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ディストピア文学の傑作とか現代文学の最高峰とかやたらと評価の高い作品だけに期待するものは大きかったのだが…つい先日お亡くなりになられた津島佑子さんの「ヤマネコドーム」と同様に私の読書力ではいまひとつ理解に苦しむ結果となった。
現代詩には馴染みがないわけでもなく言わんとすることはわからぬではない、しかしこのテーマに限って言えば「どこを向いている?」と思ってしまうのだ。
これだけの感性があり言葉を縦横無尽に操る才に恵まれた人たちなのだからこんなときこそもっと視線を下げて欲しい、そこにいる私たちのために
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ものすごく不吉な小説だ。すべての編で、原発の爆発のために国土が汚染され、廃墟と化した”日本”の姿が浮かび上がる。
表題『献灯使』は、老人は放射能で死ねない体となり、若者は食べることさえ危険を伴う体になっている。かといって、食べなければ死ぬのだから、どちらにしても待つものは”死”ということか。
一世代の人間の人生の間に、人間の在りようがこんなに変化してしまう、というのは、どういうことだろう? その急激さと、変化の大きさ。
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表紙の、なんだっけ?なんかとんでもなく動かない鳥、名前忘れた、の画があまりに衝撃的で思わず手にとってしまった。
作中にも何枚か、動物の画がはさんであるんだが、
ストーリーに直接関係してはいないものの、その存在感たるや、なにか訴えてくるものがあって、すごい。
内容は、少々、状況が飲みこめるまでに時間がかかる。
とはいうものの、汚染だとか、鎖国だとか、原発事故後のなにかを思わせる言葉が散らばっていて、
実際、その後の外からの描写により、それは正しいのだと分かる。
死ぬことができなくなった100歳をかるく越えていく老人たちと、生まれた時からあらゆる機能に障害をもっているこどもたち。
ところが、こどもたちの方の感覚がどうも独特でそう悲劇的ではない。とはいうものの、失われたものの大きさが
それゆえにじわじわと、まるで別世界のようになった事故後から感じられる。
ここまで徹底的に設定を作りこんでいると
一種のファンタジーのようにも読める。
けれど、ただ楽しいファンタジーじゃない。
創作ってゆーのはこーゆーことなのかもなあ。
筆で闘うってゆーのはこーゆーことなのかもなあ、と思う。
いやあ、なんだかすごいものを読んでしまった。
ちょっぴり疲れたが、読めてよかった。
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ドイツの話はでてこなかったけれども、未来の話で、日本が原発の事故で壊滅してからのような書き方である。
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全米図書賞の翻訳小説部門を受賞したとの報を聞いて読んだ。何とも不思議な物語、100歳過ぎの死ねない世代のひい祖父さん義郎とすべての子供が保育環境の庇護が必要な世代の曾孫の無名2人が暮らす時代は自国が抱える問題が世界中に広がらないように各々が自国で解決する時代。つまり鎖国時代となり日本では外国語ご法度でいっぱい言葉遊びが出てくる。何故にそんな時代になったかは明確に書かれていないけど大地震と原発がベースにあることを思わせる。ほかの四短編も地震と原発が縦糸の作品です。ハッピー好きな国アメリカで受賞したことも興味深いですね♪
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薄皮が剥がれるように明かされていく社会の現状。妙に生々しくて、不思議な説得力があり、面白かった。ときどきはっきり顔を覗かせるファンタジーの風味も、よい味付けになっていたと思う。
ただ、収録されている他の短編が、この小説の土台というにはあまりにも強引すぎる話の持っていきかたで、献灯使で味わった感動が薄れてしまったのが残念。献灯使だけの単独の本のほうがよかったのでは?
