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脳科学だけでなく、物理学、生物学、政治哲学まで幅広い分野を横断している素晴らしい書籍である。自由意思への解釈については、ネガティブなものからポジティブなものに変わった。時間をあけてもう一度じっくり読みたい。
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2日前、ノーベル医学生理学賞の発表がニュースになっていた。「脳内のGPS(衛星利用測位システム)」がどのように働くのかを解明したとして3人の研究者に授与すると発表した。それだけ、脳は人間にとってまだ、未知なる領域が残っている。
そんな脳に関して考えて行ったのが今回の本だ。脳とは何か、人間にとって脳はどういうものかを問い、解説している。
脳の配線に関して、脳を制御しているのは一つのものではなく、いろいろ張り巡らされていてかつ、物事を認知する能力を持つ脳は分担が決まっていて特定の領域で処理すると言う2重構造になっているそうだ。
そういえば、「脳は有り合わせで出来ている」と言うのを読んだことがある。本能に基づいて判断する「古い脳」に、今の人間が考えたり、行動するような複雑な「新しい脳」が重なる2重構造ならなっている。その影響で、食べ物を必要以上に蓄えようとして肥満になる人が出る。
脳の構造がもっと明らかになってくれば、今話題になっている「イスラム国」のような邪悪な集団に加担しようという誘惑にかられずに済むような研究が出てくる可能性が出てくるかも知れない。
http://www.sankei.com/life/news/141006/lif1410060055-n1.html
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読み物としては面白かったけど。。。一般公開講座(ギフォード講義)の講義録がもとになっているせいか、目新しい話がない。穏当というか、総花的というか、常識的な範疇を出ない。個人的には、自然科学における「創発」のイメージがちゃんと掴めていないことがわかった。
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この一冊〈わたし〉はどこにあるのか マイケル・S・ガザニガ著 脳機能の研究で探るヒトの特異性
2014/10/26付日本経済新聞 朝刊
ヒトは生物だろうか――馬鹿げた質問に思える。ならば訊(き)き直そう。ヒトは他の生物たちと同じ原理で動いているだろうか。
脳機能の研究にネズミやサルがよく用いられるのは、動物たちの振る舞いを知ることで、究極的にはヒトを知ることに繋(つな)がると期待しているからだ。ところが著者ガザニガはこの考えに否定的だ。彼によれば、ヒトは他の生物と決定的に異なる特別な存在なのだ。「神から選ばれし人類」という優生的な観点からではなく、科学的推論を経ての主張である。ポイントは脳のサイズにある。
脳が大きければ、神経細胞の結合にコストが嵩(かさ)む。遠くの神経細胞を繋ぐ配線材料やスペースに限りがあるため、結合相手の大半は近傍の細胞となる。この物理的制約の結果、ヒトの脳では情報処理プロセスが各局所で独自に行われる多次元的並行処理がメインとなる。これが自尊心や社会性や道徳性など、ヒト特有の思考癖を生む遠因となる。だから「ネズミを調べたところでヒトは理解できない」というわけだ。
たとえば、ヒトは擬人化を好む。ペットを見て「甘えたがっている」「恥ずかしがっている」と感じる。動物たちがヒトに似た「心」を持つ保証はないにもかかわらず、つい擬人化してしまうのは、ヒトの脳が「そうデザインされている」からだ。つまりヒトは、ヒトを相手とするよう、生まれながらに神経配線された社会性生物なのだ。
自分自身についても同様だ。私たちは自分を自由な存在だと信じている。しかし脳に自由意思があるという証拠はない。周囲の環境からの絶え間ない影響の中で自動的に生み出された感情や行動を、ヒトは「私の意思だ」と堂々と錯覚している。
自由でありたいと願う気持ちは理解できる。しかし著者は「その自由とは何からの自由なのか」と問いかける。「まさか人生経験から自由になりたいわけではあるまい」と。
意思の所在が曖昧となると、個人の責任の所在も曖昧になる。犯罪は裁けるのか、脳のスキャンデータは法廷証拠として使ってよいか――これが本書のクライマックスだ。
このところ同分野の類書が連続して3冊出た。アントニオ・ダマシオの『自己が心にやってくる』(早川書房)、クリストフ・コッホの『意識をめぐる冒険』(岩波書店)、そして本書である。いずれ劣らぬ名著だ。ぜひ三者三様の差異を比べていただきたい。あなたは誰派だろうか。
原題=Who’s in Charge?
