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芥川賞受賞作。
とても読みやすい。
「作者は何を訴えたいのか」などという
問いを無視して読み進めたほうがいいのかも
しれない。
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毎日生活する場所に楽しみがあったなら。
そこに気付くかどうかは自分の意識次第。
そんなちょっとした楽しみのきっかけをくれるような作品。
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家という居住空間。
人が住むことによって、その「箱」がまとう空気感を空き家と空き家になって行く家、空き家から空き家でなくなる家の姿をとおして描く。
家という生活空間から漂ってくる生活臭に対する嗅覚が面白い。
狭い住宅地でひしめき合って住んでいる人間同士の、よそよそしさを残す絶妙な都会の距離感も面白い。
他人の変な趣味に異様さを感じつつ、その違和感を隠し見て見ぬふりをしながら、自分も首を突っ込んでしまうみたいな距離感。
ただ、作品自体にあまり特異な感じもしない。
柴崎さんらしい、軽妙な会話もあまりなく、インパクトをそれほど感じない。
これなら、「その街の今は」の方がよかったのではないかとも感じてしまう。
あっちは、新潮で、こっちは文芸春秋だから…などといらんことを考えてしまう。
家で、突然大怪我してしまうところとか、部屋がソファであふれてしまうところとか、なんか長嶋有さん的な面白さが感じられた。
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数時間でサラりと読破したものの、虚無感。
私には何も感情に響くものはなかった。。。
本の表紙の写真と謎めいた”水色の家”の描写に期待しつつ、ストーリーがなかった。残念。
xx賞とかの話題だけでは、けしていい本には出合えないんだなと。もっと色々な小説に出会わないとと痛感した。
なんとなく
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離婚したばかりの元美容師・太郎は、世田谷にある取り壊し寸前の古いアパートに引っ越してきた。あるとき、同じアパートに住む女が、塀を乗り越え、隣の家の敷地に侵入しようとしているのを目撃する。注意しようと呼び止めたところ、太郎は女から意外な動機を聞かされる……
「Amazon内容紹介」より一部抜粋
日常に潜む、ささやかな狂気.
ささやかな狂気なんてものがあるのか.ささやかかどうかは、ただそれが大々的に表に出ているか出ていないか、他人に影響を及ぼしているか否か、の違いか.
誰もがもつ、ささやかな執着、幻想.
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こう言った、何気ない(のか?)日常を書いた小説は好きだ。乱暴な言い方をすれば、何も起こらない、中身の無い小説が。その多くは、例えば空気感であったり、匂いであったり、景色であったり、およそ活字からは感じ取る事のできない感覚を刺激する力があるからだ。
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主人公の太郎が自分が住むアパートの近隣の水色の家をモデルとして撮られた写真集「春の庭」の存在を同アパートに住む西から知らされ、それを機に様々な思索に耽る日々の話。
雲の上にいる自分をはっきりイメージしたり、水色の家について考えたり、植物に巣食う虫について思いをはせたりする主人公の考えが端的ですっきりと描かれた文章だと思った。
作品を通して、自分の居場所というものを意識させられた気がした。
部屋に、家に、街に、都市に、国に、地球にと帰属意識を拡大、縮小されるような内容だったと思う。
でも、結局のところ個人的に自分はひとにだと思った。
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柴崎友香さんの作品は初めて読みましたが、
小説の中の、香り、景色、時が心地よくて
読みやすく、小説の世界に入って読んでいました
途中で、語り部が突然変わる部分があって
これは、ちょっと戸惑いましたが
すぐに慣れて、読むことができました
もう少しお話を続けて欲しいと思う形で終わり
この小説のこれからを、ぼーっと考えたり
わたしは、この小説、好きです
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大学生時代を、世田谷の住宅街のアパートで過ごした僕に響く設定でした。
世田谷線とか暗渠とか。
僕は心を休めたり、気分転換に本を開くのですが、
そこも実は大冒険や大恋愛や悲劇や哲学のインフレーションのストレス値の高い世界。
実は本作のような、現代版もののあはれ的な物語を心のどこかで求めていたのを感じました。
他作も読みたいです。
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普段、手にしない分野の本だが...芥川賞受賞ということと日経の書評をみて購入。ストーリーを楽しむには自分自身の感性が養われていないので難しかったが。主人公達の生い立ちが自分の生い立ちと重なる部分があり、何か懐かしい感じがして...そういったことでは楽しめたかな。たまにはこの分野も読んでみよう。
