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ナチスが権力を掌握するにあたっては、ヒトラーの演説力が大きな役割を果たした。
大衆の受容能力は非常に限定的で理解力は小さく、その分忘却力は大きい。もっとも単純な概念を1000回繰り返して初めて、大衆はその概念を記憶することができる。
その時々の聴衆の心に話かける。
群衆の心を動かす術を心得ている演説家は、感情に訴えるのであって、決して理情に訴えはしない。
ヒトラーの演説に力があったのは、聴衆からの信頼、聴衆との一体感があったからであった。
我が闘争、話される言葉の威力、マイクとラウドスピーカー、ラジオと映画、演説者のカリスマ性が刷り込まれた。
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25年間150万語に及ぶ演説のデータを分析した物。
意外だったのは政権をとってからのヒトラーは演説を面倒臭がってやらなかったということ。
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[妖惑の所以]熱狂的な身振りと扇情的な叫声、そして過激なレトリックに満ちているものと思われがちなヒトラーによる演説。国民を鼓舞し、「狂気」へと駆り立てていったとされる演説の実態はいかなるものであったかを、計量的なデータや音声や映像の記録をもとに検証した作品です。著者は、大阪外国語大学の教授などを歴任され、近現代のドイツ語史を専門とする高田博行。
ナチスやヒトラーに関する作品は数あれど、弁論術や言語データを利用しながらここまでその本質に迫った研究は珍しいのではないでしょうか。ヒトラーの歩みに合わせたドイツの歴史を縦軸に、言語論的な情報を横軸に据えながら、ヒトラーの演説が解き明かされていく様子は圧巻の一言です。
〜国民を鼓舞できないヒトラー演説、国民が異議を挟むヒトラー演説、そしてヒトラー自身がやる気をなくしたヒトラー演説。このようなヒトラー演説の真実が、われわれの持っているヒトラー演説のイメージと矛盾するとすれば、それはヒトラーをカリスマとして描くナチスドイツのプロパガンダに、八〇年以上も経った今なおわれわれが惑わされている証であろう。現在そして今後とも、われわれが政治家の演説を目にし耳にするときには、膨らまされた「パンの夢」に踊らされ熱狂している自分がいないかどうか、歴史に学んで冷静に判断できるわれわれでありたいと思う。〜
着眼点の勝利☆5つ
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張り上げた声、大袈裟なジェスチャー。演説するヒトラーに熱狂する
会場の人々。何故、人々はこれほどまでにヒトラーに熱狂し、支持を
したのか。
ヒトラーが行った節目節目の演説をつぶさに分析しているのかと思って
購入したのだが、さにあらん。
1919年10月のミュンヘンのビアホールで行われた初の公開演説から
地下壕で最期を迎えるまで。ヒトラーが行った演説で使われた言葉や
表現方法の変遷を年代順に追っている。
思っていた内容とは違ったけれど、これはこれで興味深かった。ヒトラー
と言えばやはりユダヤ人への弾圧を思い浮かべるのだけれど、一時期
の演説では「平和」という言葉が多用されていたなんて知らなかった。
元々、演説家としての天賦の才はあったのだろうな。それに磨きをかけ
たのがオペラ歌手による指導。声の出し方、抑揚のつけ方に加えて
効果的な身振り・手振りを教わって、聴覚ばかりか視覚までを惹きつけ
る演説に仕上がって行った。
しかし、熱烈なナチ支持者以外のドイツ国民は結構早い時期にヒトラーの
演説に飽きていたっていうのも知らなかったわ。
政権を手にしてラジオ放送を独占できるようになり、「全ドイツ国民は総統
の演説を聞かねばならぬ」となったのが原因か。会場で響き渡る声を耳に
し、言葉を印象付けるジェスチャーを目にしながら聞くのは状況が違う
ものな。
末期のヒトラーは既に得意だった演説をする気もなく、したとしても以前の
ように人々を惹きつけることもなくなった。それどころか、将校たちを前に
しての演説でも将校から皮肉を返される始末。
演説は天がヒトラーに与えた才能だったのだろうな。でも、それさえも用を
果たさなくなるのが独裁者の末路なのかも。
膨大な言葉のデータを集め、分析した著者の根気が凄いわ。巻末にいくつ
