紙の本
平和とは
2016/10/28 12:14
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投稿者:moririn - この投稿者のレビュー一覧を見る
通常被爆体験記だと思って、広島県民である以上読んでおこうと思ったのだが、この本は何かが違った。
平和とは何か・・・こんなむごい核兵器を使ってはダメだ、ということに力を入れた体験記ではなく、許す心を教えてくれる本である。
主人公の著者の父は壮絶な被爆体験をしながら、相手を憎まず許す心を教えてくれる。核兵器や戦争を反対して平和を訴えることとは違い、日常の人間関係からも許す心が大切なこと、なくすことは得ること、決してあきらめないこと等、絶望的な気持ちから前向きに生きる姿勢へと導いてくれる1冊である。そういう気持ちが平和への第一歩だと教えてくれるようである。
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1945年8月6日午前8時15分。忘れてはならない日のはずなのに…。
全国放送では平和記念式典の中継もほんの少し。
何の日か知らない人もたくさんいる。
広島では原爆について、戦争について繰り返して教育を受けた。日本中の人が同じだと思っていた。
この本は原爆投下から焼け野原の広島で生き残り生きてきた少年の話だ。彼の父親が実際に原爆資料館で見たあの懐中時計の持ち主だったなんて驚いた。
知らないことは怖いことだ。知ることで防げる争いはある。
戦争はいけん!絶対にいけん!
どんな理由があってもいけんのんじゃ!
改めて思った。
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1945年8月6日8時15分。朝を迎えたばかりの広島の町に、これまで経験したことのない爆風と衝撃が落とされました。全身大やけどを負いながら、父親に励まされ一命を取り留めた少年・進士の物語。著者の父親である進士さんの半生を描いたノンフィクション小説です。
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小学校で広島へ修学旅行へ行き、平和学習をする
小学生たちは
原爆はだめ
戦争はダメ
平和な世の中にしたい
と感想を持つ
この本を読んで、さらに許す心と共感について子どもたちに学んでほしいと思った
戦争をしなかったら平和なのか
いや、そうではない
身近な平和を守ってこその平和なのだと思う
以前、被爆者の方のインタビューを拝聴したとき
最後に
みなさん、ケンカはしないでください。仲良くしてください
とおっしゃっていた
まさにその通りである。
インターネットの発達に伴い、心もとない意見が飛び交い、それが当たり前になっている世の中
それはインターネットの中だけに止まらず、教室でも心もとない言葉が飛び交っている
お互いに許し、共感する心を大切にできるような平和学習をしていきたい。
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「戦争はいけん。」
22歳の私はこの言葉の真意をどこまで理解出来ていただろうか。これまで歴史で学んだこと、修学旅行で体験したこと、地元の美術館や資料館で見たものを全てと思い込み、表面上でしか分かっていなかった、と今更ながら気付かされた。
被爆を表す生々しい表現と、辛くても必死に生きようとする(それを笑いにさえ変える)父の強さに圧巻されっぱなしだった。
今の私には決してここまでの強さはないが、今後もきっと持ち得ることがないだろうと、自分の甘えた生き方が露呈された気がした。しかし、今後社会に出て、家族を持って、守るものが増えた時、自分は彼らに生きる希望や強さを与えられるだろうか。そんな「父」のようになりたいと思ったし、そのためには今以上に「筋の1本通った」生き方をしたいと思う。
これまで行く機会のなかった原爆資料館に足を運びこの本を手にしたが、この歳まで戦争の本当の愚かさを分かっていなかった私の二の舞にならないよう、少なくともこの本を自分の子供に何度も読ませることをここに誓いたい。
最後に。
現代の日本には核はなくとも、言葉で・態度で簡単に人を殺せてしまう時代である。いくら戦争を学んでも、自分たちのこととは区別して考えてしまう(重ねる、という思考にさえ至らない)。だからこそ、改めて「戦争」や「共感と許し」について考えていく必要があると強く思う。
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原爆の被害や当時の世相が、生々しくも読みやすく書かれている。かといって、被害や反戦を訴えたい本ではない。強く生きていくとはどういうことか。今の子どもたちにもおすすめの一冊。
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爆心地近くで被爆した少年の経験が赤裸々に語られる。
父の形見の懐中時計を国連本部に永久貸与した後、盗難に遭い、ろくに調査もしてもらえなかった話は憤りを感じたが、それさえも許すという姿勢に感銘を受けた。
平和は共感と許しから生まれるのだなと思った。