(藤井留美訳、紀伊国屋書店・2000円)
▼著者は39年生まれ。米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授。著書に『脳のなかの倫理』『人間らしさとはなにか?』など。
《評》東京大学教授 池谷 裕二
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とても興味を惹かれる分野、久々に「ユーザーイリュージョン」につながる話に出会えた。興味深く読んだが、ときどき細かいレベルで話(文)のつながりがわかりにくかったのは、自分がバカなのか原著の展開の癖なのか翻訳の問題か。
翻訳は専門知識のある方が手がけた感があって堅実だが、ときどき訳語選択に疑問がある箇所あり。論文などでは通用する言い回しなのかもしれないけど英語っぽいのでは?というような。
最後の章は、使命感から扱ったテーマなのだろうか、大事な話とは思うけれど、少し密度が下がったかな。気のせいか、訳文も駆け足っぽくなった気がした。
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自分の本棚のラインナップの偏りが凄まじいなとふと気が付きました。
それでも好きな本しか読みませんけどね。
科学の進歩によって、人間の身体的機能や役割、作用が次々と明らかになっている。
わたしたちが日頃当然のように行っている人生のあらゆる判断はそうした機能の一部分であって、自由意思など存在しない、という考え方をあなたはどう思うだろうか。
気まぐれで選んだいつもと違う帰り道、久々にあった友人と急遽行くことになったランチ、悩みに悩んで決めた靴の色さえも、自身の体―――もっと言えば自身の脳が選ぶべくして選んだ「決められたこと」だったのか。
スコットランドの有名大学が共同で実施している自然科学講義『ギフォード講義』で、筆者が実際に行った連続講義が待望の書籍化。
思考の隙を突く鋭い考察が小気味よいテンポで展開されています。
提示される疑問の中枢は、タイトル通り「『わたし』を司るものは一体何で、どこにあるのか」。
人間の身体に関する研究が進展し続けている現在も、未だに人間の精神に関する明確なロジックが唱えられてはいません。
しかし筆者は、車のハンドルの部品を仔細に観察しても交通渋滞の予測ができないように、脳の構造を研究したからといって人間の精神の在り様はわからないと語ります。
「私たちは人間であって、脳ではない。」
ブックカバーに書かれたこの言葉がすべてなのだと感じました。
訳者あとがきもいかしてました。
わくわくして読める素敵な一冊です。
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てんかん治療を目的として右脳と左脳を繋ぐ脳梁を切断した分離脳患者を対象に様々な実験を行っている著者が、いわゆる右脳と左脳の働きの違いを明らかにするとともに脳の分散処理について説き、その分散処理された結果を取りまとめるのは左脳であり、後付けで合理的に説明するプロセスとしてインタープリター名づけている。ここでも『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』前野隆司著と同じように自分の意思ではなく結果を意思と錯覚しているという受動意識説で我々の脳と意識を説明している。また、人間は社会的であるとして、社会的な脳についても1/3程ページを割いており犯罪と刑罰についての論考など考えるとグルグルしてしまいます。
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終盤は間主観性みたいな話になっていた。前半は脳科学の有名な実験がメインだったけど,途中からガザニガの膨大な知識と先行研究の紹介に加え,遺伝や法律,司法の話が縦横無尽に入り乱れてとても難しく理解できないことが多かった。読了までにエラい時間がかかった。
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昔習ってそう面白くも思わなかった分離脳がこんなに面白いものだったなんて。最後まで失速せずあらゆる分野を巻き込んだ台風のような講義。
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メンインブラックで描かれる「病院に搬送された人 間の顔をあけると出てくる『小さい宇宙人』」。わ れわれの中には同様にホムンクルスがいて、会いたい人との待ち合わせ日時や食べたいもののある店をどれにするか決定しているのか。
脳は、体と独立した器官なのだろうか。我々はどの ように意思決定を下すのだろうか。これに「脳は他の器官同様」であり、意思決定は、認識したものと 認識したものの間隙をイメージする(作話する)能力の総合であるとする立場から展開される一冊。
法制度における脳科学の位置づけが特に印象的でし た。
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物理的に動く一種の装置であるという決定論的人間観に対して、別の視点を示す。人生で得られる経験が精神システムに強い影響を及ぼし、脳と精神の相互作用が意識される現実を生み出している。
スピリチュアルに逃避するのではなく、脳や神経科学の延長に、意識が存在することを示す。
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タイトル通りで「自由意思」に関する本。この手の本は色々読んでいるので内容的には既に聞いた話が多く、今回の本に関してはあまり目新しさはなかった。それでもこのテーマの本はやっぱり面白いですね。
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認知神経学の研究者、ガザニガのギフォード講義を元にまとめられた一冊。
原題は"Who is in charge?" 人が人たるのは何ゆえか?人の頭の中にホルムンクスが存在するのか、人には完全な自由意志があるのか、それとも脳内の物質的な反応のみに全てが帰結するのか。
ガザニガの結論は「ひとつの脳を見ていても何もわからない」。何故なら人と人との関係の中にしか人間の選択と行動は存在しないのだから。
認知神経学の最新の研究成果を期待していると若干肩透かしをくらう結論だ。
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http://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB16495694
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名前からはわかりにくいが、脳科学の立場で意思決定から法的責任までを考える本である。近代的自我なるものは各個人が論理的に物事を考えられることを前提にしているが、実は案外周囲の環境で左右されていて、その前提が怪しいというのは考えさせられる。結局脳科学で分析できることよりも、人間相互の関係の中で決まる部分が多いらしい。この辺のことはよく言われる話だが、一番面白かったのは最後。精神喪失や精神耗弱の疑いがある人をどのように裁くか、そして脳科学はどのように関われるか。脳のスキャンで嘘本当や責任能力を見抜けるわけではない。結局相互の関係による部分が大きいという結論に達しているのは示唆的である。