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2016年、21冊目です。
このタイトルと同じ書籍を読んだことがあります。
4人の著者の一人である大津秀一さんの終末期医療の現場経験に基づいて書かれた本だったと思います。確かテレビでも取り上げられていました。この本は大津さんに加えて、3人の著者が「死」に向き合うことについて書かれています。
渡辺和子さんは、「置かれたところで咲きなさい」の書籍が有名なノートルダム清心女学院の理事長です。一期一会を大切に生きることを書かれています。
著者の一人で「納棺夫日記」で有名な青木新門さんの死をもっと身近なもととして感じ、生活から遠ざけない生き方をしようと書かれています。現代人が死やそれにまつわる出来事から遠ざかって暮らしていけるような社会の仕組みになっています。
中世の諸行無常の観念は死を身近に感じた人たちの考え方だと改めて感じました。
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渡辺和子、大津秀一、石飛幸三、青木新門、山折哲雄諸氏の死生観でしょうか「人は死ぬとき何を思うのか」、2014.7発行です。一期一会の精神で人とつきあう(渡辺和子)行きたいところに行き、食べたいものを食べる(大津秀一)自然にまかせれば眠るように旅立つ(石飛幸三)現代の日本人には死生観が欠落している(山折哲雄)。69歳で病死した父は死ぬ少し前「母を頼む」と。99歳で死んだ母は眠るように旅立ったと聞きました。
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【気づき】
・渡辺和子
死と言う制限があるからこそ、限られた人生で自分は何をすべきか、何を大切にして生きるかを考えられるのです。p.21
・キリストも良い事しかしていないのに、弟子に裏切られ、群衆の罵詈雑言を浴びながら、十字架に磔になって無残な死を遂げている。p.25
→
良いことをすれば良い報いが起こるとも限らない。
どのような生き方をしようが、死に方をするか分からないから、こそ丁寧に生きる。
・石飛幸三
誤嚥性肺炎による飲み込む機能の低下自体が治らないため、病院としては胃ろうや経鼻胃管を勧めることになる。
しかしこれは別の問題を誘発することになる。
高齢者にとって、食道と胃の接合部分が逆流を防ぐ機能が低下していることが多く、万一ご縁性肺炎を起こしやすくなっている。
さらに、口から食べる時よりも唾液の量が少なくなるので、唾液による口内洗浄があまり行われず、そこから雑菌が繁殖し、気道感染を誘発しやすい。
高齢者が食べなくなる事は自然なことだが、点滴や胃ろうなどはそれに逆流する流れになっている。
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まちライブラリーで、石飛幸三さんの名に気づき、借りて読みました(笑い)。五名の方々が語る「死」そして、生き方、人生の意味、どの言葉も納得のいくものばかりでした。
生き物として、最後は枯れるように命をまっとうする。当たり前のことが当たり前にできない、今の日本、異常です(涙)。