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マリー・アントワネット 上 みんなのレビュー
- シュテファン・ツヴァイク (著), 中野 京子 (訳)
- 税込価格:660円(6pt)
- 出版社:KADOKAWA
- 発売日:2007/01/17
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2023/11/07 12:20
投稿元:
594
初版1932年、オーストリア
ツヴァイク,シュテファン
1881‐1942。オーストリア、ウィーン生まれ。ユダヤ系作家。20歳で発表した詩集『銀の弦』でリルケやデーメルから絶賛される。哲学、独・仏文学を修め、ウィーン大学卒業後はヨーロッパ、インド、アメリカなどを遍歴。国際的教養人としてロマン・ロランやヴェルハーレンら各国の文化人と親交を結んだ。30代半ばでザルツブルクに邸宅を構え、そこで短編小説集『アモク』、戯曲『ヴォルポーネ』、評伝『三人の巨匠』『デーモンとの闘争』、そして卓抜な手腕を発揮した伝記『ジョゼフ・フーシェ』『マリー・アントワネット』『メアリ・スチュアート』など、数々の傑作を生み出した。1934年、ナチス支配を逃れてイギリスに亡命。さらにNYを経てブラジルへ。国賓待遇を受け、評伝『バルザック』、自伝的エッセー『昨日の世界』を発表したが、1942年にリオ近郊ペトロポリスにて死去
彼女の手紙、彼女の生涯に深く立ち入ればわかるが、オーストリア帝室唯一の偉大な君主であるこの悲劇的な支配者は、ずっと以前から王冠を重荷に感じていた。彼女は果てしない辛苦を重ね、絶え間ない戦争にあけくれながら、政略結婚で構築した、ある意味、人工的なこの帝国を、プロイセンやトルコ、また東や西に対して応戦しつつ、統一国家として守り抜いてきたが、ようやく国が安定したかに見える今になって、気が 挫けそうになってくる。この尊敬すべき女性の胸に、妙な予感がきざす。持てる力と情熱の全てを傾けてきた帝国が、自分の後継者たちによって傾き、崩壊するのではないかとの予感した。
こうした絶え間ない監視のおかげで、最初の数年間は節度ない性格のマリー・アントワネットも、ひどい危険に陥ることはなかった。もうひとつの、もっと 強靱 な精神、広い視野を持つ偉大な母が、彼女のためを思ってくれたし、まじめで厳しい人間が、彼女の軽率さに監視の目を光らせてくれた。女帝はあまりに早く若い命を政略の犠牲にしてしまったことで、マリー・アントワネットに負い目を感じ、母としてできる限り手をつくして娘を守りたかったのだ。
しかし彼女は長の年月、ただの一度も庶民の家を訪問しないし、ただの一度も議会やアカデミーに列席せず、ただの一度も病院や市場へ出かけなかった。民衆の日常生活について、何か知ろうと思ったことも一度もない。マリー・アントワネットは、パリの一面でしかない、きらびやかで浮わついた狭い娯楽の場にのみとどまって、「 良き民衆」の熱狂的な挨拶に対しては、微笑んだり投げやりに応じればそれで十分と考えている。見よ、大衆はいつもうっとりして人垣を作り、貴族や富裕な商人たちさえ、劇場で彼女が桟敷席の手すりへ近づけば歓声をあげるではないか。
さて、芸術作品の評価能力という点ではマリー・アントワネットは、音楽であれ美術であれ、また文学についても、少しも傑出したところはなかった。彼女は一種生まれついての趣味は持っているが、決して自発的に吟味したものではなく、新しい流行なら何にでも飛びつき、みんなが認めたものに対しては 藁 が燃えあがるようにたちまち夢中になるといった、怠惰な好奇心にすぎない。本を読み通したことがなく、大事な話し合いのときにも逃げ出し方を知っているマリー・アントワネットは、芸術を真に鑑賞し、深く理解するため絶対必要な性格上の前提条件、つまり真剣さ、 畏怖、努力、思考力が欠けていた。芸術は彼女にとって生活の装飾以上のものではなく、多くの娯楽の中のひとつであり、ほんとうに味わうための努力は全くしたことがない。
