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柴崎友香、この人のエッセイが大阪弁でめっちゃ面白いし、芥川賞受賞の小説ということで読んでみた。
なかなか入っていけなかった。でも、いろんな人が絶賛してたしな…。
中盤で挫折しそうになったけど、なんとか読了。
主人公と同じコーポに住む西さんがあの洋館に興味しんしんの漫画家、途中性別がわからなくなったけど女性なんだよね…
その洋館に引っ越してきた森尾さんがつくる洋菓子がおいしそうだった。
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柴崎友香が芥川賞を獲った!?というので即購入したものの、本作を読む前に昔気に入ってた『きょうのできごと』を読み返したのは前回のお話。
『きょうのできごと』の再読後、あらためて本作を読んでみた。
単行本デビュー作だった『きょうのできごと』から14年の歳月は作者の文体に落ち着きをもたらせているようだ。
物語のメンバーの世代も20代から40代以上になり、前向きだけでは生きていけない人生の重みが加わっている。
物語は主人公が住む世田谷のアパートとその周辺の一区画の中で終始する。
この辺りのミニマリズムというか限定された空間の日常描写は作者らしさを感じる。3/4くらいまでは主人公太郎の視点で淡々と描かれていくが、残り1/4くらいのところで突如視点が主人公の姉の『わたし』に移り変わる。
『わたし』に視点が移ったところで、これまでの乾いた日常描写の文体が、方言も混じり生々しい描写へと変化する。
物語が生々しくなった時、本作の主な舞台である隣の家が写真集『春の庭』の中のレンズで切り取られた家から、生々しい人が住んでいた一つの家として脳裏に改めて刻まれる。
文字だけで綴る文体の妙にちょっとした感動を覚えた。
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1つの文の中で次々と文の語り手が変化していくのが不思議な感覚でしたが、それが自然と成り立っているのがもっと不思議でした。テレビでそのことが取り上げられていたのでそう思って読んでいたのですが、言われなければわからなかったかも。凄いテクニック!
ちなみに、登場人物たちがずっと1つの家に注目しているので、さすがに家の描写は美しいです。芸術作品のようで、ちょっと住んでみたいかもと思いました。
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文藝春秋で読んだ。 日々変わるゆく町と住人。家が生きている死んでいるという感覚、とても日常的に感じられる思いが伝わってくる。 大自然の中では当たり前の自然も、世田谷という土地の中でより際立って主張しているかのように思えた。
写真集を仲立ちに、現実から離れられる妄想。むしろ10代後半の将来もあやふやだった頃の妄想を確かめてしまってよいのだろうか? と読みながら思っていましたが、案の定立ち退き、引っ越しという過程で現実にひき戻ってくる感じがしました。
さらにもう一転、ラスト部分が撮影現場としての「春の庭」を描き、虚と現実が都会でクロスしている情景が面白かった。
主人公太郎の職場の友人、沼津とそのペット犬のチーター。どこからの発想なのか著者柴崎さんに興味を持ちました。
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綺麗な文章。一部
雪に覆われた街は、静かだった。雪でなくても、この街は静かなのかも知れなかった。時折、屋根や木の枝から雪が落ちる音が聞こえた。音が重さそのものだった。白い結晶の塊は、温度を吸い取っていった。家も木も電線もアスファルトも空気も夜も、温度が下がっていった。
村上龍
どの作品からも切実さが感じられなかった。この「生きづらい社会」で、伝えるべきこと、つまり、翻訳すべき無言の人々の思いが数多くあると思うのだが、どういうわけか、「不要な洗練」「趣味的」という二つの言葉が心印象として残った。
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淡々としている。最初は過去形の文章が読みにくかったけど慣れた。途中のお風呂場に行くと強く出るところから、ガラッと面白くなった。あとはするすると読める。話者がお姉さんに変わるところが少しわかりにくい。
でも、なんとなく暖かい感じがしてよかった。
2014.08.26
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綺麗で淡々と物語が進んでいくのに、2箇所ほど突如笑いの要素に雰囲気が変わり、面白過ぎて吹いてしまうほどです。今までの著者の中で、一番読みやすく、インパクトが効果的にあり、最後まで物語に引き込まれました。
