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噛むほどに味の出る予感がするが、いっぺん読んだだけなのでまだ何とも言えない。
日本とドイツが第二次大戦で勝った世界で、さらにその逆の日本とドイツが負けた世界を描いた小説が出版されている、というのが面白いところ。
アメリカ人のチルダン氏の、日本人の梶浦夫妻に対する屈折した感情と態度が印象的だった。
ジュリアナのぶっ飛び具合が何とも…
日本以外の人が日本人を描くと、何とも言えないおかしさがあって…
何とも言えない感想ばっかだな。
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歴史改変もの(第二次世界大戦でドイツ=ヒトラーが勝利したら)を読もうと思って読んだ一冊。
この作者の本と言えば「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を、というか、それすらも映画「ブレードランナー」を見た折に買ったものの読んでいないという状態。
というわけで、あくまで映画「ブレードランナー」を基本にした感想だが、まず一番に思ったのは「東洋趣味」。物語の重要な位置を占めるのは「易経」・・・そんなもので人生の選択を決めてよいのか?!西洋人の到達する「オリエンタリズム」「禅」などの領域には辿り着けそうにない現代日本人の自分を感じた。
また全体の印象も憂鬱で悲観的、どんよりと曇った雰囲気がかの映画の色調を思い起こさせる。パンクな女性柔道家の存在もアンドロイドの女性戦士プリスに似ている。
日本やドイツが勝利した世界で逆の世界を小説に書いた男=高い城の男が最終的に得た回答は「どっちでも変わらない」という結論。これまた、「胡蝶の夢」を思わせるようだ。
最も好きなシーン→占領される側であるアメリカ人の古美術屋チルダンが日本人の価値観に迎合せずにアメリカの現代アートを育てようと決断するシーンが印象的だった。
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歴史改変ものだけど、あっと驚く種明かし的なのはなくて、なんだかよくわからなかったぜ!面白かったけどね。それは世界観とかじゃなくて、登場人物の魅力かな。
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1963年度ヒューゴー賞である
SFファンには「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」で有名な作家である。映画ファンには「マイノリティ・リポート」「ペイチェック」「トータル・リコール」「ブレードランナー」が彼の作品であることを認識すべきだろう。特に「ブレードランナー」は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を下敷きに作られた作品なのだから。
この「高い城の男」は、第二次世界大戦でドイツ・日本が勝った後の時代を背景に、ドイツ・日本が負けた虚構の小説を軸として描かれた作品である。二重に入り組んだフィクションである。高い城の男とはその虚構小説作家であるがその登場は最後の最後%E
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我々とは違う時間を歩む世界の物語を、時折めまいを覚えながら読み進め、時折現れる易経の描写に我に返る。逃れられぬ焦りのようなものを感じつつ登場人物たちは歩みを進める。
そしてジュリアナは振り返らない、フリンクの元にも戻らないだろう…。
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SFって結構派手な展開のイメージがあったけどこれは割と地味だった。でもその分じわじわとくる感じ。
とりあえず作者日本と中国をごっちゃにしてるでしょ。
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第二次大戦で枢軸国が勝った世界線で、流行るのは「もしアメリカとイギリスが勝っていたら?」という小説。
実にディック長編らしい作品。破綻指数は低めですけどね。
風変わりな世界で、その世界での営みを描いてる辺りがディックっぽい。
アンティークショップを営んでいるおっちゃんが好きです。
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登場人物が多いので最初は少し入りにくかったけれど、中盤からの展開にグイグイ引き込まれた。
人は一見自己の判断で動き他の人や世界を動かしているように見えるが、全ては予め定められている。
八卦の答え=真実
この作品中の八卦はただの占いではなく、おそらく神の様な存在なのだろう。
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「もし第2次大戦の勝利と敗北が逆転していたら・・・」というifストーリーのSF物語。オムニバス形式で物語は進み、「敗戦国」のアメリカ人や「勝利国」の日本人、ドイツ人が登場。