かの演説のドイツ語文で掲載されている。私がドイツ語を理解できれば
もっと面白く読めたんだろうな。
語学の才能も「ゼロ」の自分が恨めしい。
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ヒトラーの演説を、6つの期に分けて分析。
私たちが最もよく知るヒトラーの映像は、彼が最も勢いを持っていた時代のもの。
その後、政権を掌握し、政情が悪化するころには、聴衆の熱気は失われ、ヒトラー自身も演説の意欲を失っていたという。
歴史の舞台裏を見て驚愕する、一冊。
これを、歴史書ではなく、自分の仕事(スピーチやセミナーで人を動かす仕事)にしようと思ったので、「ビジネス実務」としました。
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仮定、対比、平行、交差、メタファー、誇張。
弁論術で扇動。
ビアホールでの演説から始まった熱狂コントロール。
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ヒトラー演説をデータ分析し頻出するワードを追う。ヒトラーは演説力が有名だが実は政権中期から飽きられてたことも分かる。ヒトラーは20世紀の神秘とも言える面があるのでデータ分析だけでは追いつけない。
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本来は言語学者として、ヒトラーの演説がなぜかくも聴衆を魅きつけえたかを、レトリックや構成の面から考察するのが本職だが、当然、歴史と、ときどきの時代情勢を下敷きにしないと分析にならないので、双方がバランスをとって書かれていて、とても読みやすい。かつ、抜群に面白い。
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その弁舌の才で新たな道を見いだした復員兵は、その弁舌の才に磨きをかけることで自らが率いる弱小政党を比較第一党にまで導くことが出来た。そして、政治的策謀と強引な力の行使で総統となることが出来たのだが、強制的にラジオで聴かされる演説にはもはやその魅力は失われ、また、いつまでも『パン』を与えられずに『パンの夢』を語るだけでは国家指導者としては国民に支持されることはもはや難しく、自らも聴衆の前に出て演説することが出来なくなっていった。
せっかくオペラ歌手に発声法やジェスチャーの効果的な使い方を学んでも、マイクの前で原稿を読むだけでは国民の心はもはや動かせなかったのである(もちろん、現実と演説の海里がどんどん大きくなっていったことも大きいのであろうが)
そして、ヒトラー演説の効力が著しく落ち込んでいったにもかかわらず、ゲッベルス宣伝相の『献身』『忠誠』がひるまなかったことも驚きであるし、目の前で演説する総統に対して、マンシュタイン元帥が野次っていたことも驚きである。
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結局、最後に勝つのはラジオでもネットワーク配信なのでもなく、目の前にいる人間とラウドスピーカーなのであるという現実。
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ヒトラーの演説の名手であることがわかる
持っていた才能と 努力の過程
ラジオや映画など 放送メディア分野で 残した作品も 多いのだろう
この研究成果は 日本人がしていることに驚く
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新書のボリュームでヒトラーの演説に焦点を当ててヒトラーを語った書籍。
ヒトラーについて何冊か読み込んでいる読者は物足りない部分もあるかもしれないが、ヒトラーの演説と言う非常にキャッチーなテーマを取り扱ったのは初学者にとって読みやすいと思った。
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著者はドイツ語史が専門の言語学者で、ヒトラーの演説に使用された語彙や文の形式や話し方(声の高さなど)といった言語的特徴を、政権を取るまでのナチ運動期の前半と後半、さらに政権を取ってから、でどのような特徴がみられるのか、その有意な差はどのような事情を反映しているのかを分析しているもの。ジェスチャーの分析もある。演説に焦点を当てながら、ヒトラーに対する国民感情の変化の歴史を探る。