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ディストピア文学の傑作!なんて言われてたりしたから自分のアンテナにひっかかっていたこの本。初読みの作家さんの作品を手に取ることによって自分の底上げを図る。ずっと読書してるからか、好みの作家さんの文体以外が頭に入りにくくなっている気がする。
震災後の日本はまさしく陸の孤島になり、本当の意味での鎖国になってしまった。外来語も禁止され、国が民営化された日本。信用していいのかガイガーカウンター。死を奪われた老人の段階により若い老人、普通の老人、古い老人と分けられ、弱く儚い若者を介護する世界…皮肉たっぷりな社会派作品。
ラストの「動物たちのバベル」が面白かった。結局地球上から害悪である人間がいなくなったとしても、動物たちが同じ霊長類に進化を遂げるというなんとも言えない未来。なんとなく良書な匂いがしていたが、私の嗅覚に間違いはなかった。
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日本の未来に起こりうるかもしれないディストピア小説。
もしくは、誰かが見た夢の話か。
今の日本を揶揄するような、シニカルでペーソス溢れる。
詩人でもあるからか、言葉遊びやひとつひとつを
比喩される文体が私は美しいと思う。
多和田氏の紡がられる世界観に絡めとられた。
地球は丸い、でも世界は丸くない。
無名は、神に捧げる供物となるのか、神の子になるのか。「不死の島」は「献灯使」の世界を遠い異国から語る。
連作短編集の趣き。
読み返す度に感じる心が揺れるような作品だ。
他の作品も読んでみたい作家に、新年早々出会えた。
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全米図書賞を受賞したと聞いて、改めて読んでみる。
日本語ネイティブなら読むのは楽しいが、これを訳すってすごいな、勇気あるな、と思った。多和田さんの作品は言葉遊びや字面に関連した表現が多いから、アルファベットを使ってこれをどう表現したのか。むりやりアルファベット表現に変えたのか(可能か?登場人物の名前はどうするのか)、注釈だらけなのか、英訳された本が見てみたい。
ディストピア小説と言われるが、多和田さんの作品は絶望的な状況を描きながら(そしてそれは非常にリアルなのだが)、どこか明るさと言うか、救いがある。
震災の頃、ドイツで日本のニュース映像を見ただろうと思う。国内では流せないような映像も流れたと聞く。外国で祖国のそのような映像を見たとき、実際には感じず、行くこともできないのだから、その焦燥が想像力と一体となってこの作品を生んだのかもしれない。
多和田さんの作品を読むと、ああ、日本語ネイティブで良かった、これを原文で読めて、と思うのだが、これもそうだった。
義郎は「蓼」という字を書く度に、文字を書くことの喜びに引き戻された。爪で樹木の外皮をななめに引っ掻く猫科の動物になったつもりで、ゆっくりとこの字を書いた。p66、67
イチジクは「無」という漢字で始まるはず。足のついた牢屋みたいな「無」という字で。p175
サービス・ポイントって言うでしょう。サービスというのは、無料奉仕、つまり奴隷です。ポイントをもらわないと損するという気持ちの奴隷になり、ポイントのもらえないことは何もやらなくなって、自由を失うんです。p242
不眠症であることの方が、会社に勤めていることより健康かもしれない。そんな気がしてきたので不眠症に専念することにしました。p249
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原発の事故によってディストピア化した日本が舞台の表題作ほか同様の設定の4編。
アメリカで受賞したのにあまり話題にならなかったのは、かなり痛烈な政治批判があるからだろう。今の政権にこれを受け入れる度量はなさそうだ。
設定もさることながら、著者の言葉のリズム、語感の生かし方、言葉遊びのセンスには独特なものがあり、好き嫌いはあるかもしれない。わたしは、とても気に入った。特に「韋駄天どこまでも」は、テーマは重いのに、漢字を分解して話を作るなんて遊び心がうきうきさせる。
多和田葉子さんの名前や短いエッセイには触れたことがあったが、作品を読んだのは初めて。他の作品も読んでみたい。
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大震災を契機に起きてしまった原発爆発事故。
真実を伝えない事業者と国家。
事故に対する不安は、国内のみならず世界に拡散された。
事実を伝えない報道を超えて、海外に住む日本の詩人は想像の翼を広げた。そこに描き出されたのは、世界からケガレとして封じ込められた日本の姿。
着々と再稼働を進める政府、電力会社。
そして、第ニ、第三の原発事故が起きた後の世界は、おそらくこの作者が想像した世界。それも、被害が少なく日本が生き残った場合の。
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中編1編,短編4編
放射能汚染後の世界の有様を,病弱な子供と死なない老人という切り口で,鎖国状態の日本を描写している.そこはかと忍び寄るありえるかもしれない未来に,ゾッとしながら読んだ.短編「韋駄天どこまでも」もそうだが,言葉の発声や意味を駆使して遊んでいるかのような文章が,面白かった.装幀挿画がとてもいい感じだった.
