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高度な知能を持つとされているソラリスの海。惑星ソラリスに到着してから主人公に降りかかる奇妙な現象。最初は得体の知れない不気味さがあって読んでてとてもワクワクしました。しかし物語が進むにつれそんなワクワク感も薄れていきました。主人公が対峙した怪異は自殺してしまった妻が再び現れるといったもので彼女はいったい何者なのか、なぜ現れたのかを調べはじめます。しかし中盤以降は序盤のホラー要素は何処へ、恋愛色が強くなります。またこれが淡々と語られていくので個人的には非常に淡白な印象を受けました。前に読んだ江國香織さんの「冷静と情熱の間」を読んだときと似たような思いです。(僕自身経験があまり無いのでこういった文章の良さを感じ取るには及ばないといった状態です)
要は未知の惑星でのありえない現象の元での大人な恋愛ストーリーといった感じです。最初ホラー色が強かったのとそれに期待してしまったためこの展開は拍子抜けしてしまいましたが、もちろんソラリスという架空の惑星の風景や海の描写など細かく書かれており、想像力も書き立てられますからそういった意味ではとてもSFらしいものでした。ですが惑星ソラリスの風景や海の描写、ソラリスについての研究者たちの文献などが長く、物語自体があまり進まない印象です。
はじめから、冒険物SFではなく未知の世界での不思議で切ない恋愛物という観点で読んでいたら、あるいわ大人な感じ(?)の恋愛物の良さを感じ取れるほど成熟していればまた違った感想になったのかなと思いました。
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難しいことはよく分からないが、宇宙船でずっとハリーと仲良く暮らせば良いのにと思った。それが本物のハリーじゃなくてもいいんじゃないかな?
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十年以来の再読。未知の知的生命体を理解することを主題に置いて、人間の矮小さを描いたSF。
とにかくすんごく読みにくい、僕の頭では意味を理解するのに時間がかかった箇所も少なくなかった。けれど、汲めるところも少なくなかったかな。意思伝達のドッヂボールっぷりにイラつきつつも、まぁこうなるわなぁと納得してしまう節もあったり。まあでもそりゃそうだよね、初めて邂逅した知的生命体との交流が、友好的であったり敵対的であったりするのは、価値観やものの見方、とらえ方が共有されてないと成立すらしないんだから、海と研究者たちが色々と噛み合わないのは全然おかしくない。ストーリー性偏重では絶対に気付かない視点だよね。根気がある人は読んでみるといいんじゃないかな。
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SOLARIS(1961年、ポーランド)。
スタニスワフ・レムの代表作。ジャンルとしては「ファースト・コンタクトもの」に属する。つまり、地球人と地球外生物の「初めての接触」について書いたもので、SF小説のテーマとしては至極オーソドックスなものである。にもかかわらず、『ソラリス』は数ある同種の作品の中で、ひときわ異彩を放つ作品としてSF史にその名をとどめている。
作者曰く、『ソラリス』以外の作品において、ファースト・コンタクトの結果は突きつめれば以下の3つのパターンに帰着するものであった。
1)地球人と地球外生物が共存的な関係を築くもの。
2)地球人と地球外生物が対立し、地球人が勝利するもの。
3)地球人と地球外生物が対立し、地球外生物が勝利するもの。
…多少の不正確さを承知で例を挙げると、映画『E.T』やホーガンの『星を継ぐもの』は1に、映画『エイリアン』やブラッドベリの『火星年代記』は2に、映画『猿の惑星』や光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』は3に、それぞれ分類されるだろう。異色のファースト・コンタクトものとして外せない作品にクラークの『幼年期の終り』があるが、これも1の変形バージョンと見なすことができるだろう。
バラエティ豊かにみえる上記の作品群は、しかし暗黙の了解のうちに1つの共通ルールを常識として採用している。「知的生命体同士は意思疎通が可能である」という常識である。意思疎通がとれなければ友好関係も敵対関係も結びようがなく、文字通りお話にならない。ゆえにSFでは自動翻訳機なりテレパシーなりを小道具として導入するわけだが、そこには「テクニカルな面さえクリアすれば知的生命体同士の意思疎通は可能なはず」という思い込みがある。
『ソラリス』において問題提起されるのは、まさにその点である。「知的生命体は人間との意思疎通が可能である」というなら、裏返せば「人間との意思疎通が不可能なら知的生命体ではない」ということになるが、それは真理だろうか。一体、私達人間の「意思」なるものは、宇宙に存在する全ての知性を評価する尺度として使用できるほど、普遍的なものなのだろうか。私達は無意識のうちに、またも無邪気な人間中心主義に陥っているのではないか。人間には原理的に認識不可能な知性というものも、この世には存在しうるのではないか。そもそも「知性」とは何か、また「意思」とは何か。