音楽に対しても、他の芸術と同じく、投げやりな努力しかしてこなかったため、ウィーンで巨匠グルックにピアノを習ったというのに上達していない。クラヴサンの演奏も素人だし、内輪の集まりで女優として舞台に上ったり、歌手として歌ったが同じこと。同国人モーツァルトがパリに来ていることさえ全く気づかないほどの彼女が、『イフィジェニ』の新しさ、雄大さを理解するなど、当然ながら無理である。しかしマリア・テレジアがグルックを気にかけているのだし、彼女自身も、一見不機嫌だが本当は陽気で無骨なこの音楽家を面白がっている。その上パリではイタリアとフランスのオペラ劇団が、 密かに陰謀をめぐらせて「野蛮人」を拒んでいるので、この機会を利用して自分の力を試せるかもしれない。
ふだんの彼は、話すことより読んだり書いたりを好んだ。書物は口をきかないし、 急かさない。ルイ十六世は(信じられないだろうが)読書家である。歴史と地理に造詣が深く、すばらしい記憶力に支えられ、絶えず英語とラテン語に磨きをかけている。文書や宮廷録を、非の打ちどころなく整理している。毎晩彼は日記に、小さくて丸い、達筆といっていいほどのきれいな字で、日常のつまらない無味乾燥なできごとを(「鹿を六頭撃つ」「 浣腸 する」)つけているが、世界史の重要事件は気づかない。実に感動的なまでに気づかない。
マリー・アントワネットのおしゃべりは口だけで、頭は使わない。誰かに話しかけられても、気が散って飛び飛びにしか聞いていない。魅惑的な愛らしさと軽快なひらめきで会話してはいるが、どんな考えであろうと、まとめようとするなり、たちまち砕け散ってしまう。話していても、考えていても、読んでいても、最後まで行き着かない。何かに食いついて、そのほんとうの経験から意味や真髄をくみ上げることができない。だから本や公文書など、忍耐や注意力を必要とするまじめなものは苦手だし、どうしても書かなければならない手紙は、引き延ばした末に走り書きのような字でいやいや片づける。母親宛ての手紙にさえ、早く書き終えたいという気持ちがはっきり認められる。生活を煩わせるようなこと、頭を重くしたり、暗くしたり、 憂鬱にするようなことは願い下げだ。
どんな作家でも、この夫婦ほど極端に性格の違う者どうしを考えつくことはできないだろう。肉体の 末梢 神経、血のリズム、気質の揺れ方に至るまで、身体的特徴も性質も、マリー・アントワネットとルイ十六世は、測ったような好対照を示している。 彼は重く、彼女は軽く、彼は不器用、彼女はしなやか、彼は 黴臭く、彼女は泡立ち、彼は無神経、彼女はぴりぴり神経質。さらに精神状態はといえば、彼は優柔不断、彼女は即決しすぎ、彼はゆっくり考え、彼女は賛否をすぐ口にし、彼は信仰心あつく、彼女は現世の幸福優先、彼は内気で謙譲、彼女はコケティッシュで自信家、彼は倹約家、彼女は浪費家、彼は小事にこだわり、彼女は気が散りやすく、彼はまじめ過ぎ、彼女は羽目を外し、彼は 水嵩 の多い重い河、彼女はあぶくであり、さざめく波。彼が一番気楽さを感じるのはひとりでいるとき、彼女は大勢でにぎやかにしているとき、彼は動物的な鈍感さで大食し、強い酒を飲むが、彼女は酒に触れることもないし、小食のうえさっとすます。彼に不可欠なのは睡眠、彼女に不可欠なのはダンス、彼の世界は日中、彼女の世界は夜。