コーパスを使ったりして分析をする部分は、もしかすると言語学のレポートや論文を書く時に、誰かのスピーチを題材にして真似できるかもしれない、と思った。ただこの本の面白さは正直、言葉の話の部分ではなく(実際のスピーチを映像で見たり聞いたりしながらこの本を読めばいいのだろうけど)、ヒトラーにそのようなスピーチをさせた背景を辿る部分で、これまでナチスやユダヤ人の本は何冊か読んできたけれども、思いもしなかった事実が色々あった。その大きなものは、政権を掌握してからは演説をあまりせず、国民も徐々にヒトラーの演説に飽きていったという第六章「聴衆を失った演説1939-45」の部分。つまり、自分たちが見るヒトラーの巧みな演説の映像、それに熱狂する聴衆というのは政権掌握前に終わってしまったという事実だった。「ヒトラー演説の絶頂期は、政権獲得に向けた国会選挙戦において全国五三か所で行った演説(一九三二年七月)であった」(p.26)ということらしい。むしろ戦時中の演説は「戦争終結がいつであるのか行間から読み取るという限りにおいて、国民の関心事であった」(同)ということで、政権掌握後はヒトラー演説は徐々に国民から疎まれる対象となっていったというのは意外だった。ちなみに「国民を鼓舞できた演説は、これが最後となった」(p.231)という演説は1941年1月31日らしく、「ヒトラーはこの日、珍しく気分が高揚していた」(p.230)ことによって可能になったらしい。というかこの本に描かれたヒトラーを見てみると、抑うつ傾向のある激情型という感じがするのだけれど、そういうことなのだろうか。
あとは気になった部分のメモ。ドイツの方言の話で、「北部と中部では、単語や音節のはじめで母音を発音する際、喉を緊張させて声門を閉じてから一気に息を解放することで発音され、その結果歯切れよく聞こえる。しかし、南ドイツでは、声門が閉じられずに発音されるため、穏やかな発音の仕方に聞こえるのである。」(p.55)というのは、全然聞いたことなかった。大学でドイツ語を第二外国語でやったけど、これは結構頻度が高いことだろうから重要な特徴だと思うのだけれど。そして本題のヒトラーの演説の特徴でいくつか納得できたのは、聴衆を納得させる演説の手法の部分。例えば「『仮定表現』の多さ」(p.23)という部分で、「事柄を都合よく仮定した上で、それを出発点に議論を進める」(同)という、最初の方で仮定された、という事実を忘れさせるこの議論の展開の仕方は、確かに聞かせたい話をするには効果的かもしれない。そして、「ヒトラーの選ぶ喩えは、聴衆の理解力に合わせた無骨なもので、文は息の長い構造をしていて、その終結部はわざとらしく強調されるか、または繰り返されるかのいずれかである。あたかも変更不可能な事実であるかのように、彼の見解が独裁者の確信として聴衆に投げつけられる。聴衆は、内容としては新しくないこの福音を拍手で受け入れる」(p.60)という、当時の報告書の一歩引いた分析も、納得した。あとは、要するに演説を含めた「プロパガンダ」がこの本で分析されるテーマなのだけれど、この「プロパガンダ」というのは「情報の送り手が用意周到に情報を組織的に統制して、特定のイデオロギーが受け入れられるように、受け手に対して働きかけること」(p.66)で、「プロパガンダの最終目的は、送り手が流す情報をあたかも自発的であるかのように受け手に受け入れさせることである」(同)というのは分かりやすい。そしてこれを巧みに行うことで、「無からパンを取り出す」(p.74)という、つまり「天国を地獄と思わせることができるし、逆に、極めてみじめな生活を天国と思わせることもできる」(p.75)ということだ。そう考えると、ネガティブな文脈で語られることの多い「ネットによる価値観の多様化」とか、独裁者が生まれにくいツールとしていいのかもしれない(ただそのネットを掌握すれば簡単に独裁者が生まれそうな気もする)。あとはヒトラーに演説の仕方を教えた人物というのがいるらしく、これは『わが教え子、ヒトラー』(p.127)という映画になっているらしい。これも見てみたい。