この問題は、哲学や脳科学、精神医学、生物学、そして神学にまで関係するものだろうが、きりがないのでここでは深入りしない。ひとつだけ確かなのは、「常識から飛躍して、どれだけ純粋に〈思考のための思考〉をすることができるか」をSFの醍醐味と考える読者に対して、『ソラリス』は間違いなく豊饒な時間を提供してくれるだろう、ということだ。発表から約半世紀たった今でも色褪せることのない傑作である。
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惑星ソラリスに存在する生きた海、そんな未知なるものとの遭遇が主題となるわけだが、そもそも私たちはどれだけのものを「既知」としているのだろうか。例え家族や恋人であってもその人の事を完全に理解するのは不可能であり、どれだけ愛せども私が愛しているのは所詮「私の中のあなた」という観念に過ぎない。しかし、例えそれを理解したとしても、それでも人が他人に触れようとする行為が無くなる事は決して無いのだろう。そう、例え理解できないとしても接触しようとする―そして届かない。そんな反転した感情のカタルシスがここに刻まれている。
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20世紀SFを代表するポーランドの作家スタニスワフ・レム(1921-2006)の不朽の名作と云われる、1961年。アンドレイ・タルコフスキーによる映画『惑星ソラリス』(1972年)などの原作としても知られる。
人間は、人間的なるものの類比=アナロジーという方法論以外で以て「未知なる他者」を理解することは可能なのか。 そもそも「未知なる他者」を理解するとは如何なる情況を指すのか。更には「未知なる他者」との関係性は理解する・理解しようとするという機制以外に在り得ないのか。
『ソラリス』は数多ある既存のファーストコンタクトSFに見られるあらゆる人間中心主義(「擬人主義」)的な紋切型――「われわれは人間以外の誰も求めていない。われわれには地球以外の別の世界など必要ない。われわれに必要なのは自分をうつす鏡だけだ。他の世界など、どうしていいのかわれわれにはわからない。われわれには自分の地球だけで充分だ」「われわれは・・・・・・われわれはありふれた存在だ。・・・。そして自分の平凡さが非常に広く通用することを誇りにし、その平凡さのうつわの中に宇宙のすべてのものを収容できると思っている。・・・。しかし、別の世界とはいったいなんだろう? われわれがかれらを征服するか、かれらがわれわれを征服するかのどちらかで、それ以外のことは何も考えていなかった・・・」――を超越したと云われ、哲学的SFの傑作と評価されている。にも拘らず、本作に於いてなお残存しているドグマがある。それを一言で云うなら【出会われる未知なる存在は他者である】ということだ。
ソラリスの海は【他者】たり得るか。然り、ソラリスの海は【他者】である。なんとなれば、「・・・ソラリスの海は一種の数学的言語のようなものによって話をしているらしい・・・」則ち、ソラリスの海は【言語(個物の概念化作用)】を有しているのだ、ひいては【理性】を有していることになる。たとえその形態が人類のそれと如何に隔たったものであろうとも。作中に於いてソラリスの海はしばしば生命体に擬えられてもいる。全ての【他者】は"人間同士と同程度の相互理解"の可能性に開かれている。そうであればこそ、「理解不可能である」ということも可能なのである。
しかし、【非-他者】に対しては「理解不可能である」という機制自体が不可能なのであろうか。他者/非‐他者とは何か、そしてそれが理解可能であるとはそもそも如何なる事態なのか。問いはまだまだ広がりをみせるのか。或いはこれが【他者】とのコンタクトの極北・論理的限界なのか。
地球から遠く離れた惑星ソラリスの海が映し出してみたものが、実は人間自身の内部にある深淵そのものだった。これは、他者理解の可能性の問題について、極めて示唆的だ。
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タルコフスキーの「惑星ソラリス」の原作ということで読んでみた。凄く面白くて一気に読んでしまった。
ソラリスという星に広がる広大な海は一つの生命体であり人類にとっては初の地球外生命体との接触。いわいるファーストコンタクトもののSFというのはよくあるが、このソラリスは人類からすれば全くの未知。人類の理解ははるかに超える存在として登場する。この小説が様々なSF小説の中でも異彩をはなっているのはその未知っぷりがずば抜けているからではないかと思う。
さらに、ソラリスに降り立った主人公の前に現れるのは死に別れた妻。人間の無意識に触れることができるソラリスが作り出した存在。この無意識との対話がとても哲学的でただのSF小説でない感じがしてとても楽しめた。傑作です。
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設定はSFに分類されると思うが、結局は愛から生じる問題。
映画の方がよりクリスのハリーに対する愛が浮き彫りになっていて分かりやすかったかな。
クリス自身は、ハリーの人格のみを有するニュートリノ物質を確かに愛していた。しかし、それは肉体的な面から言うと人間ではない。人格のみをコピーした別の物質である。はじめはクリスも抵抗があったものの、ハリーを愛し、それが人間であるかどうかは当人とって次第にどうでもよくなってきている。本当にハリーを愛していた。
