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ようやく読み終わりました。自慢にはなりませんが知らない事ばかりで時間がかかりました。それにしても石原元都知事が日米安保条約の反対運動していたとは知りませんでした。今では考えられませんけどね。
外交は国対国ではありますがその国を代表する個人との対話でもあり、より大きな目的のためにあえて双方が「核の持ち込み」を明確にしなかったことはよくわかりました。問題はその事を首相は知っていても大臣クラスはきちんと理解していなかったし国民も知らされてはいなかった事でしょうか。(まあ知っていたらまとまらなかったでしょうから意図的に省いたのでしょうが)まあ知らされていなかったというよりも知ろうとしなかったのか。その辺りは難しい所です。
この本の帯にある「なぜ国民は欺かれ続けるのか?」という問いに対する答えとしては国民自身が欺かれていたいから、という答えが一番しっくりくるかなあという気がします。
私は戦争は反対ですし自国の軍隊・設備投資を行う前に日本国民はきちんと敗戦の歴史を子供たちに教育した方が良いと思うしアジアの一国である日本として中国・韓国との関係をきちんとすることが先なのではないかと思っています。それでも今までの歴史を鑑みると簡単にはいかないだろうな、という事もよくわかります。いつまでもアメリカは居てくれない。だからこそ軍を整備するのでは緊張が高まるだけの気がするんですが。特に日本人はなぜか「日本の侵略はなかった」だの「日本人は被害者だ」みたいに公然と主張する若者が多いですし。
政治家というものは自分の信念で国の舵取りをしてよいものなのでしょうか?世論に負けて10年、20年先の日本の自立、自衛をどうするのか、という事を国民は無知蒙昧だから政治家だけの政治判断で決めて良いのか?だから密約があったとか追及されるんですよね。追及されなかったから言わなくても良いという問題じゃないし。
そこはやはりくどいぐらいに何度も何度も説明をし、国民が理解した上で決定すべき問題だと思います。
いくら今はインターネット上で情報を好きな時にアクセスできるからといって、説明責任は果たしている、知らされて無かったと後で言うのは怠慢だ、というのは違うのではないかな、と。
そして徹底した情報発信だけでなく受信を確認しない事には日本人はなぜか自分たちが「日本国民」であり、日本国の政治家の決定は日本国民の決定だと認識しないのではないかな、と思うのです。
戦後の日本の被害者意識もそうですがもう少し日本国民は国の決断は自分たちの総意であり、日本=自分なのだという意識を持った方が良いのではないだろうかと思うのです。だからこそ何か思い通りにならないことが起こった時には政治家の責任に棚上げし自分たちは無知で「政治家に」「官僚に」「国に」騙されていた無垢で哀れな被害者になってしまう。それでは結局何も変わらないではないか。
安直な愛国心は極論に走りやすい。
日本人はもう少しきちんと歴史を認識し、もう少し国際感覚を身に着けた方が良いのではなかろうか。そんな事を考えました。まあ自分もあまりきちんと知っている訳ではないのでその辺りは反省ですが。