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最近、いっけん非力な概念を「力」と称して、ポジティブに反転させていく解釈のエッセイが多い。「老人力」にあやかったタイトルなのか。だが、読んでも得ることなし。巻末に堀田善衛との対談つき。
この人、よくエッセイ出しているが、小説のほうがおもしろいと思う。仏教用語とか博学なところを出しているが、哲学的な思索に深まっていない。
知らなかったけど、この方、在日だったのか。
カンサンジュンと同じで嫌味ではないのでキライではないが、不当に出版界で厚遇されすぎているきらいはある。
文学者ってくだらないとしか語らないな。
もっと実人生で苦労したらどうだろうか。
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人間は、群れをなす動物である。
都会には人が集中し、過疎地は、ますます住む人が少なくなる。
仕事人間が退職して、まず悩むのは付き合う人がガクンと減少することかもしれない。
孤独とは、できたら避けたいと誰しも思っているのではないか。
著者の五木氏は生まれてすぐ、朝鮮で暮し、戦後引き上げる。
転校が続き、比較的孤独を味わっている。
孤独でもいいでhないか、という著者のエッセイを集めたものである。
主にブッダ、親鸞、キリストの話がでてくる。
終章は「方丈記」について五木と堀田善衛の対話でおわっている。
図書館に予約して、半年後に順番が回ってきた。
人生について悩みながら、人生論を読みたいという人が大勢いるということでしょうか
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読み終わった瞬間「で?」っていう感想が思わず漏れる。
結論ありきで筆が進んでいる割には、とってもぼんやりしていて、同じ内容の繰り返しが続く。
期待していただけにがっかり。
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P86
しかし考えてみれば
家を出るのは
家庭が円満なのかどうかとか
関係ないのかもしれない。
そもそも家庭円満と
放浪の欲求は別なのだろう。
旅に病んで死ぬまで
放浪に衝かれた芭蕉は
別に家に不満があった
のではないだろう
P86
放浪と孤独は
家庭の幸福とは
別次元のものなのだろう
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P107
「悟り」というものは
一人のものなのであって
それをやさしく通俗化して
伝えることなんて
本当はできないのだという
孤独感と絶望感
P108
これで自分の思う通り
弟子たちに伝わったとか
世の中の人びとに
自分の考えを理解して
もらえただろうとか
そういう思いは
最後までなかったように思える。
だからブッダは、
孤独の中に最後まで生きていたと思う
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孤独に対する話から、宗教、最後には方丈記の著者、鴨長明の生き方について語られています。
前半の方が興味を惹かれる内容が多い気がする。
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五木寛之さんの著書、ブクログ登録は11冊目になります。
高齢の読者を対象にしているように感ずる著者の作品、わりと読んでいますね。
著者、五木寛之さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。
五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。早稲田大学露文科中退。
で、今回の作品、『孤独の力』に内容は、次のとおり。(コピペです)
五木寛之の畢生の書き下ろし。
生と死をみつめつづけた,五木寛之の人生論の総決算ともいうべき本。
近年とくに,老人の孤独死や,若者の,孤独を恐れての他人との結びつき願望が,マスコミでも多く取り上げられています。
しかし,「孤独」はまったく忌避されるべきものでしょうか。
どんな人も結局は一人で死に,それまで一人で生きていくことともいえます。
ならば,「孤独」を友として生きることはできないか。
いや,「孤独」こそが,生きる力になるのではないか。
五木寛之が自身の体験をベースにし,親鸞,西行,仏陀,そしてイエス・キリストの生涯から,「孤独に生きることの意味」を考えていきます。
ひとが誰でも直面する大きなテーマについて,五木寛之が考えた結論を,ぜひお読みください。
この本は、34ページまで読んで、終了としました。