しかしながら、ハリーはクリスとは逆で、自らが人間ではない異様な物質で構成されていることを恐ろしく思い、より人間に近づく思考ができるようになってからは、自分のその特異な形態を前提に思考し、判断を下すようになる。それによって、彼女はクリスと距離を置いていく。そして、消滅する。
クリスはハリーを求めて、彼女の出現する可能性がゼロとは言い切れないこの惑星ソラリスで今後も生きていく。
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再読。これって、スワンプマン(or哲学的ゾンビ)の話だったのか。初見は一体ヒューマンドラマなのか惑星探検記なのかわからなかったけど、ソラリスの分身のサリーを実際のサリーのスワンプマンとした思考実験SFと見るのが良さそう。
そう考えて読むと、サリー(偽)は主人公にとっては、元のサリーの代替物か、または別の個人としてか、とにかく愛情の対象になったわけだけど、サリー(偽)自身は自分をサリーとは認められず、自分を愛せずに自死してしまうというのが面白い。人間は正体不明のものに愛情をそそげるが、自分自身がその立場になるのには耐えられないのか。スワンプマンの話って、スワンプマンは人間か? ってことは議論されるけど、スワンプマンがスワンプマンであることを自覚したら? という考え方はあんまりなかったと思うので、そういう新しい見方の一例にもなるかも。
ただ、ソラリスの海は残酷なので、サリー(偽)自体が意思を持っていたかどうかもわからない。主人公から抜き取った人間の思考傾向の投影かもしれない。サリー(偽)がスワンプマンであり哲学的ゾンビであれば、自分が偽物であることをほんとうの意味では自覚しないだろうし・・・
余談だけど、アシモフ「鋼鉄都市」のシリーズに「はだかの太陽」という本があって、そこにソラリアという惑星の話が出てくる。「ソラリス」は名前が似てるので、なんとなく「はだかの太陽」のような惑星間の異文化の話だという先入観を持っていたんだけど、全然違った。
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名作だが暗い
表紙 6点稲蔭 正彦
展開 7点1961年著作
文章 6点
内容 650点
合計 669点
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とっても幻想的なSF。あくまで淡々と物語が進んでいく中で、じんわりと緊張感や恐怖、感動が伝わってくる雰囲気が本当に良かった。
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タルコフスキー版の「惑星ソラリス」のチラシを学生の頃部屋の壁に貼ってたけど、映画自体を観たことは無かった。もちろん原作にも初めて触れた。こういう物語だったのか。
頭があまり働かない時に読んでしまって後悔。抽象的な事があまり理解できず。海の描写とソラリス学の歴史についてのくだりが長くて少し眠くなったりしたが(大事なとこなのにな……)、先が気になる感じで最後まで読み通せた。ハリーがかわいそうだな。
うーん、もう一度読まないと駄目なようだ。
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ファーストコンタクトものの名作。『砂漠の惑星』『エデン』と本作で三部作(?)のようになっているらしい……が、『エデン』は品切れ。残念。まぁそのうち復刊される……かな? してくださいw
映画化が2度あったのも頷ける、映像映えしそうな内容。『海』を映画にすると迫力がありそうだな〜。
筋立てとしてはメロドラマではあるが、SFとしては思考実験に分類されるのかな。登場人物同士の議論が楽しい。
『砂漠の惑星』と本作を続けて読んで思ったのだが、どちらも人間と野生動物の関係に似ているような気がする。あちらさんとしては人間のことなんか特に気にしてないんだよ〜的な何かを感じた。
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オールタイムベストSFとか本屋で見かけたので借りてみました。
確かに面白いというか興味深い。所謂テンプレの地球外知的生命体と人類の出会いとは全然違う作品。そしてこれが大分前に書かれた作品というのが面白い。
でもある意味人間は同じ脊椎動物とはなんとなく意志の疎通が出来ているような気がしていますがきちんと分かり合っているかと言われると難しい気もするし。昆虫とか植物も組織構造とかは研究されているけれども生物としてコミュニケーションが取れるかと言われると取れないし。そもそも知的だとか知的でないとかどこで線引きするんだろうとか考えだすとSFって奥が深いなあと思うのです。設定や想像力を働かせて世界を一つ作り上げるってのは大変な作業だろうなあと。読んでいるだけの自分はそれにケチを付けたりしながら読んでいるのだからいい気なものだなあとは思います。
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言わずと知れた名作SFなのだが。
存外読むのが負担だったし、読みきったあとも、それで?というすっきりしない感じ。
そもそも、ソラリスの海が一種の生命体であることが当初から判明しているのは意外だった。それを前提に、予想外の事態が起き、というか、やっぱりお互い理解できないんだよね、ということなのだが、読んでるこっちもやっぱり理解できない。何が起きてるかすら。
少なくとも、私はこういう話は好きではない。