彼女にしてみても、気のおけない夫を笑いはするが悪意はない。一種、寛大な気持ちで彼を好いている。 唸りもしないし不機嫌にもならず、ちょっとの合図でおとなしく言うことをきく、大きなもじゃもじゃのセントバーナード犬みたいに、時には 撫でたりくすぐってやったりするというわけだ。長い間には彼女も、人の好いこの鈍物に腹を立てなくなってゆき、それどころか感謝するようになる。何といっても彼は彼女の気まぐれを許し、自分が歓迎されていないと察するとそっと身を引いてくれるし、予告なしに部屋へ入ってくることもない。倹約家だというのに彼女の借金は何度でも支払ってくれるし、ついには彼女が恋人を持っても許してくれる。
理想の夫だ。ルイ十六世との結婚が長くなるにつれマリー・アントワネットは、彼の弱点の裏にある尊重すべき性格に敬意をはらうようになる。外交政策で決められた結婚が、しだいにほんとうの同志意識、心の通じあう団結となってゆく。ともかく、少なくとも当時のおおかたの王侯結婚よりは、ずっと心の通じあう関係だ。
実際、どうしてこのふたりを怒ったり、裁いたりできるだろう? 彼らを告発した国民議会さえ、この「可哀そうな人」を暴君だの悪党だのと非難するのはひどく大変だった。このふたりには、どこを探ってもほんのわずかの悪意もなく、たいていの凡人と同じように、冷酷、残酷、野心、そして明白な虚栄心すら持っていなかった。しかし残念ながら、彼らの長所もまた市民的凡庸さを抜け出せない。律儀な善良、ずぼらな寛容、気分次第の親切。彼ら自身と同じ平凡な時代に生きていれば、尊敬を受け、立派な人と見なされたかもしれない。だがドラマティックな高まりの時代に、自らも同じように変化し心を高揚させてゆく、ということがマリー・アントワネットにもルイ十六世にもできなかった。彼らができたのは上品に死ぬことで、強くヒロイックに生きることではなかった。
ただの一度たりと彼女は、自分の無為な時間のうち一時間でも割いて、臣民を訪問したり臣民について考えたことはなく、庶民の家を訪れたことも一度もなかった。 貴族社会の外の現実は、彼女にとって事実上ないも同じなのだ。パリのオペラ座周辺には、貧困と不満が充満する巨大な都市が拡がっているという事実、 鴛鴦 だの太った白鳥や 孔雀 だのが遊ぶトリアノンの池の向こう、宮廷建築家が設計した小ぎれいで上品な見世物村の向こうには、現実の「小集落」があり、そこでは農家が崩れかかり、納屋はからっぽだという事実、金の 柵 で守られた庭園の外には、労働し、飢え、希望をもつ何百万もの民衆がいるという事実を、マリー・アントワネットは全く気づきもしなかった。
王��何度も命令を出し、全ての賭博行為を厳罰に処すと明言したが、王妃の仲間たちに無視される。警察は王妃のサロンへ踏み込めないからだ。王が金貨を積みあげた賭博台を許すつもりはなくても、軽薄な一党には何の効き目もない。彼の背中のすぐ後ろで賭けを続け、近づいたら合図するよう見張り役に言い含めておく。合図があればカードは魔法のようにテーブルの下へ消え、何ごともなく雑談が始まり、王が遠ざかればみんなで彼の実直さを笑い、勝負は続行される。 王妃は勝負を活発にし、賭場の上がりを多くするため、金を運んでくる者なら誰でも緑のテーブルへ近づくのを許した。詐欺師やペテン師がつめかけ、まもなく噂がひろがってゆく、王妃の仲間内ではいかさま賭博が行なわれていると。そんな噂に全く気づかない者がひとりいる。自分の満足に目が 眩み、知ろうともしないマリー・アントワネットだ。彼女がいったん夢中になると、誰も止められない。毎日毎日、朝の三時、四時、五時まで遊びまくり、一度など万聖節の祝日前夜に徹夜して、宮廷のスキャンダルになったことさえある。 またまたウィーンからのエコー。「賭博は疑いもなくもっとも危険な娯楽です。悪い仲間と悪い評判を引き寄せるからです……勝とうと熱中するあまり賭博の虜になり、正しく計算しているつもりでも、実は頭が働いていません。なぜなら勝負し続けていると、長い間にはけっきょく損をするからです。ですからお願いです、可愛い娘よ、そんな賭博熱は一気にふりはらっている。