まとめとしては「ヒトラーの演説に力があったのは、聴衆からの信頼、聴衆との一体感があったから」(p.241)で、「演説内容と現実とが極限にまで大きく乖離し、弁論術は現実をせいぜい一瞬しか包み隠すことができない」(同)という部分が分かりやすい。そして、その一体感を奪っていったものは、もちろん現実の戦局が大きいのだけれども、メディアを駆使した故に、大衆が飽きてしまった(pp.260-1)という分析は、何とも皮肉なことだと思った。やっぱり「ここでこの時間しか聞けない」、「〇〇限定」みたいなことをやる方が、貴重さが増すというか、何冊か前に読んだ『バイアス事典』にあったように、逃すことに敏感な人間の性質に訴えることが効果的である一方、広く聞かせるために管理しなければならない、ただし管理すると反発観を覚えていくというバランスのとり方が難しいと思った。ヒトラーの演説についてと同時に、プロパガンダやネット時代のメディアについて考える本だった。(21/08/11)
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ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書) 新書 – 2014/6/24
2015年8月24日記述
高田博行氏による著作。
アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の演説データを集め分析を加えた上で
ナチ運動期、ナチス政権の勃興から終わりまでの変化を読み解いていく。
自分の知らないヒトラーの側面を知った思いがする。
私たちの抱くヒトラーのイメージは当時のナチスの狙い通りのイメージのままだ。
(ある意味ナチスのプロパガンダは優秀だったということだろう)
飛行機をチャーターし全国を遊説しまわった選挙活動というのは凄い。
今の時代でもある程度参考になりそうだ。
(当時は野党でありラジオ放送を使えなかった為)
併合や進軍の度の国民投票、住民投票。
国民投票、住民投票したからと言って必ずしも合理的、正しい解答を導くわけではない。
それにしてもナチスは選挙、住民投票しまくりだなと。
似たような独裁者のスターリン、毛沢東、ポルポトは
虐殺数こそ上かもしれない。
ただ選挙を経て世の中に登場してきた訳ではない。
時々日本の政治で相手を非難する際にヒトラーとなじることがある。
いつも独裁者と言えばヒトラーにしか例えることが出来ないのかと違和感を覚えていた。
スターリンや毛沢東、ポルポトもいるだろうと。
しかし他の独裁者とは決定的に違うのだ。登場してきた背景が。
(もちろん第二次大戦中でも総理大臣が絶えず交代した日本に今後も独裁者が君臨するとは思えないが・・)
ヒトラーは演説することができたというのは間違いのない事実で才能があったのだろう。
世間で言われるラジオがあったから熱狂が生まれたというのはある意味誤解なのだという点が意外であった。
ラジオ放送に向かって音声を吹き込んだヒトラー演説は聴衆へ語りかけた演説とは別物だった。
ゲッベルスも認めていたように生の演説、聴衆との一体感は大事なのだ。
ただ敗戦近くでは失敗したラジオに向かって吹き込む演説しか放送できなくなっていた。
それにしてもこれだけのヒトラー演説データを分析した事が凄い。
わが闘争、ゲッベルスの日記と本書の演説データからの分析によってより当時の実態がリアルに立体的に浮かび上がってきたように思う。
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・歴史的背景や世界情勢と共に、ヒットラーの残した演説から150万語分(速記されてたり、映像、音声で残っているもののみ)を、ナチスが与党になる前と与党になった後で分けて分析している
・どのような演説がされて、ヨーロッパを戦禍に巻き込んだのかが描かれていた
・ナチスが独裁していた頃も選挙結果だけ見れば、国民に望まれてたように見える。しかしナチスの資料には、党員ではない国民には「距離を置かれていた」又は「嫌われてた」ことが書かれていた
・ナチスの蛮行は全く支持できず、悪魔だと思う
・ヒットラーも独裁者として人間性は最悪だった
・しかし、演説家としてみると、群集心理学を学び、弁論術を学び、オペラ俳優から発声法・ジェスチャーの効果的な使い方等を学び、実践し問題点を改善し続け、最新技術を使いこなす、ある意味『勤勉』な姿が見える
・テロール教授の怪しい授業という漫画で、テロリストやカルト信者等凄く偏った考えを持つ人々が狂ってるが、一方で、合理的で最新技術に貪欲な勤勉さがあると説明されてたことを思いだした