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多和田葉子は、ベルリン在住歴の作家・詩人である。日本語だけでなく、ドイツ語でも著作を行う。各国語の翻訳書も出ている。
昨年、米国図書賞翻訳賞に、「献灯使」の英語訳"The Emissary"が選ばれた(→)のは記憶に新しいところである。
本書はこの表題作のほか、短編4つを収める。
全般に、言葉に対する鋭敏な感覚を感じさせる。と同時に、作品世界には終末感が漂う。
「献灯使」では、老人は年を取りながらも死ぬこともなく、逆に若者は、鳥のようであったり、咀嚼もままならなかったり、ひ弱で異形な体を持つ。大きな災厄に見舞われた日本は外界から切り離され、外来語も禁止されている。老人の義明は作家である。ひ孫の無名の病弱さを案じつつ、その面倒を見て暮らしている。
閉じた世界はこのまま滅びてしまうのか。もしかしたら日本を救うかもしれない1つの策がある。異形の子供を「献灯使」として外国に送り、健康状態を研究してもらい、また外国の事情も探ろうというのだ。かつて無名の担任であった教師は、彼に白羽の矢を立てるのだが。
崩壊寸前の世界と、使用を禁じられ変質していく言葉が、不思議に共鳴する。
透明で静かな、けれども不穏な世界。
表題作でも感じられるが、他の4編も色濃く大震災の影響を映す。
「不死の島」では2011年の後、クーデターが起こり、さらに大災害に見舞われている。
「彼岸」では、人々は大陸に向けて脱出を試みる。
最後の「動物たちのバベル」は戯曲で、もはや日本に留まらず、人間が滅び、動物たちだけが残っている。
いずれもどこか寓話的である。
2作目の「韋駄天どこまでも」は、やはり終末世界を感じさせるが、ちょっと風変わりで、漢字へのこだわりを感じさせる。
「趣味」をもたなければどんな魅惑の「味」も「未」だ「口」に入らぬうちに人生を走り抜くための「走」力を抜き「取」られて漏水する
とか
(夫は)「品」格のある男だった。「山」が好きで病気知らずだったのに、いつの間にか胃「癌」にかかっていた。
(「」内は原文では太字)という具合。主人公の「東田一子」は、趣味の教室で「束田十子」と知り合うのだが、この2人が災厄の中、ひととき愛し合うことになる。漢字を使った交合シーンが妙に迫力があってエロティックである。
世界観はSF的でもあるが、詩人の鋭敏さを湛える。ときに難解ではあるが、どこか滅びの美しさも見せる。
揺らぐ世界は、もちろん、大震災の影響ではあるのだろうが、ひょっとしたら、異国に長く暮らす著者が、日本語を失いそうになる不安もいささか映し込んでいるのではなかろうか。そう思うと、「献灯使」の英訳は相当に困難だったのではないか。余力があれば、いつか英訳版も鑑賞してみたいところだが。
世界を構築するものは、あるいは言葉なのか。
詩人が織りなす、稀有な独自の世界である。
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3.11を経た多和田さんが想像した近未来は
たっぷりの皮肉と言葉遊び、静かな怒りで一杯のコップから今にも水がこぼれ落ちそうな不安定な世界でした。
全米図書賞は伊達じゃない。
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全米図書賞翻訳部門受賞作。一説では「村上春樹よりノーベル賞に近い」とも言われる多和田葉子さん、初読みです。
表題作の他に 「韋駄天どこまでも」 「不死の島」 「彼岸」 「動物たちのバベル」を収めた短編集。
もともと先に同録の「不死の島」が有って、それを膨らませたのが「献灯使」のようです。「不死の島」だけを読むと非科学的な風評に基づく反原発小説という印象がします。しかし「献灯使」では原発事故と言う原因の明示は無くなり(匂わせる表現は随所にありますが)、近未来のディストピア(暗黒郷)が描かれます。その日本では100歳を超える老人が不死を得て健康であり、若い世代ほど体が弱く若死にします。また、政府や警察が民営化され、鎖国状態でカタカナ文字の使用は疎んじられ、主人公たちが住む中央部・東京西域は没落し、東北や沖縄などが活性化しています。
そうした世界が様々な言葉遊び~ジョギングは駆けて血圧を落とすので「駆け落ち」、岩手製(made in XX)は「岩手まで」、空港(terminal)は「民なる」~を通して描かれます。そもそも表題の「献灯使」からして言葉遊びだし。どうもこれが多和田さんの特徴の一つらしいのですが。
しかし・・・・・何か良く判らない。作品の持つ力の様なものは感じられるのだが。
多分、純文学に何か答えの様なものを求めちゃいけないのでしょうね。やっぱり私は苦手だわ。