マリー・アントワネットは生涯、ざっと小説類に目を通した以外、一冊も本を読み通したことはないという。
マリー・アントワネットが一度も『新エロイーズ』を読んでいないのは間違いない。ジャン・ジャック・ルソーのことも、せいぜい音楽小品『村の占師』の作曲家として知っていただけだろう。だがジャン・ジャック・ルソーの思想は、当時の空気の中に溶け込んでいる。公爵も侯爵も、この素朴さの聖なる番人に(私生活では堕落した男なのに)語りかけられたとたん、目を潤ませ、感謝するのだ。彼があらゆる刺激的手段の果てに、幸いにもなおまだ最後の興奮を、つまり素朴との戯れ、 無垢 の逆用、自然という仮装を、うまいこと考案してくれたからだ。当然マリー・アントワネットも「自然な」庭、無垢な風景、それもとびきり現代的で自然な庭園がほしいと思う。そこで当代きっての、もっとも洗練された芸術家たちを集め、あらゆる技巧を凝らして最高に自然な庭園を造らせることになった。
やがて王妃にはサッフォー 〔古代ギリシャの女性詩人。レスボス島で少女たちに詩を教えていたところから、同性愛者の代名詞となる〕の傾向があるとの噂がたつ。 「わたしには同性や恋人への過度の愛情があると思われています」と、マリー・アントワネットは、自分の感覚への自信に裏打ちされた率直さと明るさで、母親に書き送っていた。
マリー・アントワネットは見知らぬその人に近づき、めったに宮廷へあらわれないのはどうしてかと 訊ねる。体面を保つだけの資産がないからでございます、とポリニャック伯爵夫人は正直に答え、この率直さがまた王妃の気に入る。当時は財力のないのが最大の恥とされていたのに、包み隠さず感動的なまでに平気で言っ���のけるのは、この魅力的な女性のうちに清浄な魂が秘められているからに違いない! 長い間探し求めていた理想の女友だちは、この人ではないのだろうか。
この真の愛国的国民感情の持ち主たちが、しだいに激しく 憤懣 をぶつける相手は──もっともと言うしかないが──マリー・アントワネットだ。現実的決断のできない無能な王は──それは国中が知っている──支配者のうちに数えられていないので、唯一、王妃の影響力だけが全能である。だからマリー・アントワネットには、ほんとうならふたつの可能性があったはずだ。母親のように、真面目に勤勉に精力的に政治活動を行なうか、あるいは完全にそこから離れる。
オーストリア派はしきりに彼女を政治に引き入れようとしたが、無駄だった。なぜなら政務をつかさどったり政治に関与するには、毎日規則的に数時間書類を読まなければならないが、王妃は読むことが嫌いである。大臣たちの報告に耳を傾け熟慮しなければならないが、マリー・アントワネットは考えることが嫌いである。単に話を聴くというだけでも、彼女の浮わついた心にはひどい重圧になる。「王妃は何の話であっても、ほとんど聞いていません」とメルシ大使がウィーンへ苦情を訴える、「大事な問題についてご相談したり、重要事項へ関心を向けていただこうとしても、ほとんど不可能です。王妃の享楽欲の強さは不思議というしかありません。