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水色の家を中心に、家の様子、周辺の状況が丁寧に描かれ、情景が目に浮かぶような文章でした。ただ…小説としては淡々としすぎて物足りない感じがしました。
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+++
第151回芥川賞受賞作。
行定勲監督によって映画化された『きょうのできごと』をはじめ、なにげない日常生活の中に、同時代の気分をあざやかに切り取ってきた、実力派・柴崎友香がさらにその手法を深化させた最新作。
離婚したばかりの元美容師・太郎は、世田谷にある取り壊し寸前の古いアパートに引っ越してきた。あるとき、同じアパートに住む女が、塀を乗り越え、隣の家の敷地に侵入しようとしているのを目撃する。注意しようと呼び止めたところ、太郎は女から意外な動機を聞かされる……
「街、路地、そして人々の暮らしが匂いをもって立体的に浮かび上がってくる」(宮本輝氏)など、選考委員の絶賛を浴びたみずみずしい感覚をお楽しみください。
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読者がいつの間にか物語の世界に入り込んで、登場人物のひとりとして物語の中で生きているような心地になるいつもの柴崎作品とはいささか趣が違う。日常を描いている点は同じだが、その日常は誰にも覚えのあるものというわけではなく、ちょっと不思議な夢をみているような日常なのである。日々の暮らしのわずかな隙間から夢の中をちらりとのぞきこんでいるような、現実離れした感覚もある。同じ場所に立って、その場の歴史が躰をすり抜けていくのを目を閉じてやり過ごすような、タイムトラベルのような感覚もある。それでいて、そのほかはいたって現実的なのも対照的で面白い。ラストで時間も人間関係もぽんと別次元に飛んで行くようなのも不思議である。なぜかどきどきしてしまう一冊である。
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第151回芥川賞受賞作品『春の庭/柴崎友香 著』を読みました。
話のあらすじは、離婚したばかりの元美容師・太郎が、世田谷にある取り壊し前の古いアパートに引っ越してきたところから始まります。太郎は、同じアパートに住む女性が堀を乗り越えて、隣の敷地に侵入しようとするのを目撃することとなります。
前回(150回)の芥川賞受賞作品『穴/小山田浩子 著』のような、主人公の深い悲しみや怒り、非日常的な事件が発生しない、ありきたりでそれとなく充実をしている日常を扱った秀作です。
昨今、人間関係の確執や暴力表現のを描く作品が多く、逆にあざとさを感じてしまうことが多くありました。個人的には、そういった作品よりも日常を丹念に描いて、物語に色彩や彩りを与えてくれる作品のほうが難しいのではないかと思います。
> アパートは、上から見ると“亅”の形になっている。太郎の部屋はその出っ張った部分の一階にある。
> 太郎は中庭に面した小窓を閉めようとして、二階の端、太郎からいちばん遠い部屋のベランダにある女の姿が、ちょうど目に入ったのだった。
著者の建物の造形へのこだわりがわかる文章ですが、後半を読んでも、このような詳細が物語に関わってこないので不思議です。
この物語の語り手である「太郎」は積極的に物語に関与していません……といいますか、ほとんど「太郎」が平日に何を食べどこに行きといった描写がなく、周りを眺めているだけの毎日を送っているように見えます。
どちらかというと物語を牽引するのは建物マニアの西さんという女性です。西さんは空き家に誰かが引っ越してきたことにより、家の色彩が変わったことを実感しています。
> 空き家があるときは停止していた時間が、動いていた。家の中に誰もいなかった一週間前と、
> 建物自体はまったく同じなのに、その場所の気配や色合いが一変していた。人がその中で生活しているというだけで、
> 急に、家自体が生き返ったみたいだった。
最終的に語り手は「太郎」から「太郎の姉(わたし)」にバトンタッチされます。
この作品において、語り手は主人公としての機能はなく、あくまで建物を中心とした風景を複数の登場人物がそれぞれの視点で語るという内容の物語です。こういった物語の描き方もあるのかという楽しい思いで読みました。
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単行本ではなく文藝春秋9月号で読んだ.太郎が住んでいるアパートの近くにある少し洒落た洋風の建物にまつわる物語だが、同じアパートの住人からその建物に以前住んでいたカップルが作成した写真集「春の庭」を見せられて話が展開する.アパートは二階建てで一階には辰巳午未室、二階には申酉戌亥室がある.太郎は亥室に居住しているが、近く取り壊されるので空部屋が多く、写真集の住人は辰室の西さん.巳室の住人とも交流がある.西さんはその洋風の建物に引っ越してきた森尾さんと親しくなり、念願の建物内部の観察が可能になった.太郎や西さんの生い立ちが語られながれ、現在進行する物語が展開する読み応えのある作品だ.
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Asian Reading
アジアの活読
芥川賞を読む
春の庭 柴崎友香 文藝春秋
みのかんで読了。今月号から表紙の紙質が光沢紙になってます。純文学だから微妙な起承転結ですが、ビューパレス サエキⅢの住人 太郎のお話。
選評は、石原慎太郎がいなくなって、総じておとなしくなってる印象。(時代か!?)