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太郎がアパートの同居女性・西さんの影響で隣りの旧い屋敷の庭に魅せられていく姿がほのぼのとしたメルヘンのよう。とても懐かしい。このような屋敷が御影周辺やこれまで住んできた多くの町々に多くあっただけに目に浮かぶ。2度登場するスマホという言葉が出てこなければ、昭和40年代の設定だといっても不思議でない雰囲気。実は2014年の世田谷が舞台なのだ。アパートの住民「巳さん」、屋敷の森尾家の4人家族も全てが温かい。百日紅、梅、海棠(かいどう)の景色が写る「春の庭」写真集が象徴的で、読者に情景を想像させてくれる。そして屋敷のお風呂の写真を撮るための西さんの迫力の描写は凄い!としか言いようがない。最後に太郎の姉が大阪弁の語り手となり太郎を描写し、立体的に深めている物語の構造が斬新。
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文藝春秋にて読了。
「寝ても覚めても」であれだけこき下ろしたもののやはり受賞作は読んでおかねばと手に取った。するとどうだろう、まあまあどころかかなり、いやとてもいいのだ。
拒絶反応を示したコマ送りの文体が今回は滑らかな連続写真となっており彼女の拘る街の情景が瑞々しく映し出されている。
特徴的な一人語りもなく二人称、そして「わたし」姉目線へと転調して以降からのラストへの拡がりは街=究極の寄せ集め東京の箱庭を俯瞰するようなスケールの大きな仕上がりとなっている。
まさに受賞も納得、賞狙いの技巧などでなく柴崎友香の正常進化と思いたい、素直におめでとうございます
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そこに建つ家は変わらないのに、住む人によって家の何かがすっかり変わる。短い期間しか住まない家であっても、そこにいた事実は、くっきりと残る
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都内のアパートに住む太郎と同じアパートの住人、目の前に建つ古い一軒家、一軒家に住む住人。話の規模はこれくらいで成される。
太郎の目から見たことや感じたことがひとつひとつ細かく伝えられ、ひとつひとつをかみ締めて読んだだけ情景が細かく浮かんでくるような印象を持った。
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写真集・春の庭の中の情景は、何か懐かしさや、人が暮らす温もり、そして何故かちょっとの切なさが感じられるノスタルジックなものである。
西が春の庭の中の牛島タローと馬村かいこの暮らしを見ながら、いつか好きな人と暮らすこともいいななんて思っていたのに、ふたりは写真集を出した2年後に離婚していた。
時間が流れ、状況も変わっていくことにふと寂しさを感じた。
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2016年2月2日読了。不思議な読後感。「うん……、……。で?」とは思ったが、その感覚も心地よく思える。
何かが起きそうな雰囲気を醸し出しておきながら事件らしい事件は起きない。ただ、家について興味を持つうちに、街について、暮らす人々について、時代をさかのぼって考えるようになったり、虫の巣に自分を重ねてみたり、そうしてるうちに太郎の父(=家族)に対する想いも変化していったのかな……と。だからラストに姉視点で描かれるのかな、とか思ったり。
でも解釈は人それぞれで良い。まるで美術館でゆっくりと絵を観ているかのような気持ちにさせられる小説。主義主張から離れて、川や街や人、それらの日常をただ写しとったような物語なのに、飽きずにページをめくらせる筆力はすごいと思った。
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【日常風景の中にこそ、「世界の秘密」は潜んでいる!】あの水色の家の中を覗いてみたい――一人の女性の好奇心が、街に積もる時間と記憶の物語をひもといていく。鮮烈な文学のパノラマ。
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『アパートは、上から見ると”「”の形になっている』という一文について
僕には別に、さしたる問題も違和感も感じられないというか
どうでもよいことと思えるのだけど
「インザミソスープ」や「最後の家族」において
自他の区別がつかない日本人の社会性を批判してきた村上龍が
そのような俯瞰性、ある種のポストモダン性に異議を呈するというならば
それはむしろ作家としての誠実さであるようにも思う
「春の庭」はじっさい、「わたし」の妄想と他者の現実に
区別がつかなくなっているような小説だ
ただしそれは未成熟な自我のはたらきによるものでなく
空気を読むことに疲れ果てた人が
孤独に親しむため編み出した方法論、と言うべきだろう
子供をつくる気がないのなら、それもひとつの考えである