八卦占いをはじめとする道教の登場の仕方はなかなか面白い。
本当のところ、単なるifストーリーでもないんだよね。
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第二次世界大戦で枢軸国側が勝利し、ドイツと日本が二分支配している世界。日本が支配しているアメリカ西側では、枢軸国側が破れた逆転の歴史世界を描いた小説が密かに流行していた。ドイツと日本の間にも覇権争いの不穏な空気が流れる中、小説の作者に会うため旅を始める女、歴史的民芸品の偽物を作って生計を立てているその元夫、盟主たる日本人相手にその偽物を売る古美術商などが、それぞれの思惑を抱えながら歴史の渦中に飲み込まれて行く・・・
いわゆる「歴史改変」をネタとしている、という点では明らかにSFなわけですが、この作品において、SFとしてのバックグラウンドはあまり重要ではありません。むしろ、この風変わりな世界の中で右往左往する登場人物たちが繰り広げる様々な人間ドラマをじっくり堪能するタイプの作品。話の途中にいくつかの事件が発生しますが、世界を揺るがすような「実にSFらしい」大仕掛けは全く登場しません。ラストを締めるオチもありません。登場人物たちにも、スーパーマンはひとりも居ません。誰もが脛に傷もつ卑屈な小市民に過ぎません。かーなり地味ですヽ( ´ー`)ノ
割と歴史改変ものSFには派手な演出の作品が多いような気がするんですが、敢えてソチラ方向に持って行かずに、歴史の中の個々人を丁寧に描き出すことに腐心した、ディックの狙い目は何だったんだろうなぁ。鴨的には感情移入できるような登場人物がひとりも居なくて、結局最後まで入り込めずに読了してしまったのですが、いつかあの世でディックに聞いてみたいです。
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ディック作品の魅力は人物の活写、それも市井の小人物の描出の妙にある。【高い城の男】はディック作品でも屈指の登場人物の多さを誇るが、それぞれの生き様がリアルに彫り込まれていて、権力者も権力に翻弄される側も魅力に溢れていて飽きさせない。その立場の違う登場人物達が「易」をツールとして世界の真理に触れようとするダイナミズムは、この作家のヒューマニティを強く感じさせる。
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PK dickなら、僕はradio free europeとか、そこらへんのほうが好き。途中に出てくるアメリカの民芸否定みたいなエピソードは、ひょうげものっぽくってとてもよい。すごい論理。
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SF作家といえば、まずはPKディックの名が頭に浮かぶ。
それは、初めて読んだSF小説がPKディック著『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』(なんとズバ抜けたタイトルか)だっただけではない。
Science Fictionに抱くイメージは(その定義が変遷し、膨大なジャンルを抱えるからこそ)、自分自身の中でも多種多様であるが、SF小説が帯する独特の幻想性について言及した場合、PKディックのそれが最も波長が合う。
そして、SF小説に魅了される理由は、この独特の幻想性によるところが強い。だからこそ、SF小説といえば彼の名前がまっ先に思い浮かぶのだ。
個人のモノローグはさておいて、
ニューウェーブSFの鬼才フィリップ・K・ディックが放つ1963年ヒューゴー最優秀長篇賞受賞の当著は、ドイツと日本が第二次世界大戦を勝ち抜いた世界を舞台に、鬱積した憤懣、蠢く陰謀…不安定な社会で息苦しくも生きる人々をただ”単調”に記している。
これまで読んだ彼の作品の中でも、本書がとりわけ特徴的なのが、とにかく物語の大半を登場人物のモノローグが占めることであり、上に挙げたPKディック特有の幻想性が抑えられていることである。
そういう意味で、少し物足りなさを感じたのだが、日本人ならばきっと興味を持つであろうIFストーリーに興味をそそられずにはいられませんでした。
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再読。
あーやっぱりオモシロい。
個人的には、まったく関係のない人たちがある一点において交わる。その一瞬にだけ誕生する奇跡や悲劇、というのがこの作品の主題だと思っている。まぁ違うのかも知れないけど。その主題は、ある意味では、僕らの生きている人生にも通じる重大なテーマだと思う。
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それぞれ全く違う生活を営む登場人物たちが、後半に行くにしたがって少しずつ関わりを持っていく過程が上手い。ほんの些細な関わりでも、大きなズレを生んでいく。
歴史改変ものの話の中で、歴史改変ものの小説が流行っている、というところが面白いなぁと思った。
登場人物が多く、把握に少し手こずった。また再読して整理したい。