しかし山ほどの例でみてきたように、マリー・アントワネットは書き物も印刷物もめったに注意して読まないし、読むとたちまち退屈してしまう。まじめにものを考えることも、彼女の流儀ではない。そこで彼女は、ベーマーがすでに退出してしまってからようやく、手紙を開く。彼女は──事実の経過について全く何も知らないのだから──この回りくどい手紙の意味がわからず、侍女に命じてベーマーを呼び戻し、説明させようとする。ところがあいにく宝石商はもう城を出てしまった。じゃあ、しかたがない、あのベーマーという愚か者が何を言いたいかは、いずれ自然にわかるでしょう! この次でいいわ、と王妃は思い、書き付けをすぐ火に投じてしまった。
今や続々と誹謗文書が発刊され、 卑猥 さと下品さはひどくなる一方だ。まもなく『王妃がふしだらな関係を結んだ人物のリスト』なるものまで出る。そこには三十四人の男女両性の名前が載っており、侯爵、俳優、従僕、王弟とその家臣、ポリニャック夫人、ランバール夫人、しまいには鞭打ちにあった街の 娼婦 を含む、「パリのレズビアン全員」とあっさりくくられた女たちもいた。だが巧みに刺激されたサロンや街角での意見によって、マリー・アントワネットの恋人として数えられた者たちの名前は、とうてい三十四人では収まらない。パリ中が、国中が、いったんひとりの女性にエロティックな幻想を持てば、それが女帝だろうと映画スターだろうと、また王妃だろうとオペラ歌手だろうと、時代のいかんを問わず、その女性に関するありとあらゆる放逸と倒錯を考え出し、隠れた官能にひたりながら、見せかけだけは憤慨し、夢のような 恍惚 を味わうのである。
これ以降、マリー・アントワネットとフェルゼンとの間に親密な、むしろ親密すぎる関係が始まったと見て、まず間違いはないだろう。もちろんフェルゼンはなお二年間、「いやいやながら」グスタフ王の旅行の際に副官としてお供しなければならないが、一七八五年からはフランスに定住することができた。この数年の間にマリー・アントワネットは激変する。首飾り事件はあまりに人を信じやすかった彼女を孤独にし、ものの本質を感じる力をもたらした。彼女は才気ばしってはいるが信用できない者、愉快だが人を裏切る者、 粋 だが 放蕩 者 といった騒がしいグループから離れた。これまで幻滅させられてきた心は、今やおおぜいの無価値な連中よりたったひとりの友を見ていた。みんなの憎悪を浴びて彼女は、やさしさ、信頼感、愛を求める気持ちが限りなく強くなっている。
ちょうど〈首飾り事件〉が不幸な決着を見せ、革命の 怒濤 の中、友人たちが次々マリー・アントワネットのもとから去ってゆくのに、ひとりフェルゼンが真の愛を示して 留まる、という箇所までである。このあと彼がどのように恋人を守ろうとするのか、読者の方々も後半への期待が高まったのではないだろうか(筆者は訳しながら、つい涙ぐんでしまった。)
シュテファン・ツヴァイクは一八八一年、ウィーンの裕福なユダヤ家庭に生まれた。早熟ぶりを示し、二十歳で発表した詩集『銀の弦』は、リルケやデーメルから絶賛されている。ウィーン大学で哲学博士号を取ったあとは、ヨーロッパ、インド、アメリカなどを旅行し、国際的教養人としてロマン・ロランなど各国の文化人たちと親交を結んだ。三十代半ばでザルツブルクに大邸宅を構え、個人としてはヨーロッパ一といわれる蔵書やコレクションをそろえたことでも知られる。
フェルゼンに愛された──この一点においてアントワネットの価値は決まったような気がする。もしフェルゼンとのことがなければ、凡庸で欠点だらけの彼女には大して魅力も感じられなかったのではないか。しかしフェルゼンがいた。この唯一至高の愛によって、もしかしたらアントワネットは「何ものか」であったかもしれないと、後世はロマンをかきたてられるのだ。そのフェルゼンが迎える、胸 抉られるような死……どうぞ下巻をお楽しみに。